「敵機は飛行高度が高い。迎撃するなのなら早く上がってこっちも高度を取らないと逃げられる。」
島田一飛曹が呟いた。私は指揮所の方を見た。発進の指示はなかった。以前筑波で同じようにサイパンから単機侵入してくるB二九を追撃したことを思い出した。零戦では敵の高度まで上がれずに何時も取り逃がしていた。その当時は『敵の飛行する高度に上がれない戦闘機で戦争に勝てるのだろうか。』という漠然とした疑問は感じたものの、内地の飛行隊であったことから装備については特に気にも留めず、『きっと零戦の再来と言われるような最強の戦闘機が開発されているのだろう。』と勝手に都合のいいことばかり考えてそんな疑問を深く追及することもしなかった。
「出るかも知れん。準備をしておけ。」
私は部下に指示をすると自分も高高度飛行に備えて飛行服を整えてマフラーを巻き直した。
「伝令が来ます。」
誰かが声をあげた。伝令は自転車を降りると安藤大尉のところに走りよって「指揮所より命令、待機戦闘機隊は一個小隊をもって敵偵察機を捕捉撃滅せよ。」と発進命令を伝えた。安藤大尉は私のところに歩いて来て「武田中尉、ご苦労だが貴様に行ってもらおう。俺は敵の戦闘機に備える。」と静かに言った。
命令を復唱して敬礼をし終わる頃には戦闘機はすでに発動機の始動を始め、指揮所にも発進を合図する旗が翻っていた。
「敵の偵察機を迎撃する。敵情は逐次無線で知らせる。行くぞ。」
私は部下に声をかけた。「おう。」という威勢のいい掛け声と共に二人が走り出して戦闘機に取り付いた。島田一飛曹は私に歩み寄って「あらかじめ高度を取っておいて前上方から背面降下攻撃をかけます。勝負は一撃か二撃。それ以上は無理でしょう。分隊士、言っておきますが敵に情けは禁物ですよ。命取りになります。」と言った。私は笑顔で頷いて戦闘機に乗り込んだ。
紫電でも高度一万メートルまで上がるには三十分ほどもかかる。大きく旋回しながら徐々に高度を上げていって目的の高度の達した頃には敵機は九州から海上に抜けて進路を南東に変針していた。松山に向かっていることは間違いなかった。高度一万一千に達した時に島田一飛曹の声がレシーバーに響いた。
「敵発見。十時の方向、高度約九千。」
無線で指示された方向に向かって目を凝らすと空のかなたにかすかに光るものが見えた。
「敵に向かう。島田機、先導せよ。我は後尾に付く。」
島田機は大きき翼を振るとまっしぐらに敵に向かった。その後に列機が続いた。私は最後尾から後方を警戒しつつ先行する三機の後を追った。敵機とは反航する形で接敵したことから相対速度は優に時速千キロを超えていた。発見したときは小さな光点にしか見えなかった敵はすぐにその機体がはっきりと視認出来る距離に接近した。そのころには敵も我々を発見したようで機体の上面に付いている二基の銃塔が角を振り立てたカブト虫の角のようにこちらに向くのが見えた。
島田機は突然百八十度機体を捻って背面にすると、そのまま敵に向かって降下していった。二番機、三番機がその後に続いたが、傍目にも降下の角度が浅くうまく敵を捕らえることは難しそうだった。私も頃合を見計らって機体を背面にすると操縦桿を手前に引いた。それまで足の下にあった敵機がぐるりと回って頭の上に現れた。敵の機銃は先行する島田機に射線を集中していた。その島田機からも射線が敵に向かって延びて両翼の付け根に命中し始めた。弾が命中した部分から破片が飛び散り白煙が後方に流れた。
島田機は機体を右に捻って敵の左翼前方を降下していった。二番機、三番機は思ったとおり降下角が浅すぎて射点が後落として敵機のはるか後方へと流れていった。私は照準機のガラスに浮かんだ照準環を睨みつけるように凝視していた。運良く私は敵を照準環の中に捕らえることが出来た。敵の射線は正確に私の機体を捕らえて絶え間なく弾丸を送り出してきたが恐怖は全く感じなかった。
『この敵を帰したら大型爆撃機が大挙来襲する。そうすれば松山の市街に大きな被害が出る。その松山には小桜がいる。』
接敵を続けながら私はそんなことを考えていた。敵は照準環の中で大きく膨らんでもうはみ出しそうになっていた。その時前面風防に衝撃を感じた。防弾ガラスにひびが広がった。その瞬間、私の中から一気に怒りが湧き上がってくるのを感じた。そして同時に機銃の引き金を引いた。敵の弾丸と交差して私の弾丸が敵に伸びて右翼内側の発動機とその周辺に吸い込まれていった。
「引け。」
絶叫にも近い叫び声がレシーバーに響いた。反射的に私は操縦桿を一杯に引いてフットバーを右に蹴った。機体はかろうじて敵機の左翼前方を抜けた。徐々に機体を水平に起こして後方を振り返ると敵機は右翼内側の発動機から火を発して長く黒煙を引きながらも速度を落とすこともなく飛行を続けていた。前方には第二撃の位置を占めるため上昇を続ける島田機が見えた。後に続こうと機体を持ち上げようとした時、後方に強い閃光を感じた。その直後に機体が大きく煽られた。振り返ると敵機は爆発して大きな赤黒い火の玉に変わっていた。そして敵機を呑み込んだ赤い火の玉は黒い煙の帯を引いて海へ向かって落下していった。
「帰投する。我日振島上空、高度七千、集まれ。」
機体を水平に戻し、基地の方向に頭を振りながら部下を呼んだ。真っ先に機体を寄せてきたのは島田一飛曹だった。そのまま列機を探しながらしばらく飛ぶうちに残りの二機も我々を見つけて編隊を組んできた。こうして集合を終わった我々はB二九撃墜という晴れがましい戦果を引っさげて帰投した。
車輪が接地して機体の行き足が止まると私は深いため息をついた。そこに島田一飛曹が機体に飛び乗るように駆け上がってきて風防を叩いた。
「分隊士、体当たりでもするつもりかと思いましたよ。それにしても見事な撃墜でした。おめでとうございます。」
私は黙って頷くと操縦席から降りた。全身から力が抜けたように気だるかった。ゆっくり走って指揮所に向かった。そこで飛行長に敵偵察機撃墜を報告した。飛行長は「ご苦労。」とだけ短く答えた。待機所に戻ると椅子に体を投げ出した。目の前では今戻ったばかりの我々の機体に整備兵が取り付いて機体の点検整備が行われ機銃弾や燃料が補充されていた。
「分隊士、近づきすぎです。もっと早く引き起こさないとぶつかってしまいます。」
島田一飛曹がそばに来て話しかけてきた。顔を起こして頷くと島田一飛曹は敵機の位置と降下開始時期、敵の未来位置の推定、照準環に写った大型機の機影と自機との距離の関係等を説明してくれた。
「ほんの一瞬ですよ、射撃の機会は。今日、敵にぶつからなかったのはただ幸運だっただけです。どうか無理をしないでください。」
最後に島田一飛曹はそう付け加えた。私は最後にやっと島田一飛曹に向かって笑顔を作って頷いた。従兵の運んでくれたお茶を飲み終わらないうちに「待機戦闘機隊、発進準備。」がかかった。誰もが怪訝な顔をして指揮所の方を見た。その直後に発進を示す旗流が指揮所のマストに上がった。
「敵らしき小型機八機、南西方向から高度四千で接近中。待機戦闘機隊、至急発進せよ。」
待機所のスピーカーが鳴った。その時にはもうすでに八人の搭乗員はそれぞれの機体に向かって駆け出していた。発動機が始動をするのも待ちかねたようにスロットルを押し込んで離陸を開始して上昇しながら列機を待った。そして列機が追従してくるのを確認すると機首を南西に振った。
高度を上げようとしたが、会敵までに優位を占めることは難しそうだった。いったん離脱して高度を取るべきとも思ったが、指揮官機は真直ぐに敵に向かった。たとえ同数といっても敵が速度の速い新型のP五一やP四七だとすると上からかぶられて一撃を食らう恐れがあった。
「指揮所より疾風、敵の位置、松山より南西、距離約一万、高度四千から降下中、速度約二百。」
基地から無線連絡があった。それと同時に島田機から「敵発見、正面上方。」と一報が入った。私は上を見上げたが、どうも様子がおかしかった。敵は編隊が乱れてはいたが、編隊を解いて攻撃してくる様子はなかった。まるで松山に着陸でもするかのように緩降下で接近してきた。
「分隊士、様子がおかしいです。友軍機かもしれません。」
島田一飛曹がバンクを振った。それに合わせて相手も先頭機がバンクを返してきた。それを見たとたん張り詰めた神経がどっと緩んだ。それでも警戒しながら大きく旋回して会合すると敵と思われたのは陸軍の四式戦だった。後で聞いたところ彼等は知覧への移動中、航法のミスと燃料不足から松山に不時着しようと接近中であったが、無線の不調や陸海軍が使う無線機の周波数の違いから連絡を取ることが出来ず、敵と誤認されたとのことだった。我々は勇んで飛び出してみたものの、味方を護衛誘導することになって何とも中途半端な形で帰還した。
基地に戻ってから興に駆られて彼等の四式戦を見せてもらった。同じ誉発動機を搭載していても四式戦は全体に太くてがっしりとした紫電とは異なり、すらりと細長い後胴を持った精悍な機体だった。武装は二十ミリ機関砲二門、十三ミリ機関砲二門となかなか強力で、速力も三百四十ノット近い高速を誇る当時大東亜決戦機と呼ばれた純粋の制空戦闘機だった。
しかし、驚いたのは機体各部の説明を聞いた時だった。まず陸軍で開発した二十ミリ機関砲は紫電に搭載されている海軍の二十ミリ機銃とは弾薬の互換性がなく相互に弾丸を補給し合うことは出来ないということだった。それは十三ミリ機銃にも言えることで陸軍と海軍では口径が微妙に違うなどの理由で弾薬の互換性はなかった。
もしも今日、彼等が空戦をして弾薬を撃ち尽くしていても海軍が展開する松山では弾薬の補給を受けることが出来ず、明日は敵機が跳梁する中を丸腰で飛び立たなければならなかった。また同じ発動機を搭載しているこの二つの機体のプロペラは四式戦が仏蘭西製の電気駆動式可変ピッチ、紫電は独逸製の油圧式可変ピッチで全く異なっていた。規格を単一の型式で統一することは仮に重大な欠陥が生じた場合大きな問題となることは明らかだったが、決して生産力が大きいとはいえない日本にとって、多大な消耗を強いる戦争という非常時を生き抜くには有効な方法の一つには違いなかった。これ以外にも陸軍機と海軍機では本当にこの二つの機体が同じ国で作られた飛行機かと疑うほど部品や規格の違いが山ほどあった。
それともう一つ、紫電も四式戦も確かに日本の作った優秀な機体かもしれないが、本当に国産と言えるものは外側の機体だけで、発動機は元を正せば米国製、プロペラは米国、仏蘭西、独逸製、機銃はスイス、独逸、米国、英国、帰投用方位指示装置は米国製など、まるで欧米技術の展覧会のようだった。戦争をしている相手国の技術で戦争を継続する。それはまるで悲しい笑い話のようでもあった。そうした話は高瀬から聞いていたが、実際に自分の目で見てみるとこれが国家の命運を賭けて戦争をしている国かと呆れるほどもどかしく感じた。
島田一飛曹が呟いた。私は指揮所の方を見た。発進の指示はなかった。以前筑波で同じようにサイパンから単機侵入してくるB二九を追撃したことを思い出した。零戦では敵の高度まで上がれずに何時も取り逃がしていた。その当時は『敵の飛行する高度に上がれない戦闘機で戦争に勝てるのだろうか。』という漠然とした疑問は感じたものの、内地の飛行隊であったことから装備については特に気にも留めず、『きっと零戦の再来と言われるような最強の戦闘機が開発されているのだろう。』と勝手に都合のいいことばかり考えてそんな疑問を深く追及することもしなかった。
「出るかも知れん。準備をしておけ。」
私は部下に指示をすると自分も高高度飛行に備えて飛行服を整えてマフラーを巻き直した。
「伝令が来ます。」
誰かが声をあげた。伝令は自転車を降りると安藤大尉のところに走りよって「指揮所より命令、待機戦闘機隊は一個小隊をもって敵偵察機を捕捉撃滅せよ。」と発進命令を伝えた。安藤大尉は私のところに歩いて来て「武田中尉、ご苦労だが貴様に行ってもらおう。俺は敵の戦闘機に備える。」と静かに言った。
命令を復唱して敬礼をし終わる頃には戦闘機はすでに発動機の始動を始め、指揮所にも発進を合図する旗が翻っていた。
「敵の偵察機を迎撃する。敵情は逐次無線で知らせる。行くぞ。」
私は部下に声をかけた。「おう。」という威勢のいい掛け声と共に二人が走り出して戦闘機に取り付いた。島田一飛曹は私に歩み寄って「あらかじめ高度を取っておいて前上方から背面降下攻撃をかけます。勝負は一撃か二撃。それ以上は無理でしょう。分隊士、言っておきますが敵に情けは禁物ですよ。命取りになります。」と言った。私は笑顔で頷いて戦闘機に乗り込んだ。
紫電でも高度一万メートルまで上がるには三十分ほどもかかる。大きく旋回しながら徐々に高度を上げていって目的の高度の達した頃には敵機は九州から海上に抜けて進路を南東に変針していた。松山に向かっていることは間違いなかった。高度一万一千に達した時に島田一飛曹の声がレシーバーに響いた。
「敵発見。十時の方向、高度約九千。」
無線で指示された方向に向かって目を凝らすと空のかなたにかすかに光るものが見えた。
「敵に向かう。島田機、先導せよ。我は後尾に付く。」
島田機は大きき翼を振るとまっしぐらに敵に向かった。その後に列機が続いた。私は最後尾から後方を警戒しつつ先行する三機の後を追った。敵機とは反航する形で接敵したことから相対速度は優に時速千キロを超えていた。発見したときは小さな光点にしか見えなかった敵はすぐにその機体がはっきりと視認出来る距離に接近した。そのころには敵も我々を発見したようで機体の上面に付いている二基の銃塔が角を振り立てたカブト虫の角のようにこちらに向くのが見えた。
島田機は突然百八十度機体を捻って背面にすると、そのまま敵に向かって降下していった。二番機、三番機がその後に続いたが、傍目にも降下の角度が浅くうまく敵を捕らえることは難しそうだった。私も頃合を見計らって機体を背面にすると操縦桿を手前に引いた。それまで足の下にあった敵機がぐるりと回って頭の上に現れた。敵の機銃は先行する島田機に射線を集中していた。その島田機からも射線が敵に向かって延びて両翼の付け根に命中し始めた。弾が命中した部分から破片が飛び散り白煙が後方に流れた。
島田機は機体を右に捻って敵の左翼前方を降下していった。二番機、三番機は思ったとおり降下角が浅すぎて射点が後落として敵機のはるか後方へと流れていった。私は照準機のガラスに浮かんだ照準環を睨みつけるように凝視していた。運良く私は敵を照準環の中に捕らえることが出来た。敵の射線は正確に私の機体を捕らえて絶え間なく弾丸を送り出してきたが恐怖は全く感じなかった。
『この敵を帰したら大型爆撃機が大挙来襲する。そうすれば松山の市街に大きな被害が出る。その松山には小桜がいる。』
接敵を続けながら私はそんなことを考えていた。敵は照準環の中で大きく膨らんでもうはみ出しそうになっていた。その時前面風防に衝撃を感じた。防弾ガラスにひびが広がった。その瞬間、私の中から一気に怒りが湧き上がってくるのを感じた。そして同時に機銃の引き金を引いた。敵の弾丸と交差して私の弾丸が敵に伸びて右翼内側の発動機とその周辺に吸い込まれていった。
「引け。」
絶叫にも近い叫び声がレシーバーに響いた。反射的に私は操縦桿を一杯に引いてフットバーを右に蹴った。機体はかろうじて敵機の左翼前方を抜けた。徐々に機体を水平に起こして後方を振り返ると敵機は右翼内側の発動機から火を発して長く黒煙を引きながらも速度を落とすこともなく飛行を続けていた。前方には第二撃の位置を占めるため上昇を続ける島田機が見えた。後に続こうと機体を持ち上げようとした時、後方に強い閃光を感じた。その直後に機体が大きく煽られた。振り返ると敵機は爆発して大きな赤黒い火の玉に変わっていた。そして敵機を呑み込んだ赤い火の玉は黒い煙の帯を引いて海へ向かって落下していった。
「帰投する。我日振島上空、高度七千、集まれ。」
機体を水平に戻し、基地の方向に頭を振りながら部下を呼んだ。真っ先に機体を寄せてきたのは島田一飛曹だった。そのまま列機を探しながらしばらく飛ぶうちに残りの二機も我々を見つけて編隊を組んできた。こうして集合を終わった我々はB二九撃墜という晴れがましい戦果を引っさげて帰投した。
車輪が接地して機体の行き足が止まると私は深いため息をついた。そこに島田一飛曹が機体に飛び乗るように駆け上がってきて風防を叩いた。
「分隊士、体当たりでもするつもりかと思いましたよ。それにしても見事な撃墜でした。おめでとうございます。」
私は黙って頷くと操縦席から降りた。全身から力が抜けたように気だるかった。ゆっくり走って指揮所に向かった。そこで飛行長に敵偵察機撃墜を報告した。飛行長は「ご苦労。」とだけ短く答えた。待機所に戻ると椅子に体を投げ出した。目の前では今戻ったばかりの我々の機体に整備兵が取り付いて機体の点検整備が行われ機銃弾や燃料が補充されていた。
「分隊士、近づきすぎです。もっと早く引き起こさないとぶつかってしまいます。」
島田一飛曹がそばに来て話しかけてきた。顔を起こして頷くと島田一飛曹は敵機の位置と降下開始時期、敵の未来位置の推定、照準環に写った大型機の機影と自機との距離の関係等を説明してくれた。
「ほんの一瞬ですよ、射撃の機会は。今日、敵にぶつからなかったのはただ幸運だっただけです。どうか無理をしないでください。」
最後に島田一飛曹はそう付け加えた。私は最後にやっと島田一飛曹に向かって笑顔を作って頷いた。従兵の運んでくれたお茶を飲み終わらないうちに「待機戦闘機隊、発進準備。」がかかった。誰もが怪訝な顔をして指揮所の方を見た。その直後に発進を示す旗流が指揮所のマストに上がった。
「敵らしき小型機八機、南西方向から高度四千で接近中。待機戦闘機隊、至急発進せよ。」
待機所のスピーカーが鳴った。その時にはもうすでに八人の搭乗員はそれぞれの機体に向かって駆け出していた。発動機が始動をするのも待ちかねたようにスロットルを押し込んで離陸を開始して上昇しながら列機を待った。そして列機が追従してくるのを確認すると機首を南西に振った。
高度を上げようとしたが、会敵までに優位を占めることは難しそうだった。いったん離脱して高度を取るべきとも思ったが、指揮官機は真直ぐに敵に向かった。たとえ同数といっても敵が速度の速い新型のP五一やP四七だとすると上からかぶられて一撃を食らう恐れがあった。
「指揮所より疾風、敵の位置、松山より南西、距離約一万、高度四千から降下中、速度約二百。」
基地から無線連絡があった。それと同時に島田機から「敵発見、正面上方。」と一報が入った。私は上を見上げたが、どうも様子がおかしかった。敵は編隊が乱れてはいたが、編隊を解いて攻撃してくる様子はなかった。まるで松山に着陸でもするかのように緩降下で接近してきた。
「分隊士、様子がおかしいです。友軍機かもしれません。」
島田一飛曹がバンクを振った。それに合わせて相手も先頭機がバンクを返してきた。それを見たとたん張り詰めた神経がどっと緩んだ。それでも警戒しながら大きく旋回して会合すると敵と思われたのは陸軍の四式戦だった。後で聞いたところ彼等は知覧への移動中、航法のミスと燃料不足から松山に不時着しようと接近中であったが、無線の不調や陸海軍が使う無線機の周波数の違いから連絡を取ることが出来ず、敵と誤認されたとのことだった。我々は勇んで飛び出してみたものの、味方を護衛誘導することになって何とも中途半端な形で帰還した。
基地に戻ってから興に駆られて彼等の四式戦を見せてもらった。同じ誉発動機を搭載していても四式戦は全体に太くてがっしりとした紫電とは異なり、すらりと細長い後胴を持った精悍な機体だった。武装は二十ミリ機関砲二門、十三ミリ機関砲二門となかなか強力で、速力も三百四十ノット近い高速を誇る当時大東亜決戦機と呼ばれた純粋の制空戦闘機だった。
しかし、驚いたのは機体各部の説明を聞いた時だった。まず陸軍で開発した二十ミリ機関砲は紫電に搭載されている海軍の二十ミリ機銃とは弾薬の互換性がなく相互に弾丸を補給し合うことは出来ないということだった。それは十三ミリ機銃にも言えることで陸軍と海軍では口径が微妙に違うなどの理由で弾薬の互換性はなかった。
もしも今日、彼等が空戦をして弾薬を撃ち尽くしていても海軍が展開する松山では弾薬の補給を受けることが出来ず、明日は敵機が跳梁する中を丸腰で飛び立たなければならなかった。また同じ発動機を搭載しているこの二つの機体のプロペラは四式戦が仏蘭西製の電気駆動式可変ピッチ、紫電は独逸製の油圧式可変ピッチで全く異なっていた。規格を単一の型式で統一することは仮に重大な欠陥が生じた場合大きな問題となることは明らかだったが、決して生産力が大きいとはいえない日本にとって、多大な消耗を強いる戦争という非常時を生き抜くには有効な方法の一つには違いなかった。これ以外にも陸軍機と海軍機では本当にこの二つの機体が同じ国で作られた飛行機かと疑うほど部品や規格の違いが山ほどあった。
それともう一つ、紫電も四式戦も確かに日本の作った優秀な機体かもしれないが、本当に国産と言えるものは外側の機体だけで、発動機は元を正せば米国製、プロペラは米国、仏蘭西、独逸製、機銃はスイス、独逸、米国、英国、帰投用方位指示装置は米国製など、まるで欧米技術の展覧会のようだった。戦争をしている相手国の技術で戦争を継続する。それはまるで悲しい笑い話のようでもあった。そうした話は高瀬から聞いていたが、実際に自分の目で見てみるとこれが国家の命運を賭けて戦争をしている国かと呆れるほどもどかしく感じた。