「実はね、僕はちょっと組織をいじろうと思っているんだ。役員も年齢で抜ける人がいるんでその補充もしなくてはいけないんだが、それよりも新しい分野へ進出したり新しい商品を企画したりしていかないと漫然とこれまでのやり方を続けていたのではこの世界も淘汰が激しくなって食われてしまう。
それで今回『市場調査・商品企画室』というのを新設しようと思う。冴子には取締役格でその室長を務めてもらいたいんだ。」
「すごいじゃない、取締役企画室長ね。」
自分がそうなるわけでもないのに何だか一番喜んでいるのは女土方だった。
「ただし役員格で室長と言うとそれなりに部下がつく。それをまとめていくのは能力もそうだが、それなりに人格が伴わないと部下がついてこないし使われる部下が気の毒だ。今の冴子には能力は十分に備わっていると思うが、部下を惹き付けて引っ張っていく人柄に不安がある。若しも冴子がどうしてもと言うのなら外部からの招聘も含めて他の人材を考えてみるが、僕としては冴子に引き受けて欲しいと思う。どうだろう、引き受けてくれるか、冴子。」
「私いきなりそう言われても自信がないわ。」
北の政所様は柄にもなく弱気なことを言った。
「スタッフにはそれなりの人選をする。例えば主任企画員は佐山さん、主任調査分析員は伊藤さん、それ以外にもスタッフをつけて十人前後でスタートさせたい。どうかな、この案は。」
今度はいきなり指名された僕と女土方が仰天してしまった。まあこれは抜擢には違いないがこともあろうに北の政所様の配下とは。
「どうかな、佐山さん、伊藤さん、冴子を助けてやってくれないだろうか。冴子の力になってくれそうな人材は僕が見る限り適任者は二人をおいては他にいないと思うんだ。」
「せっかくのお話ですが、私は少し考えさせてください。」
女土方は社長の推薦なのに間髪を入れずに撥ね付けた。
「私には自信がありません。以前にも森田さんとは一緒に仕事をしたことがありますが、私には思うようにお手伝いをすることが出来ませんでした。今回も同じことになると思います。ですからせっかくのご推薦ですが、他の方をお願いします。」
女土方は以前のトラブルが身に沁みているのか受け入れる素振りも見せなかった。
「佐山さんはどうかね、この話。」
社長は目標を僕に定めて話を振ってきた。
「私は昨日も言いましたが、仕事は個人と会社の間に交わされた契約だと思っています。だからやれと言われれば嫌だとは言いません。職場は仲良しクラブでも同好会でもないと思っています。だからその職場に私情を持ち込まないでいただきたいのです。精一杯仕事をしろ、ただそれだけでいいというのなら考えてみます。」
僕たち二人の言い分を北の政所様は黙って聞いていた。
「そこなんだよ、冴子に足りないところは。自分から他人の中に溶け込んでその人たちを取り込んでいくと言うところが。高いところに立って他人が近づいてくるのを待っている。まあ長い間僕たちが強く言わなかったのも悪いんだが。今回取締役に推薦するにあたって冴子に考えて欲しかったのはそのことなんだ。」
北の政所様は両手で顔を覆って黙り込んでいた。この話は北の政所様にとって決して悪い話ではないと思った。一緒に仕事をしたことのない僕には分からないが、秘書からいきなり取締役にしてくれると言うのだから社長自身も北の政所様の能力をそれなりに評価しているんだろう。
「私にはどうすればいいのか分からないわ。」
顔を覆っていた手を下ろして涙で滲んだ顔を上げた北の政所様はテーブルの上に置かれた缶を取り上げてビールを一口飲んだ。
「もしも引き受けたら私の人選は聞いてもらえるんですか。加賀美さんとか安田さんとかそういう人を入れてもらえるんですか。」
加賀美とは昨日の晩にけつを蹴った総務の係長で安田は馬の骨氏の愛人だった。
「その人選はネガティブだな。彼女達には今回の企画に求められている能力はないよ。」
社長は意図も簡単に二人を切って捨てた。温厚なだけが取り柄かと思っていたこの社長もなかなか鋭い観察力を有していたようだ。もっともそうでないと会社が潰れてしまうかも知れないが。
「佐山さんと伊藤さんは絶対条件だ。この二人は譲れない。総務格の副室長もつける。その他に企画三、四人、市場調査三人くらいの体制を考えている。とにかく今まで進出したことのない未知な分野の可能性を探って商品を提案して欲しいんだ。」
『何だ、それはもう決定事項かい。打診じゃないじゃないか。』
それを僕以上に強く感じて反発したのは女土方だった。
「私はその配置を承諾したわけではありません。再考をお願いします。私情を職場に持ち込んで他人を攻撃するような人を上司としてその下で働くことは私には納得が出来ません。」
「困ったなあ。そんなに強硬に拒否されるなんて。」
社長はあまり困った様子もなく口では「困った、困った」を繰り返した。
「当然いろいろと感情的なしがらみがあったんだからお互い急に素直な気持ちになれないのは当然だと思う。そこで今日ここで話し合ってもらいたいんだ。そして何とか妥協点を見つけて欲しい。」
そうかそういうことだったのか。経営者なんてずい分知恵が回るものだ。そんな企みが裏にあるとは思わなかった。わざわざ部屋を取ったのもこのためか。無駄には金を使わないのが経営者と言うことか。それでも話がまとまると言う保証もない。まとまらなければ無駄使いだけれど本来投資と言うのはそういう類のものなんだろう。
「さあ飲んで、飲んで。」
社長は僕たちから何とか打開の言葉を引き出そうとしきりに酒を勧めた。でも飲んだからと言って話がまとまるものでもなかろう。もっとこじれてしまうことだってあるだろう。社長としては何とか僕たちの本音を引き出したいようだった。本音さえ引き出せば対応のしようもあるからだった。何を考えているのか分からないのでは何ともしようがない。
「なあ、伊藤さん、さっきはあんなに冴子の肩を持ったのにどうしてもだめなのか。何とか冴子を助けてやってもらえないだろうか。」
女土方は黙ったまま首を横に振った。
「冴子、お前はどうなんだ。いい加減に頑なな態度を改めて和解する気はないのか。」
北の政所様も顔を横に向けたまま黙り込んでいた。どうも形勢は社長に不利に動いているようだった。
「佐山さんはどう思う。」
打開策が見出せないまま社長は話を僕に振って来た。もしかしたら社長は僕を一番与し易しと判断したのかも知れない。
「私はさっきも話したとおり仕事に私情を持ち込んでトラブルを起こしたくありませんからお互いにそれさえ守っていけるのなら、それ以上特に希望することはありません。会社と個人は利益共同体です。それは昔の様に終身雇用ではなくなってきているのでこの会社に一生と言うわけでもないのでしょうけどそれでも会社が利益を上げるかどうかは私達の生活に大きな影響力を持っています。
何でも会社の意思決定が全て正しいと言うわけでもないのでしょうが今回の社長の考えは私にも賛同出来るものだと思います。それを実現するために会社が人事配置をしようというのならそれはもう個人の問題ではなく組織の問題だと思っていますから最終的には発令があればそれに従います。」
社長は黙って頷いた。女土方と北の政所様は下を向いたまま何も言わなかった。
「そう言ってもらえると会社を預かる者としては大変ありがたい。お二人はどうかな。」
「何と言われても私は森田さんの下で仕事をするのはお断りします。」
女土方は相変わらず頑なに拒否した。
「そんなに嫌わなくてもいいじゃない。私だってあなたがそういう趣向の人と知っていたらあんなことはしなかったわ。あの頃あの人私にちょっかいを出していたのにそれなのに彼はまたあなたの方を向くから。悔しかったのよ、それが。でもクライアントさんだからあの人にあたる訳にもいかないでしょう。だからあなたに。悪かったわ、謝るわよ。」
ビール缶を突きながらそんなことを言い出した北の政所様に僕は笑い出してしまった。この女根は単純でそんなに悪い性格ではないのかもしれない。それにしても女土方が好感を持って語っていたそのクライアントもなかなか強かだ。北の政所様をまんまと手に入れてその上女土方もものにしようと企んだのだから。もっとも男なんて多かれ少なかれそんなもので頂けるのならみんな頂きますというのが本音かも知れない。
「ねえ、もう許してあげたら。森田さんもああ言っているんだから。良く話し合って付き合ってみれば森田さんて案外悪い人ではないのかもしれないわよ。」
「森田さんの言うことが本当ならあの人も酷い人ね。でも今は私には分からないわ、どう判断していいのか。」
「彼はね、」
北の政所様が堰を切った様に話し出した。
「最初は私に近づいて『お前と一緒にいると落ち着く。若い頃とは違って男女も価値観や年齢が接近している方がしっくりいく。』なんて言っていたのに急に伊藤さんの方を向き始めたでしょう。私だって女としての魅力では負けないと思うけど年齢のことはどうしようもないでしょう。やっぱり若い人の方がいいのかなんて考えると何だか悔しくて。それを向けるところが伊藤さんしかなかったのよ。」
僕と社長は思わず顔を見合わせてしまった。涙さえ浮かべて話す北の政所様を見ているとどうも彼女は本当にそのクライアントとの結婚を考えていた様子だった。そして北の政所様と女土方の二股掛けようとした男の気持ちは勿論分からないでもなかったし北の政所様のやりきれない悔しさも察するに余りあった。そして何より一番迷惑を被ったのはどう見ても女土方だった。
「森田さんの言うことは分かったわ。でももう少し考えさせてください。わだかまりを捨てて急に気持ちを切り替えるなんてすぐには出来ないわ。」
「追々分かり合えばいいさ。時間はたっぷりあるんだから。」
社長は計画が自分の思う方向へと進んでいるのがうれしそうだった。
「とにかくこれでスタートラインに並んだことだしもう一度乾杯だ。さあさあ、皆グラスを持って。」
足並みが揃ったとはお世辞にも言えない状態だったが、とにかく新しい仕事に向けて緒についたと言えばそうかも知れなかった。
「しかし女性にこんなことを言ってはしかられるだろうけど佐山さんと話していると同性と向き合っているような気がする。考え方なんかどうも男以上に男らしいというか男そのもののような感覚を受けるな。」
「そうね、佐山さん、あなたって何だか本当に変わったわね。こんなこと言ったら失礼かも知れないけどあなたってそんなに強くなかった様に思うわ。かわいらしい女性っていう感じで。」
この種の質問を受けた時にはもう微笑みと沈黙で対応する以外にはなかった。実際中身が男なのだから元の佐山芳恵とはずいぶん変わったことだろう。でも今はこれが佐山芳恵なんだからそれで納得してもらわないと困ってしまう。
それで今回『市場調査・商品企画室』というのを新設しようと思う。冴子には取締役格でその室長を務めてもらいたいんだ。」
「すごいじゃない、取締役企画室長ね。」
自分がそうなるわけでもないのに何だか一番喜んでいるのは女土方だった。
「ただし役員格で室長と言うとそれなりに部下がつく。それをまとめていくのは能力もそうだが、それなりに人格が伴わないと部下がついてこないし使われる部下が気の毒だ。今の冴子には能力は十分に備わっていると思うが、部下を惹き付けて引っ張っていく人柄に不安がある。若しも冴子がどうしてもと言うのなら外部からの招聘も含めて他の人材を考えてみるが、僕としては冴子に引き受けて欲しいと思う。どうだろう、引き受けてくれるか、冴子。」
「私いきなりそう言われても自信がないわ。」
北の政所様は柄にもなく弱気なことを言った。
「スタッフにはそれなりの人選をする。例えば主任企画員は佐山さん、主任調査分析員は伊藤さん、それ以外にもスタッフをつけて十人前後でスタートさせたい。どうかな、この案は。」
今度はいきなり指名された僕と女土方が仰天してしまった。まあこれは抜擢には違いないがこともあろうに北の政所様の配下とは。
「どうかな、佐山さん、伊藤さん、冴子を助けてやってくれないだろうか。冴子の力になってくれそうな人材は僕が見る限り適任者は二人をおいては他にいないと思うんだ。」
「せっかくのお話ですが、私は少し考えさせてください。」
女土方は社長の推薦なのに間髪を入れずに撥ね付けた。
「私には自信がありません。以前にも森田さんとは一緒に仕事をしたことがありますが、私には思うようにお手伝いをすることが出来ませんでした。今回も同じことになると思います。ですからせっかくのご推薦ですが、他の方をお願いします。」
女土方は以前のトラブルが身に沁みているのか受け入れる素振りも見せなかった。
「佐山さんはどうかね、この話。」
社長は目標を僕に定めて話を振ってきた。
「私は昨日も言いましたが、仕事は個人と会社の間に交わされた契約だと思っています。だからやれと言われれば嫌だとは言いません。職場は仲良しクラブでも同好会でもないと思っています。だからその職場に私情を持ち込まないでいただきたいのです。精一杯仕事をしろ、ただそれだけでいいというのなら考えてみます。」
僕たち二人の言い分を北の政所様は黙って聞いていた。
「そこなんだよ、冴子に足りないところは。自分から他人の中に溶け込んでその人たちを取り込んでいくと言うところが。高いところに立って他人が近づいてくるのを待っている。まあ長い間僕たちが強く言わなかったのも悪いんだが。今回取締役に推薦するにあたって冴子に考えて欲しかったのはそのことなんだ。」
北の政所様は両手で顔を覆って黙り込んでいた。この話は北の政所様にとって決して悪い話ではないと思った。一緒に仕事をしたことのない僕には分からないが、秘書からいきなり取締役にしてくれると言うのだから社長自身も北の政所様の能力をそれなりに評価しているんだろう。
「私にはどうすればいいのか分からないわ。」
顔を覆っていた手を下ろして涙で滲んだ顔を上げた北の政所様はテーブルの上に置かれた缶を取り上げてビールを一口飲んだ。
「もしも引き受けたら私の人選は聞いてもらえるんですか。加賀美さんとか安田さんとかそういう人を入れてもらえるんですか。」
加賀美とは昨日の晩にけつを蹴った総務の係長で安田は馬の骨氏の愛人だった。
「その人選はネガティブだな。彼女達には今回の企画に求められている能力はないよ。」
社長は意図も簡単に二人を切って捨てた。温厚なだけが取り柄かと思っていたこの社長もなかなか鋭い観察力を有していたようだ。もっともそうでないと会社が潰れてしまうかも知れないが。
「佐山さんと伊藤さんは絶対条件だ。この二人は譲れない。総務格の副室長もつける。その他に企画三、四人、市場調査三人くらいの体制を考えている。とにかく今まで進出したことのない未知な分野の可能性を探って商品を提案して欲しいんだ。」
『何だ、それはもう決定事項かい。打診じゃないじゃないか。』
それを僕以上に強く感じて反発したのは女土方だった。
「私はその配置を承諾したわけではありません。再考をお願いします。私情を職場に持ち込んで他人を攻撃するような人を上司としてその下で働くことは私には納得が出来ません。」
「困ったなあ。そんなに強硬に拒否されるなんて。」
社長はあまり困った様子もなく口では「困った、困った」を繰り返した。
「当然いろいろと感情的なしがらみがあったんだからお互い急に素直な気持ちになれないのは当然だと思う。そこで今日ここで話し合ってもらいたいんだ。そして何とか妥協点を見つけて欲しい。」
そうかそういうことだったのか。経営者なんてずい分知恵が回るものだ。そんな企みが裏にあるとは思わなかった。わざわざ部屋を取ったのもこのためか。無駄には金を使わないのが経営者と言うことか。それでも話がまとまると言う保証もない。まとまらなければ無駄使いだけれど本来投資と言うのはそういう類のものなんだろう。
「さあ飲んで、飲んで。」
社長は僕たちから何とか打開の言葉を引き出そうとしきりに酒を勧めた。でも飲んだからと言って話がまとまるものでもなかろう。もっとこじれてしまうことだってあるだろう。社長としては何とか僕たちの本音を引き出したいようだった。本音さえ引き出せば対応のしようもあるからだった。何を考えているのか分からないのでは何ともしようがない。
「なあ、伊藤さん、さっきはあんなに冴子の肩を持ったのにどうしてもだめなのか。何とか冴子を助けてやってもらえないだろうか。」
女土方は黙ったまま首を横に振った。
「冴子、お前はどうなんだ。いい加減に頑なな態度を改めて和解する気はないのか。」
北の政所様も顔を横に向けたまま黙り込んでいた。どうも形勢は社長に不利に動いているようだった。
「佐山さんはどう思う。」
打開策が見出せないまま社長は話を僕に振って来た。もしかしたら社長は僕を一番与し易しと判断したのかも知れない。
「私はさっきも話したとおり仕事に私情を持ち込んでトラブルを起こしたくありませんからお互いにそれさえ守っていけるのなら、それ以上特に希望することはありません。会社と個人は利益共同体です。それは昔の様に終身雇用ではなくなってきているのでこの会社に一生と言うわけでもないのでしょうけどそれでも会社が利益を上げるかどうかは私達の生活に大きな影響力を持っています。
何でも会社の意思決定が全て正しいと言うわけでもないのでしょうが今回の社長の考えは私にも賛同出来るものだと思います。それを実現するために会社が人事配置をしようというのならそれはもう個人の問題ではなく組織の問題だと思っていますから最終的には発令があればそれに従います。」
社長は黙って頷いた。女土方と北の政所様は下を向いたまま何も言わなかった。
「そう言ってもらえると会社を預かる者としては大変ありがたい。お二人はどうかな。」
「何と言われても私は森田さんの下で仕事をするのはお断りします。」
女土方は相変わらず頑なに拒否した。
「そんなに嫌わなくてもいいじゃない。私だってあなたがそういう趣向の人と知っていたらあんなことはしなかったわ。あの頃あの人私にちょっかいを出していたのにそれなのに彼はまたあなたの方を向くから。悔しかったのよ、それが。でもクライアントさんだからあの人にあたる訳にもいかないでしょう。だからあなたに。悪かったわ、謝るわよ。」
ビール缶を突きながらそんなことを言い出した北の政所様に僕は笑い出してしまった。この女根は単純でそんなに悪い性格ではないのかもしれない。それにしても女土方が好感を持って語っていたそのクライアントもなかなか強かだ。北の政所様をまんまと手に入れてその上女土方もものにしようと企んだのだから。もっとも男なんて多かれ少なかれそんなもので頂けるのならみんな頂きますというのが本音かも知れない。
「ねえ、もう許してあげたら。森田さんもああ言っているんだから。良く話し合って付き合ってみれば森田さんて案外悪い人ではないのかもしれないわよ。」
「森田さんの言うことが本当ならあの人も酷い人ね。でも今は私には分からないわ、どう判断していいのか。」
「彼はね、」
北の政所様が堰を切った様に話し出した。
「最初は私に近づいて『お前と一緒にいると落ち着く。若い頃とは違って男女も価値観や年齢が接近している方がしっくりいく。』なんて言っていたのに急に伊藤さんの方を向き始めたでしょう。私だって女としての魅力では負けないと思うけど年齢のことはどうしようもないでしょう。やっぱり若い人の方がいいのかなんて考えると何だか悔しくて。それを向けるところが伊藤さんしかなかったのよ。」
僕と社長は思わず顔を見合わせてしまった。涙さえ浮かべて話す北の政所様を見ているとどうも彼女は本当にそのクライアントとの結婚を考えていた様子だった。そして北の政所様と女土方の二股掛けようとした男の気持ちは勿論分からないでもなかったし北の政所様のやりきれない悔しさも察するに余りあった。そして何より一番迷惑を被ったのはどう見ても女土方だった。
「森田さんの言うことは分かったわ。でももう少し考えさせてください。わだかまりを捨てて急に気持ちを切り替えるなんてすぐには出来ないわ。」
「追々分かり合えばいいさ。時間はたっぷりあるんだから。」
社長は計画が自分の思う方向へと進んでいるのがうれしそうだった。
「とにかくこれでスタートラインに並んだことだしもう一度乾杯だ。さあさあ、皆グラスを持って。」
足並みが揃ったとはお世辞にも言えない状態だったが、とにかく新しい仕事に向けて緒についたと言えばそうかも知れなかった。
「しかし女性にこんなことを言ってはしかられるだろうけど佐山さんと話していると同性と向き合っているような気がする。考え方なんかどうも男以上に男らしいというか男そのもののような感覚を受けるな。」
「そうね、佐山さん、あなたって何だか本当に変わったわね。こんなこと言ったら失礼かも知れないけどあなたってそんなに強くなかった様に思うわ。かわいらしい女性っていう感じで。」
この種の質問を受けた時にはもう微笑みと沈黙で対応する以外にはなかった。実際中身が男なのだから元の佐山芳恵とはずいぶん変わったことだろう。でも今はこれが佐山芳恵なんだからそれで納得してもらわないと困ってしまう。