指揮所に行って到着の申告をしてから通信所で部隊宛に無事到着したことを無電で打ってもらうように手配した。それが終わると輸送機が駐機しているところに戻って物資の移動を手伝った。何時空襲があるかもしれない今の状況では物資を一箇所に集積しておくことは禁物だった。出来るだけ早く分散して保管しなければならなかった。そのために主計科員は数少ないトラックを総動員して移動を行った。主計科にとってそれはまさに戦闘にも等しかった。

 幸なことに空襲もなく一時間ほどで物資の積み下ろしと分散は終了し、先遣隊の宿舎でちょっと早い昼食を振舞われた。私たちが四人でかたまって昼食を摂っているところに輸送機隊の指揮官がやって来た。兵学校出の中尉だった。

「帰路について打ち合わせをしたい。指揮官は誰か。」

 各自の飛行服の袖に階級賞が縫い付けてあるのにあえて指揮官は誰かと問うこの士官に反感を感じながら「おれだ。」と答えて立ち上がった。

「帰路は最短コースを直進したい。そちらも積荷を降ろして速度も出ることだろうから二百ノットくらいで飛んでもらいたい。我々は輸送機の後上方を飛んで護衛する。」

私は島田一飛曹を振り返った。島田一飛曹は黙って頷いた。

「陸攻はとにかくダグラスには二百は無理かもしれません。まあ、百七、八十ってとこでしょう。とにかく急ぐにこしたことはない。一直線に行きましょう。ただし出発は一五○○あたりがいいでしょう。そのころには敵さんも夕食で家に帰るでしょう。敵の夜戦もまだ出ては来ない。」

今度は私が島田一飛曹に向かって頷いた。

「そういうことだ。出発は一五○○、高度三千で松山に向かって全速で直進する。」

輸送機隊の士官は怪訝な顔で私と島田一飛曹を交互に見回した。

「予備士官は下士官に助けてもらわなければ指揮も取れんのか。」

 身を翻すようにして部屋を出ようとした士官の後で島田一飛曹が椅子から立ち上がった。いつもの穏やかな表情が怒りで歪んでいた。私は只ならない気配を感じて島田一飛曹の前に立った。

「島田、待て。言いたい奴には言わせておけ。俺たちは任務を完遂すればそれでいいんだ。」

「しかし、分隊士、それでは分隊士の面子が、・・・」

「俺の面子などどうでもいい。任務を完遂して皆が全員無事に帰ればそれでいい。帰りもしっかりと頼む。」

 島田一飛曹はしばらく我慢がならないという様子で飛行帽を握り締めて立ち尽くしていたが、やがて落ち着いたのか椅子に腰をおろした。

「分隊士、申し訳ありませんでした。あんなことを言われてついかっとなって。本当に悔しいのは分隊士ご自身のはずなのに。余計な気遣いまでさせてしまって。」

「何、俺たちは所詮俄か雇いだ。貴様等がいなければ何も出来んよ。」

 私は島田一飛曹に笑顔で答えた。真実を言えば私は島田一飛曹が輸送隊の士官に腹を立てたことがうれしかった。初めて自分が部下に受け入れられ士官として認められたように感じた。そして高瀬に言われて考えた末に取った私の行動が間違っていなかったことを実感した。

 帰路は内陸部を一直線に松山に飛んだ。空襲警報も出ておらず、一番恐れていた不意の会敵もなく全機無事に帰着した。着陸して指揮所に申告を済ませ部下の待つ待機所に戻ってくると輸送機隊の指揮官が歩み寄ってきた。島田一飛曹たちは険しい目で近寄ってくる士官を見つめていた。

「さっきは済まなかった。貴様、なかなかやるじゃないか。たった四機の護衛では会敵したらひとたまりもないと思っていたが、どうして安心して任せていられたよ。おかげで俺も部下も今日は生き延びることが出来た。礼を言うよ。」

 言い終るとその士官は身を翻すように背を向けて滑走路に駐機している輸送機の方へ戻っていった。
その晩は島田一飛曹らとしたたかに酒を飲んだ。酔って大声で軍歌を歌いながら部下に支えられたとは言え心の底で初めて士官として指揮を取った任務を全うしたことに誇らしさを感じていた。

「島田、貴様見事な護衛ぶりだったなあ。上になり下を飛び、周りを回って時々輸送機の搭乗員に戦闘機が護衛していることを見せて安心させてやる。俺には思いもつかん。さすがは歴戦の戦闘機乗りだ。」

 私が呂律の回らなくなった口で島田をほめると島田は穏やかな表情でゆっくりと杯を口に運びながらそれよりももっとゆっくりとした口調で言った。

「分隊士、分隊士は心が広い。自分の誇りを捨てても任務を全うすることを選んだ。うれしかったですよ。分隊士に指揮を執れと言われて。今まで合理的な状況判断もなく突っ込め、突っ込め、だ。その結果の負け戦で大勢の仲間が死んでいった。戦争だから仕方がないといえばそれまでですが、そんな戦で死んでいった奴等はみんな悔しかったと思います。今日はたった四機でも負ける気がしませんでした。いや、私は何があっても全機無事に連れて帰るとそう思っていましたよ。

 分隊士、大きな声では言えませんが、もうこの戦争はいけません。負け戦です。でも戦い方さえ考えれば個々の戦闘では負けやしません。要はどうやって戦うか、それを考えることです。」

 大きな声では言えないがと断った割には決して小さな声ではなかったが、私も大きく頷いて島田一飛曹に同調した。ただし一言付け加えることを忘れなかった。『勝つために戦うわけではない、陛下とこの国の国民を守るために戦って勝つのだ。』ということを。

 遅くになって宿舎に戻ると高瀬が起きて待っていた。手ひどく酔って呂律の回らなくなっていた私に高瀬は「貴様も負け戦続きの海軍戦闘機乗りらしくなってきた。」と言った。高瀬にしてみれば私に対する精一杯の礼を言ったのかもしれなかった。

 翌日、思い頭を引きずって待機所に向かった。その日は待機任務だった。待機所で搭乗割を確認すると私の割り当ては第二小隊長になっていた。指揮官の安藤大尉に申告を済ませ、私は自分の機体の点検を始めた。

「飛行長から即刻指揮所に出頭せよとのことです。」

背中からいきなり投げかけられた大声で私は後を振り返った。声の主は司令部付の従兵だった。

「分かった。すぐに行く。」

 短く答えると従兵は大きな敬礼をして走り去った。出頭を命じられた理由は大方察しがついた。昨日私が輸送機護衛の指揮を島田一飛曹に委ねたことは部隊内には知れ渡っていた。私のしたことはベテランの下士官からは総じて好意的に受け止められてはいたが、指揮を部下に委ねたことは指揮権の放棄とも受け取られかねない重大事だった。それは軍法会議を免れない規律違反だった。

私は指揮所に向かって歩きながら考えた。そして自分の取った行為について一つの結論に辿り着いた。

「武田中尉、出頭いたしました。」

椅子に腰掛けて飛行場の方を見回していた飛行長はゆっくりと私を振り返った。

「おう、武田中尉、乗り物の点検は終わったのか。」

飛行長は私に向かって笑顔を見せた。

「はい、異常はありませんでした。」

「武田中尉、呼んだ理由は分かっているだろうが島田に輸送機隊護衛の指揮を取らせた理由を聞きたい。士官としての貴様の考えを言ってみろ。」

「指揮は私が執っておりました。島田一飛曹には低速大型機の護衛に関して彼が身につけているその手法を実践するよう命令したのです。」

「指揮官先頭という海軍の伝統は知っているな。」

「知っております。」

「搭乗割りは命令である。貴様は何故それを変更した。島田機を一番に据えたのはどのような理由か。」

口調は穏やかだったが言っていることは「答え様によってはただでは済まさん。」ということだった。

「任務を完遂して全員が無事に帰るためです。小ざかしいと思われるかもしれませんがあえて申し上げます。本来機能体である軍の任務は国家と国民を守ることと考えます。そのために戦闘に勝利するのです。戦闘に勝利することが軍の究極の目的ではありません。その究極の目的を完遂するために合理的に状況を判断して最善と思われる方法を選択して部下に命令したのです。それに伴う責任はすべて自分が負うつもりでした。

 飛行長、もう尋常の方法では海軍は敵に勝てません。それでも機能体としての軍の目的を完遂していかなければならないのなら全員が知恵を振り絞って考えなければなりません。私は自分の執った行動が間違っていたとは思いません。」

「貴様、屁理屈を言いおって。」

飛行長は大声を出した。しかし声の大きさとは異なって怒っている様子ではなかった。

「どうせまた、貴様と高瀬が企んだことなんだろう。高瀬も後で呼びつけて叱ってやろう。」

飛行長は椅子ごとくるりと向きを変えて滑走路の方に向き直った。

「帰ってよい。貴様を心配して部下が迎えに来ているぞ。」

飛行長に言われて振り返ると島田一飛曹たちが少し離れたところで心配そうにこちらを伺っていた。

「待機任務に復します。」

私は敬礼をすると指揮所を出た。そこに島田一飛曹たちが駆け寄ってきた。

「心配するな。飛行長は我々のことを一番考えてくださる物の分かった心の広い方だ。」

 私はそれだけを島田一飛曹たちに伝えて待機所に戻った。そして待機所の一番奥にある椅子に腰をおろした。午前中は平穏に過ぎたが昼過ぎに西部軍から『B二九単機が北九州から南下中。』という情報が入った。