彼我の編隊が交差したと思ったら数機が燃えて墜落して行った。手練の鮮やかな一撃だった。そこからは敵味方入り乱れての格闘戦になったが、二百機近い戦闘機が殴り合いのような空戦を展開しているところを上空から眺めるのはなかなか壮観だった。私は自分の立場も忘れてその壮大な殺し合いに見入ってしまった。

「小隊長、戦闘に参加されたし。」

 列機からの矢のような催促にもかかわらず高瀬はゆっくりと戦闘空域の上を旋回し続けた。
燃え上がる機体、爆発して四散する機体、機体の一部をもぎ取られて独楽のように廻りながら落ちていく機体、そんな光景は傍観者からすれば壮観であっても、当事者にすれば地獄そのものだった。そしてその時の私はまだ地獄絵を傍から眺めている傍観者であった。

「小隊長から各機、我に続け。」

 高瀬の声が無線から流れて来た。映画の観客にでもなったつもりで空戦に見入っていた私は高瀬の声に我に返った。高瀬は機首を上げて高度を取りつつあった。そして高瀬が機首を向けている先に何かが光った。それを見た途端、自分が傍観者から当事者へと立場が変わったことを認識した。私が最初に見た小さな光の反射は口の中に溜まった唾液を飲み込むほどの僅かな間に数十機の敵の編隊へと変わった。攻撃を受けた編隊の救援要請で取って返した敵の戦闘機隊だった。

 高瀬が当初の戦闘に加わらず戦闘空域上空で旋回しながら待機していたのはこの敵の増援部隊に備えるためだった。これが戦闘に加われば不意を突かれることになる味方の不利は免れなかった。高瀬はその数十機の編隊にたった八機で飛び込もうとしているようだった。

「小隊長より各機、突撃隊形作れ。編隊を離れるな。」

 高瀬は高度差を利用して上空から被さるように敵の先頭編隊を目がけて急降下して行った。その後に私達七機も続いた。私はこの時まで光像式照準機のスイッチを入れるのを忘れていた。慌ててスイッチを入れると透き通ったガラスの表面に照準環が現れた。そしてその環の中に小さく見えていた敵機の姿が急激に膨張する風船のように広がっていった。

 高瀬が射撃を開始した。橙色の尾をひく曳光弾が敵の戦闘機に向かって飛んで行き、魔術のように敵機に吸い込まれて行った。そして次の瞬間、敵機は翼が折れ飛んで不規則に回転しながら墜落していった。
高瀬が射撃を開始した直後、私も照準環の中に飛び込んで来た敵機に向かって射撃を開始した。引き金を引いていた時間は一秒もなかったように感じた。射弾は反航してきた敵機の機首から尾翼まで機体全体を打ちのめした。その直後、敵機は呆気なく爆発すると空中に四散した。後続機も何機かを落としたようだった。

 私は高瀬の後に着いて行くのに精一杯で後方を振り返って見る余裕がなかったが、とにかくこの一撃で増援に駆けつけた敵編隊は大混乱に陥った。高瀬は急降下の余勢を駆って機首を引き上げると後尾の編隊を狙った。そして鮮やかな射撃で二機目を墜とした。私も高瀬に倣って最後尾の敵機を狙って引き金を引いたが、射線は敵の後方に大きく逸れて流れて行った。

 第二撃を終えると高瀬は敵と反航するかたちで上昇を続け、戦闘空域から一旦離脱を図った。敵はようやく混乱を脱して反攻態勢を整えつつあったから劣勢の我々としては奇襲による攪乱と早期の離脱はこの場の定石と言えた。

「第三小隊長より飛行隊長、敵増援機数約六十、空戦空域に向かう。」

「七一一飛行隊長より三一○、三小隊長、増援の敵は引き受ける。」

「了解、我、敵機六機を撃墜、なお攻撃中。」

 七一一飛行隊が増援の敵編隊に向かった。これに直援に上がっていた別働隊が加わった。二十数機対五十機の新たな戦闘が始まろうとしていた。一方高瀬は自分の列機を率いて戦闘空域を避けて大きく迂回しながら上昇していた。眼下では新たな空戦が始まっていた。数に勝る敵は余剰の部隊が戦闘空域を抜けて激闘を続けている味方に襲いかかろうと態勢を整えつつあった。高瀬はこれに目をつけると狙いすましたように手練の一撃をかけた。そしてまた一機を撃墜した。私も引き金を引こうとしたが、反航する敵機との相対速度があまりにも速く射撃の機会を失ってそのまま敵機の間を突き抜けた。

 しかし一撃離脱の奇襲攻撃も鮮やかに決まっていたのはこの辺りまでで数に勝る敵は次から次へと新手を繰り出してくるため、味方はそれに引き込まれて乱戦にならざるを得なかった。まず後方に位置していた第二区隊が横手から出て来た新手の敵機に絡まれて格闘戦に入った。そして我々も上昇中に七、八機の敵機にかぶられて行く手を阻まれてしまった。

 高瀬はかまわずに敵機の間を突き抜けて上昇していったが、三、四番機は数機の敵と格闘に入った。私は降下してくる二機の敵機からの射撃を受けながら高瀬を追って上昇を続けたが、距離が詰まるにしたがって正確さを増してくる敵の射撃を避けるために操縦桿を押して降下して離脱した。単機になってしまったので、とにかく一旦空戦空域を離れて高度を取ろうと降下を続けていると前方に四機編隊で低空を這うように戦場から離脱を図るTBFが目に入った。

 『敵は戦闘機。』とは言われたが、このまま見逃すわけには行かないと思い、機体を水平に戻して最後尾の敵に狙いをつけた。こちらの優速を利用して距離を詰めたが、高度が低かったので深い降下角が取れず高瀬に『危険だ。』と言われていた後方からの浅い接敵角度で降下に入った。敵もほとんど同時に私の機体を発見したらしく後方機銃をこちらに指向して私が降下に入るのと同時に射撃を開始した。一機に連装機銃が一基、合計八門の機銃が私に集中した。

『危ない。』

 一瞬そう思ったが『弾などそんなに当たるものか。』という気持ちもあったので、そのまま接敵を続けた。敵機とは二百キロ近い速度差があったために急速に接近したのが幸いしたのか、さほどの命中弾はなかったが敵の射弾が集中して時々弾が当たるたびに機体が震えた。照準環の中に先頭の敵機が大きく膨らんではみ出しそうになった時に引き金を引いた。弾は狙いどおり最後尾の敵機の乗員席あたりに集中して敵を粉砕し、引き裂いた。破れた風防の間から敵の機銃手が血に塗れた顔を天に向けてのけぞっているのが見えた。爆撃手は計器盤にうつ伏して身動きしなかった。操縦手だけが大きく目を見開いて私の方を振り返った。次の瞬間、敵機は左翼が折れてそのまま右回りに回転しながら落ちていった。

 私はそのまま浅い角度で敵の編隊の後方を抜けようとした時、突然風防にいくつか穴が開いた。同時に頭部に何か強い力で弾かれたような衝撃を感じ、急にあたりが暗くなっていった。それからどのくらいの時間が経ったのか分からなかった。気がつくと機体は廻りながらほとんど垂直に降下していた。被弾した時の高度が低かったこともあって地面は間近に迫っていた。

 とにかく垂直きり揉みを止めることが先決と考え、機体を操ってようやくのことで姿勢を直すと今度はゆっくりと機首を上げた。これで機体は水平飛行に復帰したが、発動機からは白煙が噴き出して速度を上げることは出来なかった。いつ敵機が現れるか分からない状況で、私はほとんど地を這うようにして機体を飛行場に向けた。上空では相変わらず空戦が続いている様子で時折飛行機が炎や黒煙を引きながら落ちていくのが見えたがそれが敵か見方かは分からなかった。

 傷ついた機体をあやしながらようやく飛行場の端までたどり着いた時、私は左の首筋に粘りつくような冷たさを感じて、その冷たさの原因を確かめるために手を伸ばした。そして私は自分が負傷していることに初めて気がついた。操縦席に飛び込んできた敵弾のうちの一発が私の側頭部をかすめたのだった。突然、撃墜したTBFの機銃手の顔が浮かんだ。血に塗れた顔を天に向けて仰ぐようにしてのけぞった姿だった。

「人殺ししか。」

 私は声に出して呟いた。戦争とは何の関係も何の感情もない者同士が殺し合うことであることとその理不尽さを改めて実感した。しかしそれと同時に自分の手で敵機を撃墜した手応えと心の高ぶりがあからさまに残っていた。脚を出して滑走路の端を越えたところで何時もより強めに操縦桿を引いてスロットルを絞った。機体は頭を上げ加減にして滑走路に滑り込むとしばらく滑走してから停止した。そこに小型トラックに乗った整備兵と衛生兵が駆けつけた。私は顔の半分を血で濡らしたまま座席に体を預けていたため、風防を覗き込んだ整備兵が「担架。」と大声で叫んだ。その声に驚いて私は風防を開けると手で担架を制して自分で機体を降りて整備兵に機体を預けた。

「分隊士、こいつ、今日はもう飛べません。」

 整備長は私に向かって大声で叫ぶと配下の整備兵に機体を近くのバンカーに退避させた。その作業を見届けてから私は小型トラックの荷台に乗り込むと指揮所に向かった。

「武田中尉、被弾のため不時着。なおF六F一機、TBF一機、撃墜確実。」

飛行長に向かって申告を終えた時、体が揺れたように感じた。

「ごくろうだった。負傷は大丈夫か。下がって治療を受けて来い。」

 飛行長の言葉が遠くに離れていくように聞こえた。「衛生兵、担架。」という声がかすかに聞こえたのが最後で、そこから私の記憶は途切れてしまった。