しばらく抱き締められたまま女土方の舌でこっちの舌を散々弄ばれて久しぶりの女の感触を楽しむどころかほとんど何も出来ないうちにあっという間に僕の抵抗線は総崩れと言う状態に追い込まれてしまった。そして女土方がそれなりに思いを遂げたのか僕の体を離してくれた時にはもう完全に白旗状態で二、三歩よろめくように後ずさりするとロッカーにすがって立っているのが精一杯という状態になってしまっていた。

「あなた、最近とても素敵よ。」

 女土方は僕を見て微笑んだ。そしてきれいな色合いのタオル地のハンカチを取り出すとかろうじて立っていた僕の口を軽く拭ってくれた。きっとだらしなくも口を半開きにして涎でも垂らした馬鹿面をしていたに違いない。

「今度、ゆっくり話そう、ね。」

 女土方はひらりと体を翻して更衣室を出て行った。僕は女土方が出て行ってからもしばらくロッカーにもたれかかって荒い息使いをしながら崩れ落ちそうになる体を支えて耐えていた。何だか足は足、腕は腕、体は体、頭は頭と自分がばらばらになってしまったような感じがした。そして口の中にはまるで生物のようにくねる女土方の舌の感触が未だになまめかしく残っていた。

 ディープキスなんて数えきれないくらいしてきたはずだったのにいくら不意打ちを食らったからと言っても女のキスくらいでこんなにめろめろになってしまった自分が情けなく悔しくもあったが、未だになまめかしさがありありと残っている女土方の舌の感触が懐かしくもあった。

 心は男であっても体や感覚系が女のそれだからこんなになってしまったのかそれ以外に別の理由があるのか僕には見当もつかなかった。その晩は帰宅するとシャワーを浴びて早々にベッドに倒れこんだが女土方の感触が甦って来てなかなか寝付かれなかった。

『もしもこのまま一生を女として暮らさなければいけないのなら男と同棲して男に身を任せるのは到底耐えられることではないのだから女土方のような女と一緒に暮らしていくのもいいかもしれない。『今度、ゆっくり、ね。』とあいつは言っていたが、それは枕を共にしようという意味なのか。それならそれで今度こそは男の尊厳を回復して男の名誉にかけてもたっぷりと楽しませてもらおうか。』

 朦朧とした頭でそんなことを考えてはみたけれど女土方が百戦練磨のビアンなら逆に返り討ちに遭ってそれこそ骨まで抜かれてしまうかも知れなかった。心も体も男のままなら女土方の一人や二人敵ではないのだが、どうも佐山芳恵から預かったこの体がその種の刺激にどう反応するか僕には全く自信が持てなかった。しかしやはり何をどう考えてみても何処をどんなに振り絞っても男に抱かれる勇気は出て来そうもなかったので女の腕の中で快感に浸るのも一興かもしれないなどと考えてみたりもした。

 翌日も何とも複雑な心持で出勤した。特に昨日抱き締められた更衣室内を見ると胸がどきどきと鳴り出した。それでも早く企画書を仕上げないと締切りに間に合わないことから机に向かえばそれなりに集中できたので仕事が停滞することはなかった。

 結局その日も翌日も女土方とは顔を合わすことがなかったが、心の中はとても平静と言えるようなものではなかった。しかし考えてみれば佐山芳恵の体で生活しなければならなくなってからこれが初めての性的な経験と言える出来事だったのだから動悸が治まらないのも無理からぬことと自分を納得させた。

 週末が近づいた木曜、遂に来た。女土方の誘いが。上司に提出する企画書を何とか書き上げて無事に着替えも済ませて会社を出たところに、いた、待ち構えていたように女土方が現れた。女土方の姿を見つけた僕の胸はカンカンと鐘の様に鳴り出した。そんな私の動揺を察知しているかのように女土方は僕の方に颯爽と言う感じで近寄って来た。

「時間は取らせないわ。ちょっとその辺で話したいの、いいかな。」

 女土方の誘いに僕は軽く頷いて答えようとしたが、緊張していたせいか頭ががくがくするほど強く首を振ってしまった。女土方はそんな僕を見てちょっと口元を緩めるようにして微笑んだ。

「取って食べるつもりはないからそんなに緊張しなくても大丈夫よ。じゃあちょっと行きましょう。」

 女土方は先に立って駅とは反対の方向に歩き始めた。そして五分ほど歩いたところでビルの間の路地に入って行き、少し古ぼけた感じのバーの前で足を止めた。

『ここよ』

 女土方は入りなさいという感じで首を振って見せてからドアを開けてくれた。僕は会釈を返して先に中に入った。外側のややうらぶれた様子に比べると中は古典的ではあったが、落ち着いた雰囲気のなかなか良いバーに仕立てられていた。

「あら、咲ちゃん、いらっしゃい。しばらくね。」

 カウンターの中に立っていたママらしい中年の女性が声をかけた。

「今晩は、ママ。今日はお友達を連れて来たわ。」

 女土方はそう言ってからドアを閉めると僕の脇をすり抜けてカウンターの端に席を取った。

「ここが私の指定席なの。」

 女土方は僕の方を振り返って椅子を引くと隣に座れと合図した。そして僕が座ると女土方は「いつものお願い。」と自分の分を頼んでから「あなたは何にする。」と僕に聞いた。僕は自分でビールを頼んでからついでにつまみにソーセージの盛り合わせを追加した。そんな僕を女土方は不思議そうに眺めていた。

「あなた、最近本当に別人じゃないかとびっくりするほど人が変わったように見えるけど好みも変わったの。ワインばかり飲んでいたのに。こんなこと言っては失礼だけど化粧の仕方もはっきり言ってそんなに雑でいいのっていうほどあっさりしているし服装もまるでかまわなくなったみたいだし。」

「そう、本当はね、私、佐山芳恵じゃなくて別人なの。気がついたらこの体に封じ込められていたの。」

 佐山芳恵に変わってから初めて本当のことを言ってやったが、至極当然のことながら女土方は笑って相手にはしてくれなかった。

「本当はフリーで翻訳をしていた男なのよ、今の私。佐山芳恵なんて全く知らない何の関係もない赤の他人なの。でもね、そう言っても元の自分が何処の誰だったかそんなことも分からないんだからそうしようもないんだけどねえ。」