「はい、はっきり申し上げます。元々日本は米英との戦争を戦い抜けるような国力はありませんでした。開戦に踏み切ったのは間違いです。もうこれ以上戦闘を継続するのを止めて講和を考えるべきです。こうしている間にも大勢の有能な青年が死んでいます。私のようなやくざな予備学生はとにかく将来国家を支えていくべき才能を持った人達が『死んでこい。』の一言で次から次へと死んでいます。また海兵出身の士官の中にもほれぼれするような才能や新鮮な感覚を持った人達がたくさんいます。彼等は職業軍人となるための専門的な教育を受けているために我々のようにこの戦争に疑問を持つこともなく、ただ純粋に戦術的な勝利を目指して絶望的な戦闘に身を投じては命を落としています。
今の日本が米英に肩を並べられる唯一の資源は人間です。その唯一の資源をこんな形で消耗してしまったら、これからの日本はどうなってしまうのですか。
この戦争はアジア地域で自国の権益を保全しようとする英国、西太平洋、中国への進出を企てている米国と新興資本主義国である日本との覇権戦争です。大国の権益の中に割って入った日本は満州国を建国し、中国や仏印等のアジア諸国へ軍事進出をして奴等に武力行使の大義名分を与えてしまいました。先ほどの私達の話をお聞きになっていたかも知れませんが、自国の利益を最優先する冷徹な計算で戦争を遂行する奴等に『世界平和のために軍国主義的侵略者を撃つ。』という正義を与えたことは大きな間違いでした。たとえ開戦に踏み切らざるを得なかったとしても、日本が戦争を欲していないことを世界に知らしめて奴等に正義を叫ばせないような方策を取るべきでした。
今、日本はもう米国に対して正攻法を取れるような戦力をなくしています。戦闘を続けなければならないのなら、敵の一番弱いところを急襲しては引き上げるような遊撃戦法しかないと思いますが、通信、索敵、機動力、防御力、補給、物量、兵器の性能、すべての面で大きく劣っている日本にはもう多くを望むことは出来ません。補給線への攻撃、少数による戦線側面への波状的反復攻撃、そんな方法しか考えつきません。機動部隊の撃破、敵の侵攻の撃破など夢物語です。敵の空母の姿を捕らえることだけでも至難の技です。
少しでも有効な戦力を残しているうちに、それを背景に講和を考えることが最良の方法だと思います。陸軍は決戦を叫んでいますが、敵が損害を最少にして勝利を得ようとする合理的な戦法で戦っているから、そこそこ戦線を支えていられるのです。もしも奴等が日本のように損害を顧みずに押してくれば、日本の戦線はあっという間に崩壊してしまうと思います。
日本の陸軍は歩兵の徒歩による機動を基本とした典型的な第一次世界大戦型の陸軍で、自走化された火力と自動車、装甲車、戦車等の機動力を主体としたドイツや米国、ソ連などの陸軍には大きく遅れています。歩兵が装備する機関銃と少数の短射程の曲射砲等による火力では装甲化された米軍を阻止或いは撃破することなど不可能です。
また海軍は侵攻してくる米艦隊を西太平洋で迎撃し、これを撃破することを唯一の目的として建造されてきた単一機能型海軍ですが、現在の戦争は開戦前の予想とは全く違った様相、つまり航空兵力を中心とした機動侵攻、両用戦、護衛戦、通商破壊戦を複雑に組み合わせた総合戦になっています。この戦を遂行するには日本海軍は駒不足です。ところが海軍は律義にこれらすべてを教科書通りにやって除けようとしました。
本来なら最終的な勝敗は別にしても、日本は兵力を一点に集中して敵の弱点を空母機動部隊による機動戦で叩きまくる以外に米国と戦う方法はなかったのに、海軍は陸軍に同調してアジアから西南太平洋全域に兵力をばらまき、唯一兵力を集中することができたミッドウエィ侵攻の時も敵機動部隊撃破の他に島の攻略、陽動としてのアリューシャン攻略等を目的に加え、複雑な作戦を強行して結局失敗しました。
今更こんなことを言っても始まりませんが、私はあの作戦が失敗した原因は兵員の驕りなどではなく、あの複雑な、そして精緻を極めた作戦計画にあると思っています。作戦の目的は出来るだけ単純な方がいいと考えます。目的が複数あると齟齬が生じた時に混乱します。そうでなくとも日本人は盛り込まれたことすべてを、能力を超えても律義にすべてこなそうとします。
そしてこの戦争で一番の問題は作戦の立て方でも戦闘のやり方でもないのです。問題は私達日本人の内側にあるのだと考えます。
日本人は集団の調和を貴びます。皆が同じものを食べ、同じものを着て、同じことを考える社会を好みます。そうした社会では均一な人間を造るために権威付けされた金科玉条を設定して、全員にこれを学習させてその学習の程度で評価をするような教育が行なわれて来ました。つまり個人の個性を圧殺して均等な標準的な人間を大勢造るための教育をしてきたのです。そのような教育は平時の社会では有効かも知れません。教育評価も容易で比較的質の高い、粒の揃った人材を大量生産できるからです。誰もが同じ行動様式、思考様式を持った社会は目的の設定も容易だし、思考の統一も行い易く、短期間で社会を飛躍的に発展させることも可能です。
こうした金科玉条教育は一般社会だけでなく陸海軍でも当然行われてきたでしょうし、そして現在でも続けられていると思います。ところが戦時などの非常時になると状況は全く違います。均一な思考様式ということは、誰が考え、誰が指揮を執っても日本の作戦は同じ様式の繰り返しになってしまい、相手にとってみれば容易にその行動様式を予見できることになります。
例えば陸軍の夜間突撃、このような戦闘様式のない米英は、当初は戸惑って混乱に陥ったかも知れませんが、同じ攻撃を繰り返しているとこれほど対処しやすい攻撃方法はありません。夜間、照明と警報器、自動火器を揃えて濠の中で待ち構えていれば、相手は自分から勝手に火網の中に飛び込んで全滅してくれるのです。犠牲を払って攻略する必要もなければ、手間をかけて掃討する必要もないのです。
海軍にしても同じことです。ミッドウエィの敗戦以来、海軍は目の敵のように敵機動部隊に攻撃をかけては敗戦を繰り返して戦力を消耗しています。奴等は空母を中心に戦艦、巡洋艦、駆逐艦等の護衛艦船がその周りを囲んで輪のようになって行動する輪型陣という陣型と電探と無線機に誘導された防空戦闘機隊や濃密な対空砲火で近づく日本機を皆撃墜してしまいます。味方が手も足も出なくなったのは搭乗員の技量や飛行機の性能だけの問題ではありません。艦隊の手前で近づく日本機を防空戦闘機で迎え撃ち、その網をかいくぐった味方機も輪形陣を構成する各艦の対空砲火が空母を中心に艦隊を屋根のように覆ってしまうため、その中に飛び込んで行けば必ず弾に当たってしまうようになっているのです。つまりは確率の問題です。それを考えずにいくら眦を決して攻撃しても被害が増えるだけで攻撃の効果は少しも上がりません。
奴等は日本の攻撃パターンを研究してそれに対応する作戦を常に考えています。奴等に言わせれば『日本軍の攻撃方法は皆同じなので対応が容易だ。』ということになってしまうのでしょうが。フィリピンにいる時こんな攻撃を考えました。敵の戦闘機が攻撃のため発進した後の基地を戦闘機と艦爆で狙いました。艦爆には五〇番を積んで緩降下で滑走路を狙わせました。滑走路は広くて動かないことから技量の低い搭乗員でも爆弾を命中させることは難しくはありません。そして零戦には三号爆弾を積んで燃料や弾薬の集積所を狙いました。
奴等、攻撃から戻って来て基地は火の海、滑走路は大穴が開いているという惨状で着陸することもできず、全員飛行機を捨てて落下傘降下したそうです。それを見ていた陸軍の連中は大喜びで敵の慌て振りを報告して来ました。勿論奴等のことですから基地の機能はほんの一日か二日で回復して新しい飛行機もすぐに補充されます。それでも数十機をまとめて空中で葬るのは容易なことではありません。それにこんな方法は何度も通用しませんし、今更少しばかり戦果を挙げてもどうにかなるような状況ではないことは分かっています。しかし要は考え方の問題なのだと思うのです。
陸軍にも面白い中尉がいました。奴等は夕方になると占領地域に聴音機を仕掛けて幕営地へ戻って行きます。そして日本の夜襲に備えるのです。その中尉はこれを逆手に取りました。夜間、少数の人員で敵の占領地域に侵入しては手榴弾を投げ、機関銃で敵の野営地を掃射させました。当然奴等は猛然と反撃してきます。しかし、これは予め考慮されていたことで、こちらは充分に備えているのですから被害はほとんどありません。これを何日も、それこそ手を変え、品を変え繰り返したのです。しまいには奴等も疲れて面倒臭くなったのか、あまり撃ち返して来なくなったそうです。そこである晩、何時もと同様に少数で攪乱を行った後、翌日早朝夜が明けないうちに擲弾筒数十発を敵陣に撃ち込んでから、中隊全員で総攻撃をかけたそうです。中隊といっても数十人しかいませんが、敵は一個大隊がほとんど反撃もしないで尻に帆をかけて逃げていったそうです。
そのすぐ後に敵は今まで自分達がいた陣地に砲弾の雨を降らせてきましたが、その頃にはその中尉、武器、弾薬、食料、医薬品等の戦利品を山のように持ち帰って、自分の陣地で銜え煙草で敵が自分達の陣地を砲撃するのを見物していたそうです。敵の火器を分捕ったおかげで中隊の火力は数倍増、そして敵の物資で当時の日本軍の常識からは考えられないような豪勢な生活をしていました。奴等が仇討ちとばかりに攻撃をかけてきても、分捕った自動火器や迫撃砲で反撃して強敵の戦車さえもバズーカ砲という敵の対戦車砲で擱座させて悠然と陣地を守っていました。」
今の日本が米英に肩を並べられる唯一の資源は人間です。その唯一の資源をこんな形で消耗してしまったら、これからの日本はどうなってしまうのですか。
この戦争はアジア地域で自国の権益を保全しようとする英国、西太平洋、中国への進出を企てている米国と新興資本主義国である日本との覇権戦争です。大国の権益の中に割って入った日本は満州国を建国し、中国や仏印等のアジア諸国へ軍事進出をして奴等に武力行使の大義名分を与えてしまいました。先ほどの私達の話をお聞きになっていたかも知れませんが、自国の利益を最優先する冷徹な計算で戦争を遂行する奴等に『世界平和のために軍国主義的侵略者を撃つ。』という正義を与えたことは大きな間違いでした。たとえ開戦に踏み切らざるを得なかったとしても、日本が戦争を欲していないことを世界に知らしめて奴等に正義を叫ばせないような方策を取るべきでした。
今、日本はもう米国に対して正攻法を取れるような戦力をなくしています。戦闘を続けなければならないのなら、敵の一番弱いところを急襲しては引き上げるような遊撃戦法しかないと思いますが、通信、索敵、機動力、防御力、補給、物量、兵器の性能、すべての面で大きく劣っている日本にはもう多くを望むことは出来ません。補給線への攻撃、少数による戦線側面への波状的反復攻撃、そんな方法しか考えつきません。機動部隊の撃破、敵の侵攻の撃破など夢物語です。敵の空母の姿を捕らえることだけでも至難の技です。
少しでも有効な戦力を残しているうちに、それを背景に講和を考えることが最良の方法だと思います。陸軍は決戦を叫んでいますが、敵が損害を最少にして勝利を得ようとする合理的な戦法で戦っているから、そこそこ戦線を支えていられるのです。もしも奴等が日本のように損害を顧みずに押してくれば、日本の戦線はあっという間に崩壊してしまうと思います。
日本の陸軍は歩兵の徒歩による機動を基本とした典型的な第一次世界大戦型の陸軍で、自走化された火力と自動車、装甲車、戦車等の機動力を主体としたドイツや米国、ソ連などの陸軍には大きく遅れています。歩兵が装備する機関銃と少数の短射程の曲射砲等による火力では装甲化された米軍を阻止或いは撃破することなど不可能です。
また海軍は侵攻してくる米艦隊を西太平洋で迎撃し、これを撃破することを唯一の目的として建造されてきた単一機能型海軍ですが、現在の戦争は開戦前の予想とは全く違った様相、つまり航空兵力を中心とした機動侵攻、両用戦、護衛戦、通商破壊戦を複雑に組み合わせた総合戦になっています。この戦を遂行するには日本海軍は駒不足です。ところが海軍は律義にこれらすべてを教科書通りにやって除けようとしました。
本来なら最終的な勝敗は別にしても、日本は兵力を一点に集中して敵の弱点を空母機動部隊による機動戦で叩きまくる以外に米国と戦う方法はなかったのに、海軍は陸軍に同調してアジアから西南太平洋全域に兵力をばらまき、唯一兵力を集中することができたミッドウエィ侵攻の時も敵機動部隊撃破の他に島の攻略、陽動としてのアリューシャン攻略等を目的に加え、複雑な作戦を強行して結局失敗しました。
今更こんなことを言っても始まりませんが、私はあの作戦が失敗した原因は兵員の驕りなどではなく、あの複雑な、そして精緻を極めた作戦計画にあると思っています。作戦の目的は出来るだけ単純な方がいいと考えます。目的が複数あると齟齬が生じた時に混乱します。そうでなくとも日本人は盛り込まれたことすべてを、能力を超えても律義にすべてこなそうとします。
そしてこの戦争で一番の問題は作戦の立て方でも戦闘のやり方でもないのです。問題は私達日本人の内側にあるのだと考えます。
日本人は集団の調和を貴びます。皆が同じものを食べ、同じものを着て、同じことを考える社会を好みます。そうした社会では均一な人間を造るために権威付けされた金科玉条を設定して、全員にこれを学習させてその学習の程度で評価をするような教育が行なわれて来ました。つまり個人の個性を圧殺して均等な標準的な人間を大勢造るための教育をしてきたのです。そのような教育は平時の社会では有効かも知れません。教育評価も容易で比較的質の高い、粒の揃った人材を大量生産できるからです。誰もが同じ行動様式、思考様式を持った社会は目的の設定も容易だし、思考の統一も行い易く、短期間で社会を飛躍的に発展させることも可能です。
こうした金科玉条教育は一般社会だけでなく陸海軍でも当然行われてきたでしょうし、そして現在でも続けられていると思います。ところが戦時などの非常時になると状況は全く違います。均一な思考様式ということは、誰が考え、誰が指揮を執っても日本の作戦は同じ様式の繰り返しになってしまい、相手にとってみれば容易にその行動様式を予見できることになります。
例えば陸軍の夜間突撃、このような戦闘様式のない米英は、当初は戸惑って混乱に陥ったかも知れませんが、同じ攻撃を繰り返しているとこれほど対処しやすい攻撃方法はありません。夜間、照明と警報器、自動火器を揃えて濠の中で待ち構えていれば、相手は自分から勝手に火網の中に飛び込んで全滅してくれるのです。犠牲を払って攻略する必要もなければ、手間をかけて掃討する必要もないのです。
海軍にしても同じことです。ミッドウエィの敗戦以来、海軍は目の敵のように敵機動部隊に攻撃をかけては敗戦を繰り返して戦力を消耗しています。奴等は空母を中心に戦艦、巡洋艦、駆逐艦等の護衛艦船がその周りを囲んで輪のようになって行動する輪型陣という陣型と電探と無線機に誘導された防空戦闘機隊や濃密な対空砲火で近づく日本機を皆撃墜してしまいます。味方が手も足も出なくなったのは搭乗員の技量や飛行機の性能だけの問題ではありません。艦隊の手前で近づく日本機を防空戦闘機で迎え撃ち、その網をかいくぐった味方機も輪形陣を構成する各艦の対空砲火が空母を中心に艦隊を屋根のように覆ってしまうため、その中に飛び込んで行けば必ず弾に当たってしまうようになっているのです。つまりは確率の問題です。それを考えずにいくら眦を決して攻撃しても被害が増えるだけで攻撃の効果は少しも上がりません。
奴等は日本の攻撃パターンを研究してそれに対応する作戦を常に考えています。奴等に言わせれば『日本軍の攻撃方法は皆同じなので対応が容易だ。』ということになってしまうのでしょうが。フィリピンにいる時こんな攻撃を考えました。敵の戦闘機が攻撃のため発進した後の基地を戦闘機と艦爆で狙いました。艦爆には五〇番を積んで緩降下で滑走路を狙わせました。滑走路は広くて動かないことから技量の低い搭乗員でも爆弾を命中させることは難しくはありません。そして零戦には三号爆弾を積んで燃料や弾薬の集積所を狙いました。
奴等、攻撃から戻って来て基地は火の海、滑走路は大穴が開いているという惨状で着陸することもできず、全員飛行機を捨てて落下傘降下したそうです。それを見ていた陸軍の連中は大喜びで敵の慌て振りを報告して来ました。勿論奴等のことですから基地の機能はほんの一日か二日で回復して新しい飛行機もすぐに補充されます。それでも数十機をまとめて空中で葬るのは容易なことではありません。それにこんな方法は何度も通用しませんし、今更少しばかり戦果を挙げてもどうにかなるような状況ではないことは分かっています。しかし要は考え方の問題なのだと思うのです。
陸軍にも面白い中尉がいました。奴等は夕方になると占領地域に聴音機を仕掛けて幕営地へ戻って行きます。そして日本の夜襲に備えるのです。その中尉はこれを逆手に取りました。夜間、少数の人員で敵の占領地域に侵入しては手榴弾を投げ、機関銃で敵の野営地を掃射させました。当然奴等は猛然と反撃してきます。しかし、これは予め考慮されていたことで、こちらは充分に備えているのですから被害はほとんどありません。これを何日も、それこそ手を変え、品を変え繰り返したのです。しまいには奴等も疲れて面倒臭くなったのか、あまり撃ち返して来なくなったそうです。そこである晩、何時もと同様に少数で攪乱を行った後、翌日早朝夜が明けないうちに擲弾筒数十発を敵陣に撃ち込んでから、中隊全員で総攻撃をかけたそうです。中隊といっても数十人しかいませんが、敵は一個大隊がほとんど反撃もしないで尻に帆をかけて逃げていったそうです。
そのすぐ後に敵は今まで自分達がいた陣地に砲弾の雨を降らせてきましたが、その頃にはその中尉、武器、弾薬、食料、医薬品等の戦利品を山のように持ち帰って、自分の陣地で銜え煙草で敵が自分達の陣地を砲撃するのを見物していたそうです。敵の火器を分捕ったおかげで中隊の火力は数倍増、そして敵の物資で当時の日本軍の常識からは考えられないような豪勢な生活をしていました。奴等が仇討ちとばかりに攻撃をかけてきても、分捕った自動火器や迫撃砲で反撃して強敵の戦車さえもバズーカ砲という敵の対戦車砲で擱座させて悠然と陣地を守っていました。」