「俺達はこの国の再建の仕方を間違ってしまったのかもしれない。戦争に敗れて、廃墟の中から立ち上がって、『豊かに、もっと豊かに。』それを合い言葉のようにお互いに声をかけ合って国を立て直してきた。『豊かに、豊かに、そしてもっと豊かに。』
この国はもう充分豊かになったはずだ。世界でも屈指の経済力を背景にした何の不自由もない生活。それなのに誰もそれを豊とは思っていない。永遠に満たされることのない飢餓に狂った小鬼のように、その満たされることのない腹を抱えて彷徨っている。
誰もが狂ったように金漁りに走り、当然の帰結としてそれが崩壊すると、今度は莫大な金を抱えて、残った金を使うことも忘れて怯えている。
この国には共通の規範もない。共通の価値観もない。そのくせ、個人にしても自らの基準も価値観も何も持ち合わせていない。ただ満たされることを知らない餓鬼のように手当たり次第に何でもかんでも口の中に押し込んで、そしてひもじい、ひもじいと叫びながら、止めどもないその不満を、際限なく肥大していく。何を間違えてしまったんだろう。それともこれが自然な姿なんだろうか。
高瀬、もう俺もそんなに長くこの国を見ていることができなくなった。何も出来ずに、お前達には申し訳ないように思うが、何だかほっとしてるよ。
あの時も今も、この国の本当の敵は、この国の国民自身だったのかも知れない。」
しばらく高瀬の墓の前で佇んでいたが、ゆっくりと立ち上がって車を待たせてある場所に向かって歩き始めた。肌につき刺さるような陽射しと空にそそり立つ積乱雲が五十五年前のあの頃を思い出させた。
車で空港に寄って、預けてある機体の点検を済ませてから事務所に翌日の出発時間やその他の細かい連絡をしてホテルに引き上げた。
車の運転手に料金の他にそれなりの心付けを手渡すと部屋には上がらずにレストランに寄って軽い夕食を取った。独りで食事をするのにはもう慣れていた。食事の他にビールを頼んで漸く暮れかけてきた窓の外の風景に目を向けた。光の当たっていた部分が少しずつ闇の世界へと置き換えられて、その中に人工的な光の点が少しずつ数を増していった。五十五年前とは違った明るい夜がやって来ようとしていた。
「灯火管制か。」
敵の空襲を避けるために夜間はすべての灯火を落とすか、光源を布等で覆って遮蔽した。月のない夜は墨を流したように暗かった。その中で息を潜めるようにして誰もが生活していた。夜が明るく輝く時は、その光の下で街が焼かれ、人が殺された。地上の闇は爆弾や焼夷弾の閃光と炎によって破られ、空の闇は燃えて墜ちていく彼我の飛行機の炎で引き裂かれた。あの頃、光は破壊と殺戮の象徴だった。
「御注文の品はお揃いですか。他に御用がございましたらお呼びください。」
料理を運んで来たウエイターが皿やグラスを並べ終わって私に声をかけた。自分の世界に浸り切っていた私は突然声を掛けられて驚いて振り返った。
「あ、ああ、ありがとう。」
口篭るように答えた私にウエイターはよく訓練された笑みを浮かべてさがっていった。料理は半分も手をつけなかったが、久し振りのビールは喉に心地好かったせいか追加を頼んで、結局三杯も飲んでほろ酔い加減で部屋に引き上げた。
部屋に戻ると窓際に椅子を寄せて出窓に写真を置いた。茶褐色に変色した古い写真の中に当時海軍最後の戦闘機といわれた紫電二一型を背景にして私と高瀬の二人が立っていた。
「高瀬、おれももう年を取り過ぎた。それに癌で長くは生きられない。明日、お前達のところへ行くよ。お前が望んで出来なかったことを引き継ごうと一生懸命やって来たつもりだったが、あの頃と同じように時代の流れにはとても抗し切れなかった。それでもあの頃お前が精一杯、本当に命をかけてやっていたようにおれも精一杯やったよ。」
私は椅子の背に体をもたせかけて目を瞑った。久し振りに飲んだビールの酔いも手伝って、私は軽い眠気を感じた。
『このまま少し転た寝をするのもいいか。』
そう思って眠りに引き込まれるに任せた。目の前に昨日見てきた紫電が浮かんだ。三十数年、海底に沈んでいた紫電は機体の至る所に腐食の痕が痛ましかったし、復元は乱暴でつぎを当てられたように無造作に貼り付けられた金属板が無残だった。しかもプロペラは着水の衝撃で内側に折れ曲がっていた。それでも両脚を踏みしめて空に向かって吠え掛かるような精悍な姿は失われてはいなかった。私はずっと以前から果たそうとして果たせなかった紫電との再会にただ無言で立ち尽くしていた。
五十五年前、敗戦によって陸海軍は解体され、復員してもこれといってすることもなく、にわか雇いのアルバイト軍人のくせに敗戦ショックだけは職業軍人も顔負けなほど背負い込んだ私達は、大学に復学はしたものの焼け残った廃工場に集まっては工場の片隅で安酒を飲みながら色々と議論をした。
『何故あんな戦争をしたのか、どうして敗れたのか、どうすればよかったのか。』
そんな類の議論だった。ただ国力がなかった、資源がなかった、技術がなかった、そんな答えは相手にされなかった。
『日本人の思考には柔軟性も合理性もなかった。』
『日本は結局欧米に対する劣等感を拭い去ることができなかった。緒戦に勝利して有頂天になって、それだけで目的を達成してしまったように錯覚して、その後何をしたらいいのか分からなくなってしまったのではないか。』
『当時、中国と事を構えたのは最大の間違いだった。中国に対しては軍事費を削減しても経済、技術援助を中心とした経済進出をすべきだった。当時の日本は欧米から見ればとにかく、アジアでは押しも押されぬ最先進国だった。中国の資源と日本の当時の技術力、軍事力を背景にして英米と交渉すべきだった。』
『日本人には客観的に状況を判断して、それを基礎にした国家の将来について冷徹な計算をすることができなかった。
劣等感から吹き出して来る感情的な国粋主義や経済力、技術力の裏付けもない選民思想を先行させて戦争に突入してしまった。』
『少なくともハルノートを突きつけられた時に、日本が戦争を欲してはいないことを何らかの形で世界に知らしめておくべきだった。
例えば米英の経済封鎖の解除を条件に東南アジアから撤兵する。次に即時中国国内での攻勢的軍事行動を停止して米英の仲介と日本資産の保全を条件として、中国からの撤兵と、そして講和を図る。その間三国同盟は凍結する。
ハルノートの内容と日本は戦争を欲していないという基本的国策を世界に公表しておけば、万策尽き果てて戦争に突入したとしても、ある程度、日本の正当性は主張できたはずだ。そしてあんな馬鹿げた東京裁判でも米英に論破されることはなかったはずだ。』
『軍人は陸軍にしても海軍にしても、視野が狭く長期的な展望を持っていなかった。
特に陸軍は物資が不足していることを何の裏付けにもならない、行き過ぎた精神論で糊塗して客観的な事実を見ようとしなかった。そして、それは海軍も程度の差こそあれ同じことだった。
海軍はある程度の合理性も身に着けていたし、思考の柔軟性もあった。それでも大艦巨砲主義による洋上迎撃作戦一本槍で、他には何の戦術、戦略もなかったし、それだけのために作り上げた組織だった。
ところが戦争の様相は航空機を主兵とする高速機動部隊による航空機動戦だった。勿論どこの国も予想外の戦争の様相、展開に最初は戸惑った。それでも米国はこの変化に柔軟に対応して組織や編成、人事までを組み替えていった。
日本もこうした変化に迅速に対応していれば、勝てないまでも、あれほど惨めな負け方はしなくて済んだはずだ。』
そんな議論が毎晩延々と続いた。我々の仲間には海軍も陸軍もいた。戦闘部隊の者もいれば、経理、兵站等の後方支援を担当していたものもいた。航空、造船、火砲、銃器等の設計製造を担当していた技術者もいた。
共通点といえばお互いの年齢と、軍人にもなりきれず、そうかといってこれまで日本が育てて築き上げてきたものを何の考慮も取捨選択もなく、簡単に時の流れと感情だけですべて捨て去って、たった一日で民主主義者になりきったような顔をする無節操さも持ち合わせていないということくらいだった。そんな者達が戦争論議を延々と続けていた。
今のように公表された資料もほとんどなく、それどころか戦争を口にすることは、戦争中反戦を口にするのと同様に絶対禁避の時代だった。
ある日、私はこんなことを言った。
『今度の戦争は、日本という職人集団国家と米英を中心とした冷徹な哲学によって高度に組織化された国際同盟との戦争だった。
職人は自分達の個人的な立場で最高を求めた。国際同盟は客観的な判断と計算によって組織の目的を定めて、それは当然同盟による世界の主導権の確保だが、その目的に向かって合理的に冷徹に戦争を遂行した。
職人はその腕に覚え込ませた高度な技術で、個々の局面では組織を圧倒することもあった。しかし、日本という職人集団はその個々の技能を一つの目的に向かって統合して行使する術を持たなかった。
だからこの国に新しい規範を創ろう。新しい世の中を造ろう。精神的にも物質的にも真に世界の一流国に名を連ねることができるような、そんな国を造ろう。』
この国はもう充分豊かになったはずだ。世界でも屈指の経済力を背景にした何の不自由もない生活。それなのに誰もそれを豊とは思っていない。永遠に満たされることのない飢餓に狂った小鬼のように、その満たされることのない腹を抱えて彷徨っている。
誰もが狂ったように金漁りに走り、当然の帰結としてそれが崩壊すると、今度は莫大な金を抱えて、残った金を使うことも忘れて怯えている。
この国には共通の規範もない。共通の価値観もない。そのくせ、個人にしても自らの基準も価値観も何も持ち合わせていない。ただ満たされることを知らない餓鬼のように手当たり次第に何でもかんでも口の中に押し込んで、そしてひもじい、ひもじいと叫びながら、止めどもないその不満を、際限なく肥大していく。何を間違えてしまったんだろう。それともこれが自然な姿なんだろうか。
高瀬、もう俺もそんなに長くこの国を見ていることができなくなった。何も出来ずに、お前達には申し訳ないように思うが、何だかほっとしてるよ。
あの時も今も、この国の本当の敵は、この国の国民自身だったのかも知れない。」
しばらく高瀬の墓の前で佇んでいたが、ゆっくりと立ち上がって車を待たせてある場所に向かって歩き始めた。肌につき刺さるような陽射しと空にそそり立つ積乱雲が五十五年前のあの頃を思い出させた。
車で空港に寄って、預けてある機体の点検を済ませてから事務所に翌日の出発時間やその他の細かい連絡をしてホテルに引き上げた。
車の運転手に料金の他にそれなりの心付けを手渡すと部屋には上がらずにレストランに寄って軽い夕食を取った。独りで食事をするのにはもう慣れていた。食事の他にビールを頼んで漸く暮れかけてきた窓の外の風景に目を向けた。光の当たっていた部分が少しずつ闇の世界へと置き換えられて、その中に人工的な光の点が少しずつ数を増していった。五十五年前とは違った明るい夜がやって来ようとしていた。
「灯火管制か。」
敵の空襲を避けるために夜間はすべての灯火を落とすか、光源を布等で覆って遮蔽した。月のない夜は墨を流したように暗かった。その中で息を潜めるようにして誰もが生活していた。夜が明るく輝く時は、その光の下で街が焼かれ、人が殺された。地上の闇は爆弾や焼夷弾の閃光と炎によって破られ、空の闇は燃えて墜ちていく彼我の飛行機の炎で引き裂かれた。あの頃、光は破壊と殺戮の象徴だった。
「御注文の品はお揃いですか。他に御用がございましたらお呼びください。」
料理を運んで来たウエイターが皿やグラスを並べ終わって私に声をかけた。自分の世界に浸り切っていた私は突然声を掛けられて驚いて振り返った。
「あ、ああ、ありがとう。」
口篭るように答えた私にウエイターはよく訓練された笑みを浮かべてさがっていった。料理は半分も手をつけなかったが、久し振りのビールは喉に心地好かったせいか追加を頼んで、結局三杯も飲んでほろ酔い加減で部屋に引き上げた。
部屋に戻ると窓際に椅子を寄せて出窓に写真を置いた。茶褐色に変色した古い写真の中に当時海軍最後の戦闘機といわれた紫電二一型を背景にして私と高瀬の二人が立っていた。
「高瀬、おれももう年を取り過ぎた。それに癌で長くは生きられない。明日、お前達のところへ行くよ。お前が望んで出来なかったことを引き継ごうと一生懸命やって来たつもりだったが、あの頃と同じように時代の流れにはとても抗し切れなかった。それでもあの頃お前が精一杯、本当に命をかけてやっていたようにおれも精一杯やったよ。」
私は椅子の背に体をもたせかけて目を瞑った。久し振りに飲んだビールの酔いも手伝って、私は軽い眠気を感じた。
『このまま少し転た寝をするのもいいか。』
そう思って眠りに引き込まれるに任せた。目の前に昨日見てきた紫電が浮かんだ。三十数年、海底に沈んでいた紫電は機体の至る所に腐食の痕が痛ましかったし、復元は乱暴でつぎを当てられたように無造作に貼り付けられた金属板が無残だった。しかもプロペラは着水の衝撃で内側に折れ曲がっていた。それでも両脚を踏みしめて空に向かって吠え掛かるような精悍な姿は失われてはいなかった。私はずっと以前から果たそうとして果たせなかった紫電との再会にただ無言で立ち尽くしていた。
五十五年前、敗戦によって陸海軍は解体され、復員してもこれといってすることもなく、にわか雇いのアルバイト軍人のくせに敗戦ショックだけは職業軍人も顔負けなほど背負い込んだ私達は、大学に復学はしたものの焼け残った廃工場に集まっては工場の片隅で安酒を飲みながら色々と議論をした。
『何故あんな戦争をしたのか、どうして敗れたのか、どうすればよかったのか。』
そんな類の議論だった。ただ国力がなかった、資源がなかった、技術がなかった、そんな答えは相手にされなかった。
『日本人の思考には柔軟性も合理性もなかった。』
『日本は結局欧米に対する劣等感を拭い去ることができなかった。緒戦に勝利して有頂天になって、それだけで目的を達成してしまったように錯覚して、その後何をしたらいいのか分からなくなってしまったのではないか。』
『当時、中国と事を構えたのは最大の間違いだった。中国に対しては軍事費を削減しても経済、技術援助を中心とした経済進出をすべきだった。当時の日本は欧米から見ればとにかく、アジアでは押しも押されぬ最先進国だった。中国の資源と日本の当時の技術力、軍事力を背景にして英米と交渉すべきだった。』
『日本人には客観的に状況を判断して、それを基礎にした国家の将来について冷徹な計算をすることができなかった。
劣等感から吹き出して来る感情的な国粋主義や経済力、技術力の裏付けもない選民思想を先行させて戦争に突入してしまった。』
『少なくともハルノートを突きつけられた時に、日本が戦争を欲してはいないことを何らかの形で世界に知らしめておくべきだった。
例えば米英の経済封鎖の解除を条件に東南アジアから撤兵する。次に即時中国国内での攻勢的軍事行動を停止して米英の仲介と日本資産の保全を条件として、中国からの撤兵と、そして講和を図る。その間三国同盟は凍結する。
ハルノートの内容と日本は戦争を欲していないという基本的国策を世界に公表しておけば、万策尽き果てて戦争に突入したとしても、ある程度、日本の正当性は主張できたはずだ。そしてあんな馬鹿げた東京裁判でも米英に論破されることはなかったはずだ。』
『軍人は陸軍にしても海軍にしても、視野が狭く長期的な展望を持っていなかった。
特に陸軍は物資が不足していることを何の裏付けにもならない、行き過ぎた精神論で糊塗して客観的な事実を見ようとしなかった。そして、それは海軍も程度の差こそあれ同じことだった。
海軍はある程度の合理性も身に着けていたし、思考の柔軟性もあった。それでも大艦巨砲主義による洋上迎撃作戦一本槍で、他には何の戦術、戦略もなかったし、それだけのために作り上げた組織だった。
ところが戦争の様相は航空機を主兵とする高速機動部隊による航空機動戦だった。勿論どこの国も予想外の戦争の様相、展開に最初は戸惑った。それでも米国はこの変化に柔軟に対応して組織や編成、人事までを組み替えていった。
日本もこうした変化に迅速に対応していれば、勝てないまでも、あれほど惨めな負け方はしなくて済んだはずだ。』
そんな議論が毎晩延々と続いた。我々の仲間には海軍も陸軍もいた。戦闘部隊の者もいれば、経理、兵站等の後方支援を担当していたものもいた。航空、造船、火砲、銃器等の設計製造を担当していた技術者もいた。
共通点といえばお互いの年齢と、軍人にもなりきれず、そうかといってこれまで日本が育てて築き上げてきたものを何の考慮も取捨選択もなく、簡単に時の流れと感情だけですべて捨て去って、たった一日で民主主義者になりきったような顔をする無節操さも持ち合わせていないということくらいだった。そんな者達が戦争論議を延々と続けていた。
今のように公表された資料もほとんどなく、それどころか戦争を口にすることは、戦争中反戦を口にするのと同様に絶対禁避の時代だった。
ある日、私はこんなことを言った。
『今度の戦争は、日本という職人集団国家と米英を中心とした冷徹な哲学によって高度に組織化された国際同盟との戦争だった。
職人は自分達の個人的な立場で最高を求めた。国際同盟は客観的な判断と計算によって組織の目的を定めて、それは当然同盟による世界の主導権の確保だが、その目的に向かって合理的に冷徹に戦争を遂行した。
職人はその腕に覚え込ませた高度な技術で、個々の局面では組織を圧倒することもあった。しかし、日本という職人集団はその個々の技能を一つの目的に向かって統合して行使する術を持たなかった。
だからこの国に新しい規範を創ろう。新しい世の中を造ろう。精神的にも物質的にも真に世界の一流国に名を連ねることができるような、そんな国を造ろう。』