それから推手 | 萩天の空

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1999年(平成11年)1月23日、qwt10030さんとしている推手が、両手に入りました。この頃には、二人とも少しは力が抜けた状態で、推手が打てだしていた様に思います。

この年の4月から、1年365日を3交代勤務で対応する職場にかわったため、決まった曜日の決まった時間の教室には、行けない事態となって、T–Tさんの教室を休むことも多くなりました。
その代わりに、一人で自習をする事を覚えて、長居公園・桃が池公園・靭公園・中之島公園など職場の移動に伴って、転々といろいろな公園で、太極拳を打つ事が多くなりました。

このことが、私の太極拳人生を、大きく良い方向へと舵が、切れたような気がします。

2001年(平成13年)8月30日に、初めて訪れた万代池公園も、それらの一つでした。だけど、万代池公園には、他の公園とは大きく異なっている事がありました。当時、簡化24式太極拳の全日本チャンピオンの山田荘司先生が、主宰されている教室が、元旦から大晦日まで1年365日、雨の日以外毎朝太極拳を練習されていて、何時行っても、皆さんが練習しているのに合うことができました。
5・60名の方々が練習している横で、私は一人で呉式太極拳を打ちます。

一人で毎日練習するようになってから、時々こころがくじけて、落ち込むときもあります。そんな時に万代池公園に行くと、皆んなから元気がもらえて、また、一人でガンバレルようになったものです。

皆んなとも顔見知りになって、私が太極推手を打っているのを知ると、推手をやりたい人が出てきました。2004年(平成16年)4月10日、S氏・I氏と初めて推手をしました。万代池公園から少し離れたところにある、大領公園でやりました。彼等から、万代池公園では教室のプログラム以外の事を、してはいけないと言われたからで、場所を変えたからです。その後、S夫人・M嬢・S.Iさん・Oさん・M女史と、人数が増えていきました。しかし、暑くなってきたのと、時間が万代池公園でのプログラムが、終わってからということもあって、夏には、消滅してしまいました。ただ、7月11日から、私との推手を始めたK嬢は、熱心で二人で汗だくになりながらも、練習は続きました

その頃、私が新しく入ったT–Tさんの土佐堀の教室で会って、今もお付き合いのある七星さんとも、教室の始まる前の数分間推手を練習することになりました。この年(2004年)の11月23日には、七星さんが万代池公園にやって来て、I氏達とも推手をされました。

2005年(平成17年)4月16日、T–Tさんによる推手講習会を経て、6月4日からT–Tさんの中百舌鳥の教室で、月1回、第一土曜日が推手の教室になって、生徒全員が推手に触れるようになりました。講習会では、qwt10030さんと二人で助手を務めることができました。