25日目 東海道 天竜川→浜松宿→高塚
歩いた日:2013年11月2日(土)
天気:
ときどき![]()
歩いた距離:11.0km
前回 見付宿→天竜川の様子はこちら
前回のゴール 天竜川駅近く、六社神社からスタート。
秋祭りも終わり、とても静かです。
浜松アリーナ。
いろんなスポーツ施設が入っているらしいです。
そこに浮世絵。
浜松宿は本陣が6つ、旅籠が49もあったそうです。
この絵は冬の図。 すごい大きい焚火。寒そう~。
浜松駅まであと3km。
浜松宿到着です。
江戸からここまで歩いて来ました~。
ん。![]()
この顔に キュン ときたら110番![]()
浜松いちおしのゆるキャラ。 出世大名 家康くん。
ゆるきゃらグランプリ 日本一を狙っているらしく・・・。
浜松の街そこら中に旗が立って、一日一票だそうです。
6つある本陣のうちの一つ。梅屋本陣跡。
裏には・・・
Site of Umeya ~。 ・・・ for daimyo~。 こりゃ面白い。
浜松の中心部を抜け少し静かに。
すごく古そうな 濱納豆屋さん。 看板には菊のご紋が。
味噌とか売ってました。
あった~。![]()
今回はこれを観るのが主目的。
すごくちっちゃいSL ケ91です。![]()
軽便鉄道用なのですごくちっちゃいんです。
私はこれにすごい思い入れがあります。![]()
幼い頃、これに乗って旅する番組が大好きだったからです。
その名は・・・ 走れ!ケ100 。これのモデルです。
走れケ―100とは?
こちらをみてください。→ 走れケー100
こっちも → 走れケ-100(2)
自分で意思を持って、道路とか、水の上とか走っちゃうんんです。
かっこいい。![]()
お別れするのは悲しいですが、先へ進みます。![]()
舞坂宿まで11kmかぁ。。どうすっかなぁ。
ひたすら同じ風景の道が続きます。・・・
これは飽きる~。 結構つらい。。。![]()
途中、諏訪神社とか、熊野神社とか、どこかで聞いたことある
歩いても歩いても同じような景色で、飽きちゃったんで、
JR高塚駅で今回は終わりにしました。
その後、浜松城へ・・・。
城の地下には井戸が。
24日目 東海道 見付宿→天竜川
歩いた日:2013年10月13日(日)
天気:晴れ![]()
歩いた距離:9.0km
前回 袋井宿→見付宿の様子はこちら
・・・で、翌朝。
今日も旧東海道はお祭りで賑やかです。
長森の立て場跡と長森こうやくの看板。
長森こうやくは江戸時代、あかぎれや切り傷によく効く薬として、
このまま、まっすぐ行くと、天竜川土手なんで、
旧東海道は右へ。
このへん、国道1号バイパスが入り組んでいて、わかりにくいです。
旧道へ。
天竜川の渡し場は時代とともに変わっていて、
こちらは池田の渡し場。歴史風景館に立ち寄りました。
広重の浮世絵で当時の雰囲気の浸ります。
なにやら人だかりが・・・![]()
天白神社の秋祭りでした。
のこった、のこった。![]()
天竜川を渡るためには現代の橋に行かないといけません。
橋は、はるか遠くに・・・。
土手を超えて川原に。 あ~れ~
橋をくぐってどうする。![]()
いろいろあって、なんとか、橋に出れました。
歩道がある新天竜川橋を渡ります。
長さは約1km天気がよくて良かった。
右写真の橋は旧橋で歩道がないんです。
このへんは天竜川を利用した流通がさかんで、かなり栄えたそうです。
このへんはあちこちに
東海道お休み処協力隊の 道はまっすぐ。街道らしい光景。
椅子があります。 でも、”かめ”ってのが気になる。。![]()
この蔵は明治時代に伊豆から石を運んで作られた蔵だそうです。
ちょっと洋風な蔵ですね。
軽便です。お腹がゆるいわけではありません。
鉄道ですよ。
明治42年から昭和12年まで人を乗せて走ってたそうですよ。
実物見てみたいなぁ。
そして・・・・。
姫街道と東海道の追分です。
甲州街道、中山道、東海道と、長らく、
大変お世話になったパパさんの地図。
パパさん一家はここから姫街道に入ってしまいました。
ここからは自力で歩かなければなりません。![]()
笑うサラリーマンならぬ、笑う整骨院 と 東海道の杉並木。
ほぼ全員はっぴ姿で、村民ではない私ですが、
かき氷100円でクールダウン。
超大盛りでビックリ。
地元の方としばし談笑。
ほんとは浜松まで行きたかったけど、
ではまたいつか。![]()
23日目 東海道 袋井宿→見付宿
歩いた日:2013年10月12日(土)
天気:晴れ![]()
歩いた距離:11.0km
前回 掛川宿→袋井宿の様子はこちら
秋になり、東海道復帰です。
しかし、暑い・・・。![]()
袋井丸凧が有名らしいですが、 こうじ屋さんなんてのも珍しいです。
旧東海道に突然山車が現れて賑やかに。![]()
この連休は秋祭りラッシュだったみたいです。
東海道どまんなか西小学校。
どまんなかにも東西範囲が広いです。。。
旧澤野医院。
江戸時代末期から昭和初期にかけて使用された病院で、
木原一里塚。
コネ神社(←漢字がでない。)
またの名は木原権現社。
徳川家康公の腰掛石。
関ヶ原の戦い勝利祈願として訪れ座ったそうです。
では、私も・・・。 あれ~ 縦にひびが・・・![]()
![]()
先ほどのもそうでしたが、上に将軍様
とかが乗っているのが、
この地域の特徴みたい。
磐田市に入ります。
ここで、チェックポイント。
しばらく進み、江戸の道はさらに左へ。
江戸の古道の道しるべは平成五年製。
さすが、サッカーの街。
気になる看板。
高台なので昔は富士山が見えたのかもしれません。
この先には何があるんだろ。
気になるなぁ。
そして、ここだけは寄りたかった、旧見付小学校。
明治8年に建てられた日本に現存する最古の木造小学校校舎です。
洋風だけど、城にも見えて、不思議なデザインです。
中では授業中。
カツオくんが立たされてます。緊張な面持ちで音読。
当時の机と椅子。
ノートと鉛筆が無い時代で、黒板にロウで書いていたようです。
床を観てください。![]()
床板が斜めに張ってあるんです。 こんなの初めてみました。
この学校を作った棟梁は宮大工で、徹底的に強度を増すために、
右写真のように床は2重構造になっています。
建物自体も日本の城の構造を基本にしているそうで、
ガリ版だそうです。
すっかり長居して、先に進みます。・・・![]()
遠州の国、国分寺跡。
どこの国にも国分寺はあるんですね。当たり前か・・・。
いきなり現代の街に。。
ジュビロくん と ジュビィちゃん。 女の子がいたのは知らなかった~。
旧東海道は磐田の駅前を右折。
ん~。ちょっとさみしい所。
またまた、急にお祭りの一団が。
宮之一色一里塚。
この一里塚の前に・・・。
おー。
スーパー銭湯だ。
モチベーションが100% → 0%に急降下。![]()
銭湯でまったりすることに決めて、
突然ですが、本日はここで終了。
またあした~。![]()












































































































