33日目・34日目 東海道 岡崎宿 →池鯉鮒宿
天気: 概ねはれ![]()
歩いた距離:16.0km
前回 藤川宿→岡崎宿の様子はこちら
いままでの全記録はこちら
冬眠からさめたので、東海道復活です。![]()
ちょっと訳ありで二日間にまたがります。
昨年は中岡崎駅、”れ”の看板まででした。
ここからスタート。 八帖って書くんだ。へぇ。
八丁味噌発祥の地。![]()
見学したかったけど、時間の都合でパスしました。 無念…。
外人さんと修学旅行の生徒さんが話をしていました。
あとから知ったのですが、この外人さん、
東海道を江戸から歩いてる旅人でした。ビックリ。
このへんは純情きらりの撮影地。
あおいちゃんの手形とタッチ。![]()
矢作川を渡ります。 出合いの像。
日吉丸(後の豊臣秀吉)が奉公先から逃げ出して、
街道らしい微妙にまっすぐな風景。![]()
アンパンマンの仲間
なんていう名前だっけ?
元第一岡崎海軍航空隊の碑です。
第2次大戦中、戦力増強のため、飛行予科練習生
育成のため設置され、全国から若き精鋭を鍛えて
いたそうです
このわきには鎌倉街道の碑が。
京都と鎌倉を結ぶ街道がここにあったらしいです。
面白い名前のバス停が。 宇頭茶屋説教所。
永安寺です。 ここに寄ったのは・・・。
雲竜の松です。樹齢300年。
この松は幹が上へ伸びず、竜のように横に伸びています。
この形がなんともすばらしい~。迫力があります。![]()
幹の中心部。
京からの旅人に出会いました。
来迎寺の一里塚。 なんと両側に残ってました。
道端で珍しいものが。。
この馬に子供が乗って揺らすやつ。 なんていう名前でしたっけ?
この辺を歩いていると、明治用水に関するものがたくさんあります。
農業用、工業用の水を供給する用水で、幕末・明治維新期に、
全国に先駆けて作られ、10万石以上の利益を得て大成功した
そうです。
明治用水。初めてきいた気がするけど、学校の教科書にも
松並木の中に、浮世絵ポイント。
lこのあたりは大きな馬市があって、馬の売買が盛んだったそうです。
昔、仕事の関係でこちらにお世話になりました。
池鯉鮒宿に入ります。
踏切注意の汽車ポッポのバージョン。
大根切干 買入所
大根の切干を買い取ってくれるのか
はて![]()
![]()
中心部に入って来ましたが・・・・。
もう、夕暮れなので、本日はここまでとしました。![]()
本陣跡は少し離れたところにありました。
そして・・・。 翌日・・・。
今日は名古屋観光しようと思ったのですが、
次回を楽にするために少しだけ進みます。
問屋場跡をスタート。
こんなところにお城があったとは。シロスキーな方は必見です。
桶狭間の戦いで落城し、江戸時代の初めには将軍の休憩用御殿に
そして、ここの名物と言えば、あんまきです。
老舗の小松屋本家に寄り、あんまきを買いました。
シンプルですが、旅人には必須の品ですね。
たくさんの有名人も来ています。
杏ちゃんも。
先に進みます・・・。![]()
珠算塾の前にて。
そろばんをもった ゆるキャラ
が哀れな姿で・・・。![]()
急所が破裂して、穴が・・・。(爆)![]()
これ、どう考えても生徒の仕業だな。
知立神社です。
この神社、西暦112年に創建され、
とっても由緒ある古い神社だそうです。
1900年前からあるとは凄い。 なんか興奮します。![]()
こちら、知立神社 多宝塔。
明治40年に国指定重要文化財になっています。
明治40年に指定ってのも凄い。
850年に創建され、一度焼失、1509年に再建されたらしいです。
スケールが違いますわ。
しばし、泣きまくるニワトリと談笑。
さて、街道に戻り・・・。
大津まで146km。射程距離に入ったか。![]()
ちょっとまだ早いか。
刈谷市に入りました。
喫茶アシの横と通り。。
左の白い建物が目印です。 ここを左。
せっかくなんで、名古屋ブラブラして帰ろう~。






















































