僕はよくその質問をします。


友達、同僚、上司、後輩、お客さん、、、


◯◯さんにとって幸せってなんですか?とも聞きます。


少し話ができるようになった人にはこれでその人をおおよそ掴みにいきます。


自分が思っている人物像とのギャップを確認しにいき、その人の人と成りを知りにいきます。


人に興味があるし、もっと知りたいと思うからです。


また自分と似ているのかそうでないかを確認しにいきます。


こんな話をするようになったのはここ7~8年かと思います。


むしろよく知っている、親しくしている人のなかにこの質問をしていない人はいないと思います。


答えは色々ありますが、自分と大枠の考え方が似ている人は2~3割、全く噛み合わない人が残りという割合。


噛み合わない人との間でも自分の考えを伝えれば伝わる人は半分くらいいます。


ちなみに噛み合わないとは「そんなこと考えたこともない」という返しです。


僕はそういう時は不思議でたまりません。


この人は何のために何を思って毎日暮らしているんだろう。


物事を考える尺度はどこにあるんだろう。


そう感じると少し距離をつめるのをやめてしまいます。


但し後輩、同僚程度のフラットな関係であれば「じゃあ幸せな時はどんな時なん?」と質問を投げ掛け、少し深掘りしていきます。

そんななかで話が盛り上がり、互いのことを話すきっかけにもなり仲良くなることも多くあります。


逆にいうとそれが目上の上司にあたる人であれば、心からついていくことができません。


おかしいんでしょうか?最近はそういうことが多く、自分のなかですごくおもしろくない環境にいます。


考え方は違えどもそれぞれのそれなりにできあがった価値観があり、互いに理解し、尊重しあって共存する、力をあわせて何かをやる、これが僕の理想の暮らしです。


目先のことばかりしか見ておらず、特に深く考えることなく日々暮らしている人は毎日何を考えているんだろう。

それはそれで幸せなのは分かるが、もっと豊かに幸せに暮らしたい。


僕はそのストレスに押し潰されそうです。

日々苦痛であるが、そんななかでも理解者はいる


本当にありがたい。


このブログでは愚痴ばかり書いている気がするが、実はそこまで僕は恵まれていないわけではない。


非常に人には恵まれている方であり、これまで楽しみながらここまできたのもそのおかげである。


心から信用できる人も尊敬できる人も自分にはいると本音で言える。


それもあってより人に求める目線が高くなっている部分もあり、様々な違和感を感じることも多い。


要は本物を知ってしまったという感じである。


知らなければ感じない違和感も知ってしまった以上強く感じる。


誤魔化しは効かないのである。


だから今苦痛のなかにいるのであり、そういった意味では人に恵まれ、豊かに暮らしてきたと思う。


これからも


今の状況は良くないが、決して全てが悲観的ではない。

多分とっくの前には限界を超えている


何故今も辞めないのか


それは聞いてもらうべき人にまだ話ができていないからだけなのかもしれない


もしかすると話を聞いてもらえばすっと次の行動に出ることになるかもしれない


周りから見てネガティブな判断だとしても


自分のなかでは消化して判断できるような気がする


そうなれば一気に今の感覚から解放されるだろう


例えどんな結果にやろうとも


それくらい僕は信用しているし、その人のことを尊敬しているのであろう


今週の金土曜が山場。


あとは判断してからの行動の取り方だけかな、たぶん。


後から振り返れば今の状況がとるにたらない状況と思う可能性は十分あるが、今の状況の苦痛はとるにたらないものではない。


結果的に次の行動でマイナスに働いてもその判断、結果をとるにたらないものと後から思えれば僕の判断は勝ちである


反省はするが、後悔はせずにここまでやってきた。

今は基本的に戦うといった判断をした後の逃げるという判断で間違っていないはず。


全部戦って勝てるわけはないと、そう自分にも言い聞かせている部分はあるが、、、