人生の大決断の後、
結婚生活と新しい会社での仕事が
ほぼ同時にスタートしました。

引越しや転勤は度々経験してきたので、
当時は無難に新しい環境に
順応していたと思っていました。

しかし、知らず知らずのうちに
負荷がかかっていたのかもしれません。

36歳で結婚したので、
結婚当初から妊活を意識していましたが、
そんな負荷もあってなのか
全く妊娠の気配はありませんでした。

1度だけ入籍前・入社前に
生理が遅れたことがありました。

「結婚式も控えているし、
入社前に妊娠したら
せっかく採用してくれた会社に
迷惑をかけてしまう」

「今じゃない」と思ったら
遅れて生理が来てしまいました。

1年妊娠しなければ不妊症
という定義に従い、
37歳でクリニックに通い始めます。

友人や義妹も妊娠した
隣県のクリニックです。

タイミング法の指導や
人工授精の治療中は、
生理予定日1週間後まで
生理が来なければ
妊娠検査のために通院する指示でした。

実は1週間以上遅れたことが
3回ありました。
うち2回は通院しようと思ったら
生理がスタートしてしまいましたが、
1回は間に合いました。

しかし、内診で胎嚢は見えず
hcgは10程度、
化学流産という診断でした。

入籍前も含めて、
それまでの遅れた生理も
着床はしていたのかもしれません。

その後、顕微授精に進みます。
数ヶ月ホルモン剤で身体を整えて
採卵前には毎日注射、
卵が4~6個採れて初期胚1~2個でき、
新鮮胚での移植を3回繰り返しましたが
うまくいきませんでした。

ある周期には移植後にも関わらず、
鍼灸院の移植前鍼灸の情報を見て
「これをやったら妊娠できるかもしれない」
と興味を持ってしまいました。

やってみたい願いが叶って、
妊娠しませんでした。

その後都内のクリニックに転院します。
当時低刺激・高刺激も
分かっていませんでしたが、
このクリニックは低刺激で
低AMHの私には合っていたようです。

採れる卵は少なかったものの
毎回1~2個胚盤胞ができました。
私の胚盤胞移植の着床率は
高かったのですが、
その後妊娠は継続しませんでした。

陽性判定をもらっても、
「赤ちゃんは元気に育つのか」
「私はママになれるのか」と
毎回不安の気持ちが大きかったです。

その不安を察してか、
赤ちゃんはいなくなってしまいました。

最後の着床の時は、
PGT-Aの募集をしていた頃です。

「PGT-Aが気になる」
「これが化学流産ならその対象になる」
と思ったら、
化学流産になりました。

恐ろしいことに、
妊娠が継続しなかった過去は、
自分の思考が望んだものだったのでした。