たのもー!!
ども、札幌のコーチング&カウンセラー まさかなんてんです。
北の大地も、本格的に暑くなってきました~。30度近くあがって、きました。
暑いのが苦手なわたしにとって、耐える日々の始まりですわ。
暑いと油断して、冷やしすぎると、今度は体調不良になる…更年期なお年ごろには辛いです。(T_T)
という不満を盛大にもらしてます。
夏だって、楽しいことはいっぱいある。面白いこともある。
花火も楽しみだし、夏の涼やかなファッションも好き♡ 夏の果物、メロンも美味しくなるし。
水辺の景色を心から満喫できる。
うむ、捉え方しだい。自分次第。
環境とか状況とか、変えられないものもあるけど、
自分のココロは、変えられる。
「不満」は、
自分が望むこと(自分の頭のなかにあること)と、現実が一致してないから出てきます。
現実が変えられないなら、変えられるのは自分の方。
なのですが、
愚痴放題、悪口放題の母は、自分を変えようってしてないんですな。
誰かが何とかしてくれるのを待っている。
待ってるまんまで、不満の世界に生きている。
自分で不幸の中にはまって、永住してるんです。
だから、
感じたこと、思ったこと、が、ぜーんぶ「愚痴」&「悪口」。
「人を不愉快にさせる」なんていう自覚はないんです。
感じたこと、事実だと思ってることを、そのまま話してるだけだから。
世間話、よもやま話、日常会話におけるごく当たり前のふつーの話題と思ってる。
「不快」なものを出しちゃってる自覚なし。
愚痴を言われて不快になる理由はいくつかあります。その一つが、
「何とかなしなくちゃ」
「私がお母さんを救わなくちゃ」
「私がお母さんを幸せにしなくちゃ」
と思ってしまうこと。責任感を感じちゃうことなんでね。
でも、すべてを解決することはできません。
むしろ、
自分を変えようとしない人に、「幸せ」「満足」を感じてもらうこと自体、難しい。
お母さんを幸せにできない、お母さんを救えない自分を、責めてしまいます。
自分の「無力感」を味わうことになります。
(ちなみに、この責任感は男性の方がより強く感じます。だから、愚痴をこぼすとアドバイスするか「うるさい」って怒っちゃう)
それを感じるのがいやで、お母さんの要望を叶えようとしてしまう。
(だって、お母さんに、幸せでいて欲しいから。心の奥底で、そう願ってるから。)
でも、いっこうに幸せにならないお母さん。エンドレスな不快感…。
そりゃー、疲れますよね。
「愚痴を聞いてあげるのも親孝行」という意見もあります。
思わずこぼれてしまった愚痴であれば、その捉え方もありでしょう。
が、
延々と続くダダ漏れの愚痴は、「親孝行」じゃなく、「犠牲」だと思うのです。
無自覚に愚痴だらけの母は、どうして不幸の中に住み続けていられるのか?
それはね、
娘に愚痴を言うことで、その場しのぎのストレス解消ができているから。
故に、自分を変えるなんて、エネルギーがいる大変なことは、しないってこと…。
「犠牲」になるのか、自分を大切にするのか、
選ぶことは、できるのです。
せいやっ!!