2025年8月 2度目の新型コロナに感染しました
ご無沙汰いたしました。「喉を切り裂くような痛み」。「唾を飲み込むことさえ辛い」。新型コロナの感染者が増え、1医療機関あたりの感染者数のニュースを聞くようになったのは、8月に入ってからだったでしょうか。なにしろ「流行には敏感」な私。今までも、流行のあった「感染症」には大抵り患してしまっていた過去があります。「新型コロナ」にはちょうど2年前、やはり夏の盛りに感染しました。そのときの記録は次のものです。『2023年8月 新型コロナに夫婦で感染しました。』ブログの更新ができずにおりました。今月になって妻、私と立て続けに新型コロナに感染しました。妻は、先週から職場にも復帰できていてすっかり調子が戻ったのですが、…ameblo.jpさて今回の感染。私はは8月15日から6泊で「京都一人旅」にまた出かけていました。どのような経緯をたどったか。前回も記録していたことで忘れていたことを確認できました。今回も私たち夫婦の備忘録として、そして何より「流行」していることは間違いないようで、それをお知らせするために記録を残しておきたいと思います。8月21日(木)京都一週間旅の最終日。疲れだけは溜めないように、免疫力が下がらぬようにと気を張っていた一週間でした。普段は夜中に目が覚めることは少ないのですが、この旅では毎晩のようにトイレに一度は起きていました。自宅と違い気密性の高いホテル。クーラーを切って寝ても十分に冷えたままだったので、汗をかかなかったせいでしょう。この日も午前11時のチェックアウトに合わせて、8時過ぎくらいまでは寝ていようと目覚まし時計をセットしていました。前夜は帰りの荷造りのため、床についたのが午前1時過ぎ。この日も午前5時半くらいにトイレで目が覚めます。このとき一つ目の「油断」が。せっかく早く目が覚めたのだから、最後に午前7時から始まる「東本願寺」の「晨朝法要」に参加しようと。あの日本最大の大きさを誇るお堂に響き渡る「読経」の声。ここ京都でしか味わえない私には貴重な時間をもう一度と、寝不足にもかかわらず準備を始めます。この日の「御影堂」の中は、小学生でいっぱいでした。子どもが多いからと言って、「法要」の内容は変わりませんでした。私があれくらいの年齢だったら、きっと飽きてしまうか再びまどろみら中へと連れていかれたところでしょう。その日の子供たちの懸命にお経本のページをめくる姿、背すじをピンと伸ばしている姿に改めて私も気を引き締められたことを覚えています。8時半くらいにホテルの部屋に戻ります。テレビでは高校野球の熱戦中。ゆっくり観戦しながら、11時にチェックアウト。ホテル近くの大好きなお蕎麦屋さんで早々にランチ。この旅最後の京都での食事を終え、お正月以来お参りできていなかった「西本願寺」へ。両堂をゆっくりお参り。「西本願寺」は「ブックセンター」の品揃えが充実しているのも訪れる楽しみの一つ。数冊の本を購入し、「西本願寺」を後にした頃に、鼻の奥の方にかすかに「痛み」を感じ始めたのが最初の違和感でした。そこから歩いて「東寺」へ。毎月「21日」は境内で「弘法市」が開かれます。私は初めての「市」への訪問。小さな「日傘」で顔面への直射だけを避けて、何とか境内へとたどり着きますが全身汗でずぶ濡れ。鼻の違和感は持参していたメントールののど飴で癒しながら、その「市」の規模の大きさに目を見張りつつ「東寺」を後に。近鉄の「東寺」駅から一駅だけ乗車し、「京都駅」へと戻り「556蓬莱」の「豚まん」をお土産に買って午後3時半過ぎ、想い出多き「京都」を後に。東京駅では、仕事帰りの妻が出迎えてくれ、夕食に向かったのは「インデアンカレー」。この旅では「京都市内」を一歩も出ることがなかったので、関西名物のスパイスの利いたこのカレーが無性に食べたかったこと、そしてあのカレーを何の違和感もなく食べられたのですから、このときは喉に全く異変がありませんでした。8月22日(金)この日は持病の診察のための通院日。体が鉛のように重かったのですが、「旅の疲れ」だったのかもしれませんし、コロナの症状だったのかもしれません。今回の旅でも連日20,000歩から30,000歩を歩いていました。「鼻の奥」の違和感は気にならなくなっていたことも記憶しています。この日も夕食は自宅で通常通り食べていたようです。午後10時半。そろそろ風呂に、と思い念のため検温。すると何と「37.4℃」。普段から起床時に検温していますが、この夏もせいぜい「36.4℃」ほどしかない私ですから、この体温は前回のり患時以来のものでした。「新型コロナ」を疑い、前回同様隣の実家に蒲団を持参し「別居」を開始します。入浴は断念し、濡れタオルで体を拭いて横に。午前0時の就寝時には「37.7℃」に上がっていました。8月23日(土)翌朝、最初の検温記録では午前8時で「36.8℃」でした。ぐっすり寝たせいか前日あった「体の重さ」も緩和されています。さらに、世間で言われている「強い喉の痛み」は全くなく、鼻水が少し出ていた程度でした。9時半「36.7℃」、11時半「36.7℃」と推移します。前回も「コロナ」の判定をしてくれた地元のかかりつけ医は前週から、この翌日までの間が「お盆」による「休診中」でもあり、この時はこのまま安静にして様子を見ようとも思っていました。妻が差し入れてくれた「おにぎり」を昼食にとり、13時に検温すると再び「37.5℃」に。13時50分「37.8℃」と上がったため、土曜の午後でも受診が可能な、4駅先の総合病院に発熱時の受診の確認をし、マスクをしてきてくださいとの指示を受け、出かける直前、再度検温すると「36.8℃」に下がっていました。15時20分、妻に「コロナでした(泣)」のLINEを送信しています。ちなみに病院では手首での検温方式で「36.3℃」でしたが。院内で「処方箋」を地元の薬局チェーンに送信。「コロナ」であることも知らせます。電車で戻る間に、「薬の準備ができた」との連絡をもらい、薬局に着くと他の患者さんもなく(土曜の午後ですし)、スムースな受け渡しで薬も受け取れました。この「処方箋送信方式」というのは、待ち時間を大幅に短縮できるのでこれまでも重宝していましたが、この日も有難さをとても感じました。何しろ前回は別の薬局で、調子の悪い中、炎天下の直写日光の下を待たされたのに比べると天と地でした。帰宅後は、17時15分「37.6℃」、軽い夕食をとり横になった18時40分も「37.6℃」でしたが、21時には「38.0℃」、23時半「37.5℃」で就寝し、夜中に目が覚めたときの計測で午前3時45分「38.0℃」、午前5時15分「38.2℃」がピークでした。8月24日(日)午前6時半には目覚め「37.7℃」だったのですが、9時20分の計測では何と「36.3℃」に下がっていて、これ以降すべて36℃台前半しか記録せず、発熱が終わります。鼻水は多少あるものの、鼻の奥の違和感は消え、咳はまったくないものの咳払いをすると若干の喉のからみもあったので腫れていたのに気がつかなかっただけだったようです。結局37℃以上の熱があったのは土曜の就寝時から起床時、午後の受診前、そして21時からこの日の起床時までの短い間で済みました。この日の朝、妻には別の重大な症状が出ます。起床時に「目が回った」とのこと。しばらくすると落ち着いたとのことでしたが、気持ちが悪くて食事がとれないとのこと。こんな時に、何の手助けもできないことがとても歯がゆかったです。私は隣の家で回復してきていましたが何もできません。以前に父も同様のことがあったので、日曜日でも受診が可能な耳鼻科を私が探して、午後には乗り換えも含め6駅先の医院を妻が受診します。結果は「良性発作性頭位めまい症」との診断を受け、薬をいただいて無事に帰ってきました。私のり患も大きなストレスになったことでしょう。そして何にもできないことがただ無念でした。妻はその後、ときどき軽い症状があるものの症状は落ち着き、通勤もできております。8月25日(月)私は前日午前に熱が下がって以来、すっかり元に戻っていました。妻もめまいが落ち着いていたので出勤。この日は、妻が出掛けている間、自宅に戻り溜まっていた洗濯など。お昼休みに、めまいの調子はよいとの電話を妻からもらい、私のコロナも移さずに済んだかなと思っていたのですが…。夜、うつろな目つきでマスク姿で帰って来た妻。聞けば夕方から突然、調子が悪くなってきたとのこと。検温すると妻の熱は「37.7℃」に。その後22時頃には「38.8℃」まで上昇。移してしまったことは明らかでした。妻の熱のピークは私より高かったのですが、この「初日」のものが結果的に最も高く済みました。私も蒲団を自宅に戻し看病開始。と言ってもときどき声掛けして水分をとらせる程度しかできませんでしたが。この日、妻は20時くらいに横になり、そのまま朝まで横になっていました。今回の「コロナ」の不思議だっさたのは、解熱剤を服用したこともあるのでしょうが、0時くらいには妻の体温も一度「36℃台」を推移したことでした。8月26日(火)私はもうすっかり回復。妻は、朝から「37℃台前半」を推移。前週、休診中だったかかりつけ医を受診し、妻の「新型コロナり患」も確定。この日は21時の「37.0℃」を最後に、その後は「36℃台」へ。妻も喉の症状はほぼなくなったのですが、私より鼻炎はひどかったでした。8月27日(水)妻の体温も平熱に戻り、かなり暇そうでしたが「めまい」の症状も多少あったことから、安静にしつつ首を動かしめまいの「リハビリ」をしながら過ごします。私はこの日で発熱からまる5日が経過し、翌日からは外に出てよいと言われていた日を迎えました。妻も翌日には出勤できるくらいに回復していましたが、この週いっぱいは出勤が停止されていたので、自宅でおとなしくしているほかありませんでした。振り返ると結果的にわずか「1日程度」で発熱も治まり、鼻・喉などの症状が出なかったり患でした。二人とも持病があり、重篤化があっては困ります。世間で言われていた「喉」の症状も違っていたので、流行の型と違うものだったのかもしれません。前週の旅行先では、多くが「夜間」の外出をして、人混みは極力避けていたつもりでした。しかし、地下鉄やバスなど密閉された空間に連日のように身を置いていました。また、今回の旅では「写真映え」で有名な場所も訪ねています。みんなが触れたテーブルの上にカメラを置き、何枚もの撮影にも夢中になっています。そして何しろ、昼間は40℃に迫る猛暑。「マスク」は持参していましたが、「着用」はしていませんでした。夏の「マスク着用」は、体温調整との兼ね合いもあるので、実にもどかしい問題があります。冬の旅では、明らかな「睡眠不足」で体力を消耗し、今回同様「インフルエンザ」をお土産に帰ってきました。(ブログでは当時の旅をまだまとめられていません。)春の旅も、その反省を生かし「睡眠時間」第一で過ごしていましたが、今回もやはり「流行」に負けてしまいました。今更ながらですが、これだけ「り患」するのも、私の「生きがい」でもある「カメラ」にあるのでは、と思いいたりました。「スマホ」も同様です。いろんなところを触れては次に必ず触れているのが、「カメラ」と「スマホ」です。そもそも「還暦」を過ぎているのに、まだまだいっぱい歩けるという「体力」への過信もあったかもしれません。旅をしながら「平和」の大切さを実感し、病気になって「健康」の大切さを改めて知る。幸いたまたま「軽症」で済んだことが何よりでしたが、旅先での「発熱」だったとしたら、いくら軽く済んでも大変なことになっていたと思います。「大難」へと至らなかったことが何よりのことでした。今回の経験をいつまでも忘れることのなきよう、そして発症前からの経緯が何かのご参考になればと思いまとめさせていただきました