昨年の札幌旅行の様子を書いておりましたが、昨日は大手百貨店として61年振りとなる「そごう・西武労組」によるストライキの現場に出会ったため、その様子をカメラに納めてまいりました。

 

本日は、旅行記を中断してそちらの記事をアップいたします。

 

昨日は通院の日でした。病院と昼食を終え、乗換駅の池袋に戻りました。

前日からの報道で聞いてはいたものの、やはり閉まっている姿を見ると、幼い頃から一番慣れ親しんでいるデパートだけに、今後どうなってしまうのか不安な気持ちになりました。

 

このストの最中にもかかわらず、経営陣は取締役会で売却の決議をしたということが、携帯のニュースでもお昼ごろに流れました。赤字を放っておくわけにはいかないものの、組合員に今後の雇用や事業の継続について説明のないままの売却報道には、理不尽さを感じています。

 

かつて鉄道でのストライキが春闘で毎年の恒例行事のように実施されていた頃も「西武鉄道」だけはストライキがなく、鉄道が止まることがなく、ここ池袋駅では、かつての国鉄への乗り換えができなかった人々の長蛇の列を空撮で報道していたことが思い出されます。

実際、私の学生時代には鉄道ストが予定されているので休校になった日があったように記憶しております。

 

大規模百貨店では、60年を超えてストライキがなされていなかったということは、労使の話し合いがよくできていたということでしょうか。かつての百貨店は週に一度の定休日があり、閉店時間も18時くらいだったと記憶しています。つまり仕事帰りではもう閉まっていた。それが定休日もなく、閉店時間も大幅に伸びてくれたおかげで、社会人時代はどれだけ便利に利用させていただいたことか。そんなふうに百貨店で働く方々の労働環境もこの半世紀では大きく変わっているわけなのですが、ストがなかったといのは驚きでした。

 

日本国憲法にも定められている「団体行動権」。若い方々が「初めて見た」とニュースでコメントされているのを拝見しましたが、私にとってもデパートのストは、初めて見たことになります。

 

貼り紙は至るところにありました。

 

「西武」と言えば、かつて堤義明氏による「鉄道グループ」と、兄の堤清二氏による流通の「セゾングループ」の勢いはとどまるところを知らないのかと思っていました。

 

グループは違えども、「西武ライオンズ」が優勝を飾ると「大バーゲンセール」が始まるわけで、西武百貨店だけでなく、スーパーの「西友」も含め、一日中、松崎しげるさんの熱唱する球団歌「地平を駆ける獅子を見た」がエンドレスでかかっていた店内の熱気の思い出は、今思うと百貨店隆盛の頂点を極めていた姿でした。

 

西武池袋駅地下改札から東京メトロ有楽町線方面に続く、百貨店入口前の柱はすべてが「電光」化されていたことにも改めて気づきました。

そのすべてに「全館臨時閉館」を知らせる表示がされている様子は異様でした。

 

そしてこれは午後1時半くらいだったと思います。百貨店前の地下道にこれほど人がいないのは終電近くの時間でなければあり得ない光景でもあります。

 

余談ですが1988年10月19日、同級生の近鉄の阿波野投手を応援に川崎球場に駆け付けた帰り道、負けずして優勝を逸し、西武のリーグ優勝が決まったあの日、この地下道ではこれらの柱のすべてに「西武ライオンズ優勝おめでとう」のポスターが貼られていて、打ちひしがれての帰り道、ますますがっかりしながら、西武鉄道に乗って帰らざるを得ない自分は一人、くしゃくしゃになって歩いたことを思い出していました。

 

こちらも地下通路。

 

こちらは一階。奥は西武池袋線の改札です。

 

明治通り沿いの外へと出ました。巨大なシャッターが昼間閉まっているのは異様に感じます。

 

この通り沿いにあり、百貨店と建物の内部でつながっているこちらのドラッグストアも閉まっています。

 

商品の納入口ももちろん閉鎖。右の緑の階段は4階まで続いていて「まつりの広場」という広場へと続きます。この広場では、サッカーの王様ペレに直接指導を受けたり、この階段では始発に乗って開店までの5時間近く、デビュー間もない頃のサザンオールスターズの「田園コロシアム」ライブのチケットを「赤木屋プレイガイド」で購入するために並んだ古い古い思い出が一瞬にして蘇ってきます。

 

かつてはない本はないとも言われた「リブロ」もここにありました。

昔は上層階のいくつかのフロアに分かれて展開していて、角川映画ブームの真っ最中、中学時代の友人とともに今年お亡くなりになられた「森村誠一」氏のサイン会に行ったことを思い出します。

やはりここも明治通りを挟んで「ジュンク堂書店」が東京に進出。いま建て替えのための工事中の神保町の「三省堂書店本店」に行かずとも、池袋ではたいていの本を探すことができるのは嬉しい限り。このように街の「文化」が形成されていくことを実感します。

 

「リブロ」が下層階に移った後も、レコードなら無いものはないのではと思える品揃えの「WAVE」。TULIPの財津和夫氏がソロデビューしたときに、シングルレコードのジャケットにサインをもらいました。

 

私にとっての文化の集積地。書き出したら思い出だらけです。

 

パーキングもシャッターを下ろしています。

 

大きなパーキングなので、昨日は駐車場所を探すのに苦労された方もいらっしゃったのではないかと思います。

 

閉まっていても、猛暑の中それを知らせるために制服のまま立っていらっしゃる姿に頭が下がります。

 

明治通りから中に入ったこちらの入口にも報道の方がいらっしゃいます。

 

こちらはかつては「リブロ」、現在は三省堂書店池袋本店の入口でもあり、夜、百貨店の閉店後も営業するなど、中では百貨店とつながっていながら、百貨店とは区切られているので営業しているのではないかと思い訪れたのですが、昨日は「全館」が閉館ということで、書店も臨時休業となっていました。

 

程なく報道陣に動きがありました。つい反応してしまうのは、昔の名残りです。

 

すると入口に車が横付けとなりました。誰かが乗り込んだのですが、この時はどなたかわかりませんでした。

 

帰ってから報道を確認したら、取締役会の後に西武を訪ねた、「セブン&アイの井阪隆一社長」でした。

 

これが最後の西武池袋店への訪問ということになるのでしょうか。

 

来た道を戻り、明治通り沿いにパルコ方面へと行くと沢山の人が集まっていました。

 

のぼりを持っていらっしゃる方や・・・。

 

横断幕を持ち、道行く人々にアピールをされる方。帰って報道を確認しましたら、「ヨドバシ」はここの、デパートの一番北側にあたるこのあたりの位置の、何フロアーかが割り当てられる予定になっている、と報じているものを見ました。

 

池袋の北口の小さな店舗から出発した「ビックカメラ」。カメラ好きの私にとっては、新宿まで行かなくてもカメラが手に取れたり、カメラ用品が手に入るのですから開店したときはどれだけ嬉しかったことか。しかし当初はまだまだ店が小さかったので、すべての用品が揃っているわけではありませんでした。

何しろ新宿には「ヨドバシ」のみならず、カメラの「さくらや」まであったわけですから、「カメラ=新宿」みたいなイメージを、「ビックカメラ」の発展により払拭しただけでなく、今や全国展開のお店まで発展させたのは、当時思いもしなかったことです。今でも「カメラ」の名を店名に残すものの、一体カメラは売り上げの中のどのくらいの比率なのでしょうか。

 

「ヨドバシ」発祥の新宿に「ビック」が出店して以来、月日は流れましたが、いよいよ「ビック」発祥の地に「ヨドバシ」が開かれる日が現実となったようです。

フロアが「ヨドバシ」の進出により、西武のフロアは減ることになります。オーナーが変われども、その雇用はしっかり守ってほしい。

西武池袋本店を始め、全国の西武百貨店が今日まで愛されてきている理由を踏まえて、しっかりその文化を引き継いだ店づくりがされることを、一利用者ではありますが、半世紀にわたるファンとして切に願っております。

 

街頭にはOBの方も加わってアピール。

 

現在「Louis Vuitton」が入っている部分も昨日は休業。こちらの前でもビラを配っています。ここも「ヨドバシ」になってしまったりするのでしょうか。としたらば、かなり雰囲気は変わってきます。

 

その隣は「パルコ」。こちらはいつもと変わらず。明治通りを挟んで反対側には「H&M」のビルもできたので、そのロゴが扉に映り込んでいました。

 

その「パルコ」前から北の方にカメラを向けると、右に旧三越池袋店を居抜きで店を構える「ヤマダ電機(LABI)」。道を挟んだ斜め向かいが「ビックカメラ」の池袋本店です。この狭い範囲に、家電量販店が集中することになります。

 

スト中の皆さんに応援していることを伝え、私も一度、買い物のためにこの場所を離れました。

 

一時間ほど後に帰り道でまたこちらを通ります。蒸し暑さの中、長時間立ち続けられている皆さんの体調も心配になります。

 

とその時、またもやカメラに囲まれた方がこちらに歩いてきました。

 

そごう・西武労働組合の「寺岡泰博委員長」でした。

 

多くの支援に感謝の意が伝えられました。

 

そして寺岡委員長から、ストの経緯とこの日の街頭での活動を終了することの説明がありました。

 

報道陣の周りにも沢山の人々が集まり見つめます。

 

労働者の結束するこの姿・願いが、新しい経営者にも届くことを願うばかりです。

 

撤収となったと思いきや、報道陣は一斉に壁際に動きました。私もこれだけのスピードでの動きを経験するのは平成初期以来だったので、ちょっとびっくり。

 

この場で寺岡委員長の囲み取材が始まりました。報道のお邪魔にならないように一番後ろから。

 

腕を目いっぱいに伸ばして撮らせていただいたそのお顔は、決して怒らず、淡々と組合の主張を、「質問者」の目を見てお答えになる接客のプロのお姿を見ることができました。

 

報道では専ら、現在の西武の資産価値ばかりが報道されているように感じますが、ここや全国の百貨店を始め、店員として働かれている皆さんの「接客力」の資産価値を忘れてはならないと感じました。

 

昨日は、何故か行く先ごとにいらんな場面を目撃することとなり不思議な日でした。労働者の権利を勇気を持って行使した皆さまの希望が叶い、新しい「池袋の顔」を築かれることを陰ながら応援しております。

 

昨日のデパ地下は「東武百貨店」へ。以前「ニトリ」が入っていた広大なフロアには何と100円ショップ「DAISO」が入りました。その品揃えには圧倒されます。デパートは時代に合わせてどんどん変わることを実感します。

ちなみに「ニトリ」は、東急ハンズが撤退した「サンシャイン60」への入口隣のビルに入っております。

 

最後にこの日配られていた、A5判サイズのビラです。

 

裏面には経緯が簡潔にまとめられていました。

 

かつて仕事で何度か宿泊をした島根県松江駅横の「一畑百貨店」がクローズとなり、県内唯一の百貨店がやがて幕を閉じるということも最近知りました。

松江に行ったときは、そのデパ地下を利用したり、出雲そばの「一福」さんで食べることが楽しみでした。また催事場では元首相の「細川護熙」さんの陶芸展が開かれていて、それを知らずに入ったトイレでばったりお会いしたときは本当にびっくりしました。

 

 

百貨店の思い出って、こんな風にその名を聞いたり、その写真を見るだけでいくつも蘇ってきます。

家電量販店に思い出が無い訳ではありませんが、百貨店のような多岐にわたる思い出は浮かんできません。この違いが報道の中で再三使用された「文化」なのでしょう。

 

昨日もお店は閉まっていても「SEIBU」の灯は灯っていたことに気づきました。この灯がどうかずっと見られますように。