2022年3月25日 春の京都6泊旅2日目その2 京セラドームプロ野球開幕戦 阪神対ヤクルトへ① | ミラーレス一眼越しに、私が見た風景たち

ミラーレス一眼越しに、私が見た風景たち

~たゆたうはロマンか、センチメンタルか、メルヘンか

甲子園球場で高校球児の熱闘に酔いしれた後は、阪神電車で一路「京セラドーム大阪」へ移動。

2022年プロ野球開幕戦の観戦へ。開幕戦は私にとってお祭りみたいなもの。人生の半分近くは開幕戦をどこかの球場で見ていると思いますが、この日は人生初「阪神の本拠地」での観戦。熱い熱いファンの球団愛に支えられたタイガースの開幕戦、「一度は見ておきたい」の一つをこの日また叶えました。

地下鉄の駅構内は一面、開幕ムードです。

 

甲子園を余裕を持って出たこともあり、この時間はまだファンもちらほら。

 

検温へ向かいます。この秋に、またヤクルト相手に日本シリーズをここで観戦できることになるとは、当然のことながら思いもしませんでした。

 

それぞれの胸にいろんな思いが去来している瞬間だと思います。

 

席に到着です。久しぶりの京セラドーム、1塁側は手に入らず、3塁側でしたが、周りはみなさん虎ファンです。

 

宇宙船のような不思議なデザイン。かつてこけら落としの年のオープン戦に来たときにも、このデザインに度肝を抜かれたのを思い出しました。

あれから、全国にたくさんのドーム球場ができました。

タイガースは開幕戦の時期、どうしても高校野球と重なってしまいます。今年もこの球場にベイスターズを迎えての開幕ゲームになりますね。

 

開幕に心躍り、相当早く着いたようです。

 

ビジョンには日本プロ野球の歴史を紹介する画像が流れ始めました。一瞬映る映像にも瞬時に当時の思い出が蘇ります。

しばらく画面とともに思い出を。

 

タイガースがリーグ最終戦に敗れ、巨人にリーグ優勝を渡してしまった年。私もこの年から本格的にプロ野球漬けになりました。

選手兼監督だった野村ホークスを破って9連覇でした。

 

学校の午後の授業を引退試合を見るために仮病で早退。祖母にこっぴどく叱られつつテレビの前を離れなかった10月14日。

 

万年Bクラスだったカープ。日本球界初の外国人監督を迎えるも開幕1か月ほどで、監督交代。古葉コーチが監督に就任するや快進撃で初優勝の広島旋風。

これで優勝経験のないのは、当時ヤクルトと近鉄だけになったあの頃。

 

世界記録が出た瞬間、通常放送が中断して後楽園の中継へと切り替わりました。「国民栄誉賞」誕生のきっかけにも。

 

阪神から野村南海へと移籍した江夏。元祖「クローザー」としての地位を築き、さらに移籍した広島ではの南海の本拠地だった「大阪球場」で開催された日本シリーズで、絶体絶命のピンチを切り抜け、近鉄の悲願を打ち砕いた。山際淳司氏により「スポーツノンフィクション」のジャンルも開拓された「伝説」。

 

リーグ優勝決定日、神宮球場の周りは黄色一色に埋め尽くされた。日本シリーズ試合終了後の西武電車は阪神ファンで埋まり、沿線に住む私の家まで、電車内からの「六甲おろし」が聞こえてきた。そして西武池袋の駅までも黄色一色に埋め尽くした光景を忘れることができない。まさに真の「フィーバー」。「経済効果」という言葉もこの頃から使用されるようになったのでは。

 

広島の3勝1分けで迎えた日本シリーズ第5戦。延長に突入したその試合を観戦していた私はひそかに広島を応援していた。「どうせ今日西武が勝っても焼け石に水。広島の日本一はもう固い」。日本一の瞬間を目前で見たことのなかった私の率直な思いだった。延長にもつれたその試合はDH制にもかかわらず延長で、ピッチャー工藤が打席に入り、何とサヨナラヒット!そしてそこから4連勝の逆転優勝。「第8戦」が開催された日本シリーズはこのときだけ。

 

骨折していても出場し続けていたというのには本当に驚き。伝説の「ルー・ゲーリック」の記録を破る偉大な世界記録達成。

 

私も最初に就職した会社を離れ、次の新聞社に勤める間のあの一か月。同級生阿波野の応援のために川崎に向かうも、まさかの結末。重い足どりで帰路に着くも、たどり着いた西武池袋駅地下通路の柱という柱に「西武優勝おめでとう」のポスターが。その「準備の良さ」への感情は未だ消えず。阪急ブレーブスが消滅したのもこの日だった。

 

森ライオンズとの2年続けての対決。ヤクルト15年振りの日本一は、私が初めて生で見られた日本一に。

 

最終戦を勝った方が優勝。長いあのシーズンは何のためと言いたくもなる大接戦。長嶋監督が命名のこの言葉。「言葉の魔術師」でもあった。

 

あの日から25年の歳月が流れた。今、リーグ優勝から最も遠ざかるベイスターズ。あの日の優勝パレードは風邪をひいてしまい「テレビ神奈川」の生中継を自宅で見ていた。お願いだ、私が元気なうちに横浜の街でのあのパレードを見せてほしい。ヤスアキを応援する妻にも。

 

「巨人の星」で親子が対峙したように、伴と対決したように、劇画の世界が現実になった「ミレニアム」イヤー。

 

2年連続劇画の世界。その瞬間を私は葡萄畑に囲まれた山梨市のビジネスホテルで見ていた。どうしてこうしたシーンは、その時のシチュエーションと結びついて記憶されるのだろう。

 

この瞬間も、水戸の偕楽園で梅を観ていたことを思い出す。初めての「WBC」。その大会の意義をよく理解せず出かけていたあの日。

 

そしてこの2000年代半ばから、私の野球熱は下がっていました。仕事と大学院の両立があったり、応援していた選手たちが引退していったりした頃だったのだと思います。

 

 

 

 

そして、東浜投手の入団もあり再びこの頃から見るようになったようです。

 

西武ドームで決めた、楽天初のリーグ優勝。たまたま手元にあった招待券を一か月ほど前にこの日に変えていた。大震災との記憶とも被り、みんながこの日に私を派遣してくれたとしか思えないめぐりあわせ。ネット裏で里田まいさんが必死に応援し、滂沱する姿も忘れられない。

 

 

 

遂にヤスアキが、マッチが成し遂げた!その瞬間を見届けることが叶いました。

 

「村神様」はこのとき誕生していたのでしょう。無観客のハマスタで遂に勝ち取った悲願。

 

長々と書いてしまいましたが、すべて記憶だけで書きましたので正確でないところがあるかもしれません。

ほんの一シーンを見せられただけで、その時の、その頃の記憶が一瞬にして蘇ってしまうのが不思議でなりません。

同じ球場で感動や悲嘆をともにしてきた人たちの数というのはいったいどれだけの数になるのでしょうか。私の観戦史も半世紀に及びました。こうして世代を越え、時間を越え、みんなで「共有」できるものがあった。「野球」という宝物と出会えたことに改めて感謝したいです。

 

タイガース2022スローガン。

新しいシーズンの到来。またどんなドラマを見せてくれるのか。

何年たっても「開幕」へのワクワク感は変わりません。

 

そしてこの日の先発投手。

 

「六甲おろし」というタイトルではないんだ、ということを改めて思い出しました。

みんなで歌えない代わりに、歌と画像が場内に流れました。

 

 

 

 

 

 

 

歌の「2番」へ。

 

 

 

 

 

 

2022開幕戦の思い出「PART1」は、画像集になってしまいましたが、これも思い出として残しておきたかったのでお許しください。

 

次回は「ゲーム編」。さらっと書き残したいと思います・・・

(続く)パー