今回の大槌町訪問を記事にする前に・・・。
私がブログをスタートさせたのは2015年のこと。
前回、大槌町を訪ねたのが2014年の夏のことでした。
この時のことは、ブログを見るまでもなく二人してよく覚えていたので、
まさかそんな歳月が流れていたとは全く思えず、私は春になると不安定を繰り返していたことがわかりました。
その当時の妻のブログをまず紹介させていただきたいと思います。
コピーしたので、写真のサイズは小さいままです。
内容も若干修正したので、当時のそのままではありません。
私は震災から半年後の9月に一度役場に寄らせていただいて
以来でしたので、このときも約3年ぶりの訪問でした。
今日、紹介するブログでは、現在解体されている「旧大槌町役場」の建物が写っております。お辛い方がいらっしゃるかもしれません。
読み飛ばしていただけますように。
以下、2014年の内容です。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「青春18きっぷ」を利用して
釜石駅に着いた後は・・・
岩手県バスに乗り換えて、大槌町に向かいました。
彼にとっては、震災の年の秋以来、約3年振り・・
私は初めての訪問です。
繰り返しとはなりますが震災のあった日、彼は大槌町役場で仕事をしていた予定でした。
それが直前に3月7日に変更となったのです。
今回の旅の一番の目的は、この三年の間、果たすことができず
ずっとずっと彼の心の中にひっかかっていた、大槌町役場で一緒に仕事をしていた職員のお墓参りをすることでした。
バスの車内から何枚か撮影しました。
当時、ここにはJR山田線が走っていました。
線路のあった部分は撤去されるなどで、どこかわからなくなっていましたが、
コンビニも、仮の建物で営業しています。
このような看板も残っているところがありました。
大槌町に着きました。
旧大槌小学校、現在の町役場です。
当時は、壁も黒く焼け焦げてしまっていましたが、綺麗に修復されています。
バスを降りて、かつての「大槌駅」の跡を探そうとしたのですが、
3年前の秋には、駅舎こそなくてもプラットホームの跡があったそうで、
今はそれも見つけられなくなってしまいました。
これも復興のための道の途中なのだと感じました。
彼が一番とまどったのは、3年前とまったく道のある場所が違っていることでした。
鉄骨が残っていたところも、この周辺はすべて撤去されて、家の土台の跡なども
無くなっていて、そこに新たに道が通されていました。
こちらがかつての町役場の前を通っていた道の跡だそうです。
今はこちらは全体に工事中のため、通れなくなっていました。
しばらく歩いて、旧大槌町役場が見えてきました。
そこには、お地蔵さんが優しい顔で守ってくれています。
当時職員は、余震と戦いながらひびの入った建物から、
こちらの入口正面に集まっていたところだったのです。
お地蔵さんの隣には、このような建物が建てられていて・・・・。
中には、ご焼香ができるように準備されていました。
そして、お賽銭はこちらの維持保存のために使われるとの
説明がありました・・・・。
残念なのは・・・
ニュースで知ったのですが、こちらのお賽銭箱、私たちが行った
翌日の夜に盗まれていたことがわかって、後日壊された賽銭箱だけが
海岸から見つかったそうです・・・。
ちょうどお盆の帰省時期だったので、私たちがいる間も次々と
車でお参りに来られる方がいらっしゃったので、余計に狙われてしまったのでしょうか。
後味の悪いお話でした。
こちらにも多くの子どもたちも訪問しているようです。
旧役場の周りを回ります。
正面の後ろ側です。
こちらにもずっと建物が続いていたのですが、
プレハブ建て部分は土台から外れて、流れてしまったそうです。
とても大きな建物だったそうです。
前回訪問時には気づかなかったそうですが、
波が入ってきたであろう反対方面の壁はこのように、
大槌町の友人たちが安らかであることを祈ることができました。
友人の眠る江岸寺に着きました。
奈良・薬師寺などの支援で滋賀県でつくられ、
津波とその後の火事で大きな被害を受けた昨年の3月11日、江岸寺に贈られたものです。
鐘には「梵鐘の音に想いをのせて」というメッセージが。
思いを込めて、つかせていただきました。
江岸寺です。
こちらが境内になります。
お堂の片隅には、火災で焼けてしまったかつての鐘が・・・。
江岸寺のお墓は、傾斜地に建てられています。
その地点から振り返って撮影した一枚です。
この後、仕事のパートナーだった友人のお墓にお参りをすることができました。
彼はずっとこのことが気になっていて・・・。
一人で行くのも辛いようだったので、今回私も行くことができて・・・。
お墓をそのまま上っていくと、高台にある中央公民館のある場所に出ます。
中央公民館は、当時多くの人が避難生活を送った場所であり、緊急の役場となり、
幾晩も寝ずに仕事をした場所でもあります。
この建物の裏側には「希望の灯」が、街並みを見守るように燃え続けていました。
「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった「蓬莱島」もデザインされていました。
すると、ちょうど正午となり「だけど僕らはくじけない・・・」で有名な
「ひょっこりひょうたん島」のテーマが、インストゥルメンタルで流れて
街に時を知らせていました。
私たちもお腹が減ったので、復興商店街に行きたかったのですが、歩いていくには
遠くなってしまったので、この地で有名なショッピングタウンの「マスト」で
食べようということになりそこまで歩いて行ったのですが・・・。
彼が「タクシー代かかっちゃうけど、行きたいところがある」と言い出しました。
運転手さんに聞いたら2000円ほどで行けるということで、大槌町の北の方にある
浪板海岸にあるお店に向かいました。
実際はメーターが2000円を越えそうになったのに、とても親切な運転手さんで、
「そう言ったんだから2000円でいいよ」とおっしゃっていただいて・・・。
本当に親切にしていただきありがとうございました。
そして到着したのが「さんずろ家」さんです。
大槌町の友人は、いつも車で大槌駅まで迎えに来てくれて、
夕食にとよくこちらに連れて行ってくれたそうなんです。
とても元気なおかみさんで、お盆ということもありお店は大混雑。
きっと皆さんも帰省すると寄るお店なんでしょうね。
とても明るく元気なおかみさんで、みんなに愛されているお店だということがよくわかりました。
彼が当時のことを話すと、覚えていてくださってちょっと言葉を詰まらせていらっしゃいました。
三年も経ってから、突然訪れて急にそんなことを話して、彼はちょっと後悔もあったようです。
私は「蒸しうに丼」を注文。
このボリュームでなんと980円です!
彼は思い出の一品「海鮮丼」です。
これだけの種類が入ってたったの1000円です。
もちろん味もおすみつきです。タクシー代を加算してもまだ安い昼食となりました。

お店を出て、海岸を撮りました。
お店でも窓側の席に座ると、この最高の景色を見ながら食事ができます。
高台にあるこのお店は、下の階のぎりぎりくらいまで波が
帰りはお店からすぐそばに、釜石駅行きのバス停があります。
バスの中から真下に広がる吉里吉里海岸をパチリ。
今年、震災後初めて海開きをして2週間だけ泳げたそうです。
釜石駅に到着です。
「復興の鐘」がありました。
こちらでも心を込めて鳴らしました。
駅には「あまちゃん」でよく見た「北リアス線」で見た車両と同じデザインのものがとまっていました。
駅には栄光の「新日鉄釜石ラグビー部」をモチーフにした
ラガーマン達が見送ってくれました。
私には、初めての被災地の訪問となりました。
やはりテレビなどで見るのと、行くのではまったく違う印象でした。
これからは、機会がある限り行かなければという気持ちになりました。
釜石にも再びホテルが増えてきました。
しかしお盆の最中、どこも満室のため再び釜石線で戻ります。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
以上が当時のものです。
一口に7年半と書きましたが、その間には私の想像などには
及ばないものがたくさんあって、現在(いま)があります。
テレビなどの映像を通して、三陸鉄道が再び開通したことは知っていたものの、やはり私の中の記憶はここで止まっていました。
今回思い切って訪問して本当によかった。
次回は今回の訪問を書きます。
いよいよ3月。頭を締め付けるようなモヤモヤ感は未だにとれないため、記事のアップまでもうしばらくお待ちいただけますよう。

































