2018年「京都の紅葉を求めて」の旅 初日のその②は、「私の百寺巡礼」の「第二番」を兼ねてまとめました。
作家の五木寛之さんが二年間をかけて、全国の百の古刹・名刹を訪ねるということを成し遂げられました。
私もその足跡を追う旅が始まったのが2018年11月。
題して「私の百寺巡礼」。
この旅の終わりにいったいどんな風景が見えてくるのでしょうか。
それを探しに今日も歩きます。
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インクラインの下を抜けるトンネル。トンネル内の煉瓦の積み方のカーブが実に芸術的です。
インクラインは、一部紅葉が残っておりました。
また「モデルさん」による演出。
南禅寺門前では、念願の湯豆腐を堪能。かなり遅い時間の昼食となってしまったので先を急ぎます。
「百寺」の一つの「南禅寺」の中門」です。
南禅寺を訪ねるのは、後日に譲ることとして、先へと進みます。
「私の百寺巡礼 第二番」となる「永観堂」の名で親しまれる「禅林寺」に到着です。
山号は「聖衆来迎山」、院号は「無量寿院」、寺号は「禅林寺」です。
当初真言の道場として出発。7世住持の永観(ようかん)律師(1033年 - 1111年)は人々に念仏を勧め、さらに病人救済などの慈善事業も盛んに行ないました。
このため禅林寺は、親しまれた律師の名の「永観堂」と呼ぶようになったそうです。
ちなみに「永観堂」は漢音読みで「えいかんどう」と読みますが、永観律師の「永観」は呉音読みで「ようかん」と読みます。
散り紅葉の山。お庭のあちこちに見られました。
「秋はもみじの永観堂」と言われています。
2018年のシーズンは終わりに近づいいましたが、妻とともに被写体探しに夢中になりました。
堂内参拝を終えてのショット。もう夕方になってしまい、ほとんどの参詣者の姿も見えなくなっていました。
有名な「見返り阿弥陀」さまの前でも、じっくりと時間を過ごすことができました。
前回の参拝では、そのお姿にただただ見とれた記憶がありますが、今回私が思ったのは、阿弥陀さまは振り返りつつ、後ろにいる衆生の声をも聴いてくださろうとしているのみでなく、真正面に座る私たちに右のお耳をしっかりと向けてくださっているお姿に感じました。
開山堂へと向かう山中からの御影堂。遠く西方に陽が沈んでいきました。
旅行初日のこの日、できれば4~5の寺社を訪ねられたら、と予定を考えてもいたのですが、紅葉に夢中になったことと、堂内をゆっくりと巡ったことで、日没までに二つの寺社の参拝のみでした。
西の空がオレンジに染まりゆく風景をゆっくりと味わいます。
境内に戻ると、一部のもみじが照らされていました。
この前の週までに夜間のライトアップは終了しています。
私たち、この日のほぼ最後の参詣者のよう。贅沢な時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。
せっかくなので、その先の「哲学の道」にも足を伸ばしました。
光のあるところで撮っているので写りましたが、実際は暗闇でした。
この時間、観光客も一人もいませんね。
またどんな季節にここを訪ねられるか、楽しみです。
そして駅に戻る途中、真っ暗闇の南禅寺の境内を抜けて、赤レンガの水道橋を。
こちらもいつか「南禅寺」を再訪したときのお楽しみとしたいと思います。
今更ながらではありますが、訪れて気づいたことは、
それぞれの季節、それぞれの年、それぞれの時間、
同じ場所を訪れても、同じ姿はない。
同様に、それぞれの季節、それぞれの年、それぞれの時間に
同じ心、同じ気持ちはないんだということでした。
楽しい気持ちだって、悲しい気持ちだって、嬉しい気持ちだって、寂しい気持ちだって、それが永久に続くことはないんですね。
いま苦しい思いをしている友に、そしてこれからの自分にも、今日のブログを通じてエールを送りたいと思います。
【参考】
二年前に訪れた時の「インクライン」「水道橋」の模様は、下記のリンクです。
また、二年前に訪れた時の「永観堂」の模様は、下記のリンクです。