当初の週間予報では、大槌町に雨が降るのは5/1頃という予想でした。
予報が外れて、こんなに嬉しかったのは初めてです。
先週のブログでは、私自身が「3.11」との向き合いにようやく区切りを付けられたことをご報告させていただきました。
ちょうど一週間前は、ニュースも見ずに知らずに、夢中で文章を書いておりました。
そんなとき山林火災が、それもあろうことか大槌町内で二か所も発生していることを知り、愕然としました。
ニュースを食い入るように見ました。
ひたすら治まることを願いました。
各地から多数の応援隊の皆さんが、夜を徹しての困難な活動に挑んでくださいました。
高台に家を建て直されて新たなスタートを切られた方々。
「その家に被害が及んでは決してならない」。町長は力強くおっしゃいました。
消防隊の皆さんが一丸となって挑む姿がありました。
しかし火の勢いは一向に治まりませんでした。
風も吹きました。煙が町を覆いました。
遠くにいて、何一つできない自分がもどかしくてなりませんでした。
今年のお正月に横浜で見た「消防出初式」。
海水を吸い上げて猛烈な高さまで放水する「消防力」というのでしょうか、そういうものが活躍できないのだろうか。
いや巨大客船の入港もある横浜から離れることはできないのだろう。いやいや私が見たのがたまたま横浜だったから勝手にそう考えてしまうのだろう。などなど心配のあまり総理は何をしているのだろう、もっとできることがないかと、ただただイライラもしました。気をもむだけの長い一週間でした。
今年の横浜消防出初式で見た光景
当初の予報が外れて降ってくれた「恵みの雨」。
「深刻な局面は脱した」という町長の言葉。
連日、いい情報に触れることができなかったせいで、私も日曜の夕方あたりからみぞおちあたりに、近年経験しなかった痛みを感じるようになり、しばし安静にしているほかありませんでした。
胃潰瘍の薬を処方され、このようやく明るい情報に触れられて、ようやく胃痛も治まってきました。
いつも復興していく町を眺めていた「城山公園」、追悼式が行われ現在は本部が置かれている「文化交流センター(おしゃっち)」などいつも訪ねていた場所からの光景は、私もその場所から見ているのと同じような気持ちにさせました。
吉里吉里から、山の北側の「浪板」にまで火が及び「浪板海岸」駅からのレポートを見たときは、その位置関係、距離感を知っている人にとって辛いものでした。
「風の電話」の佐々木さんのお宅は大丈夫なのか。
ネットを探して、「岩手めんこいテレビ」のニュースの中に、お宅が、あの白い電話ボックスも無事であるということを知ったときもどんなにほっとしたことか。全国のニュースでは見つけられませんでしたが、地元のテレビ局はその「心の拠り所」のこともしっかりと報道してくださっていました。
まだ「鎮圧」されたわけでもなく「鎮火」に至らないうちは真に喜んではいけないのでしょうが、明るい方向に局面が展開してきたことは、避難されている皆様にもどんな「光明」になったことかと思っております。
各地から駆け付けた消防隊の皆さんも、一次隊の皆さまが任務を終え、二次隊の皆さまと交替して任務にあたられていらっしゃるニュースも拝見しました。
もう一つの心配事だった「後発地震注意情報」の呼びかけも終了となりました。
これもひとまずほっとできたよい情報でした。
明日は晴れのようですが、明後日の金曜日には当初の週間予報通り、雨になるようです。
降れば傾斜地からの灰などの流れ出しの問題もあろうかと思いますが、今はそんなことを言っている場合ではありません。
種火となりうる地中の熱源をしっかり冷まして、消し去ってくれる、消防の皆さまのご活躍と恵みの雨を遠くから祈っております。
3月25日は当初、天皇皇后両陛下が15年目の大槌町を訪ね、私の前回のブログで触れた「鎮魂の森 あえーる」を訪れられるご予定でした。その日はお風邪を召されたため、ご訪問が延期となっておりました。
「あえーる の献花台と芳名碑」
大槌を離れて、遠くでお住まいの方々と同じような不安な不安な気持ちで一週間でした。
山林火災が止み、今後の住宅被害がなく、また日常が戻り、そして両陛下が訪れられる日が早く来られるようになること。
気が早いかもしれませんが、心より願っております。

