2026.2.6 光を求めてマイル旅 初日① 出発~神戸空港・神戸市役所・東遊園地へ
今までならば、1月のカレンダーをめくり「2月」の文字が見えた頃から、「3月11日」の当日まで、心が揺れて多弁になったり、苦しい日々を過ごしていました。この2年間は連続して「岩手県大槌町」を訪ねることができたことが大きな自信になったようです。今回も「ひとり旅」です。クレジットカードでの買い物でコツコツ貯めていた「陸(おか)マイル」。コロナ禍の影響で有効期限が延長されていたようですが、この春からは毎月のように多くのマイレージが失効していくことに、年明けになってから気付きました。「残マイル数」と「空席状況」を見比べながら、行き先のプランを練ります。札幌の雪まつりも惹かれましたが、あの寒さの中での撮影は体力に自信がなく断念。伊丹往復で冬の京都も考えましたが、この時期はオフシーズンで大阪まで片道6000マイルとお得なのに、まだマイルが余ってしまいます。ならば沖縄でキャンプ地巡りもいいかと思ったものの、一緒に行けない妻に悪くてこれも見送りました。そこで効率よくマイルを消化し、さらに心に残っていることを体験する旅にするため、目的地を二か所に設定し、飛行機を合計3回利用する4泊5日のプランを考えました。この出発の前日、同級生から思いもかけない連絡をいただきました。「同級生のKさんが亡くなった。葬儀も前週に終わり、みんなを代表してお別れしてきた」と。言葉を失いました。「Kさん」とは小学校1年から6年まで同じクラスで、席も近かったことを覚えています。中学ではクラスは別でしたが、高校も一緒だと知ったときは驚きました。引っ込み思案な私とは違い、はっきりものが言えて、こそこそすることが大嫌いな女性でした。ご実家は布団の工場とお店を営んでいて、我が家も毎年そちらで布団を打ち直してもらっていました。ふかふかになって戻ってくる布団と、彼女の懐の深さが重なって思い出されます。十年ほど前、今思えば私の「サバイバーズギルト」を何とかしたいという思いから、中学の同級生に声をかけてクラス会を開いたことがありました。その後、小学校の同級生にも呼びかけてクラス会を一緒に企画してくれたのが「Kさん」でした。年賀状だけのお付き合いが続いていたことや、お母様の月命日には必ず帰省していることを知り、学生時代以来の再会が実現しました。結果、担任の先生を含む10人ほどの同級生と再会できたものの、女性の参加は先生を除けば彼女一人だけとなり、大変な負担をかけてしまいました。もちろん、そんなことを気にする彼女ではありません。ただ、ある年の年賀状に「大きな手術をした」と書かれていました。細かいことを聞かれるのは嫌う性格だと知っていたので、年賀状を交わせることが元気な証拠だと思っていましたが、その後も病との闘いが続いていたことを今になって知りました。女子の同級生を亡くすのは、初めての経験でした。こういう知らせを聞くたびに、私の中のネガティブな気持ちが「あのとき、なぜ自分だけが残ってしまったのだろう」という思いを呼び起こします。そもそも今回の旅は、大げさに聞こえるかもしれませんが、そんな思いと向き合い「前向きに生きる」ために選んだ旅先でもありました。「東日本大震災」を経験して以来、「みんなが私の目を通して一緒に楽しんでくれている」という思いを強く抱いています。今回の旅も、旅立ったばかりの「Kさん」を偲び、間もなく一周忌を迎える「Yくん」を胸に、そして義弟と…、みんなとともに出かけました。みんなのことを覚えている限り、みんなは生き続けていますから。この旅がどこへ向かい、その先でまたどこへ進むのか。「ミステリーツアー」ではないけれど、その行き先を楽しんでもらえたら、きっとみんなも嬉しくなるはずです。さあ、「心の旅」の出発です。西武池袋線の始発電車に乗って「練馬区役所」前に。前夜は9時過ぎには床に就き、午前3時半に起床して久しぶりの「始発」電車に乗りました。ここから予約してあった「リムジンバス」に。早朝便利用者の皆さんでバスはほぼ満席でした。午前4時55分、バスは発車しました。首都高もさすがにこの時間はガラガラ。羽田空港第2ターミナルにはわずか40分ほどで到着です。手荷物を預け、セキュリティチェックへと向かいます。早朝便利用者で行列ができていました。驚いたのは、羽田空港の搭乗口がさらに拡張されていたことです。ゲートを入ってから搭乗口までの距離は何と「1000メートル」!普通に歩いたらそれだけで12~15分ほどかかる距離。動く歩道が無かったら、とてもじゃないけどたどり着かない距離でした。これからは搭乗口をしっかりと確認して、セキュリティゲートを通過せねばと勉強になりました。搭乗口に到着した頃、どんどん夜が明けてきました。かつても冬の早朝便利用のときの楽しみだった「朝焼け」に久しぶりに出会えて、テンションが上がります。刻一刻と変わりゆく東の空の色。HSP気質にはより一層、幸せが感じられる一瞬です。搭乗前の最後の一枚。最初の目的地は「神戸」です。まずは「6000マイル」を使用する空からの「神戸」入りです。定刻6時40分のフライトの予定でしたが、出発便が重なるこの時間帯、実際にタイヤが地上を離れたのは7時をとうに過ぎていたと思います。ふと窓の下を見ると近くに雪景色が広がってきました。とっさにカメラを用意。やはり「富士山」上空でした。頂上の火口も、宝永火口も、登山ルートもしっかりと確認できました。体を捻りつつ、冨士山を追い続けましたがここが限界でした。羽田の出発が遅れた分、神戸空港への到着も若干遅れましたがまだ朝の8時過ぎ。急ぐ旅でもありません。それぞれに市内へと急ぐ皆さんと別れ、私は展望デッキへ。神戸空港の利用は2度目の経験です。空港の様子もしっかりと見学します。神戸市内がバックのフォトスポット。搭乗してきた全日空機です。後方には次に到着した便が滑走中です。そろそろ「ポートライナー」で市内へ移動します。空港でゆっくりしたもう一つの理由は、この「先頭」に座りたかったことです。始発駅の空港。先頭車両利用者は私ともうお一人しかいらっしゃらず、争いなく特等席へ。東京の「ゆりかもめ」と同様、運転席のない遠隔自動運転ならではのお楽しみです。「三ノ宮」に向けて出発進行!海を越えて、いよいよ上陸。六甲山系の山なみがどんどん近くなってきました。「メリケンパークだ」!神戸に着いたことを一層実感します。市内のビル群が近づき。高速道路の真下を通り。すぐ横にはマンション。突き当りのカーブを曲がれば終点「三ノ宮」です。「三ノ宮」駅前も再開発の真っ最中。次に見ることができたときは、また違った表情を見せてくれるのでしょう。モノレールを降りると、乗車を待つ人がいっぱいなのにビックリ。それもそのはず。時間はまだ午前8時台。通勤の時間の到着だったことをしばし忘れていました。「三ノ宮」駅からJRで「神戸」駅へと移動。この日、宿泊するホテルに手荷物を預けに。再び「三ノ宮」に戻ります。今度は「高速神戸」駅へ。左に「阪神」、右に「阪急」と、大阪方面に行くのにどちらもチョイスがしやすい、とても便利な駅です。このホームも「阪急」の「梅田」駅同様のぴかぴかの黒タイルに会えました。午前4時くらいに自宅でパンをかじって出かけてから、もう6時間以上が経っています。で空腹を軽く満たすため「モーニング」を。ポットでの提供だったので、コーヒー発祥の街「神戸」の美味しいコーヒーをカップ2杯分楽しめました。落ち着いたお店でコーヒーを味わってほっとしていると、ふと前日に連絡をもらった「Kさん」のことをいろいろと思い出しました。もう会えないんだ、ということは絶望的に悲しい。この思いは何度経験しても辛い。慣れることなどありません。むしろ重ねていくほど深くなっている気がします。私はいたたまれなくなり、前日連絡をくれた同級生に思わず「何か淋しいね」と連絡をしてしまいました。平日で忙しかったろうに10分もしないうちに「淋しいです」との返信をいただきました。ありがとう。三ノ宮の地下街を出ると、ここも再開発中。最初に出会った「BE KOBE」の文字でした。阪神・淡路大震災から20年をきっかけに生まれ、「神戸の魅力は人である」という思いを集約したシビックプライド・メッセージの「BE KOBE」。新しいことに挑もうとする人や気持ちを愛する、そんな神戸を誇りに思うメッセージ。このことを知ってから、いつかこの文字に出会うたびがしたいと思うようになっていました。聳えるこちらの建物は「神戸市役所」。かつての仕事柄です、役所にまず脚が向くのは。観光情報を得るのも目的です。「無料展望フロア」へ。まずはここで街を俯瞰します。街を訪れたとき、今日からこの地でお世話になりますとつぶやく。お邪魔するときの礼儀というか。かつて自治体を訪ねたときの私の習慣をここで街全体につぶやきました。真下には「東遊園地」。この日のつい約3週間前、ここは追悼の灯で埋め尽くされました。芝生広場に「神戸ルミナリエ」の大きな作品が見えました。その先には海が見えます。西の方角には「メリケンパーク」。この日は豪華客船「飛鳥Ⅲ」が入港したばかりで、遠くビルの間にまるで巨大な建物のようにこの写真にも映っています。北の方向は「三ノ宮」駅。さらに山なみ。アップでとると右に「神戸市章」、左に「錨」のマークを見られました。市役所の真下、お隣は先ほどの再開発の工事現場でした。展望フロアのフォトスポットの「BE KOBE」です。地上へと戻ります。市役所を出るとすぐ真ん前には「日本マラソン発祥の地」の碑です。1909年(明治42年)3月21日、神戸・大阪間を初めて「マラソン」と名付けられた長距離走大会が開催されたそうです。ちなみにこのときの距離は「約32キロ」だったそうです。「東遊園地」へ。先程まで訪ねていた「神戸市役所」。「神戸ルミナリエ」の作品はあまりにも巨大でした。その前の芝生では元気に追いかけっこかな。まず公園内の「阪神・淡路大震災 慰霊と復興のモニュメント」へ。地下へと続く「瞑想空間」へ。そこは、震災で亡くなられた方のお名前を刻んだ銘板が掲示されています。今年の1月16日現在で5,082名の方のお名前が掲示されています。今年の集いでは、行方不明のまま気持ちの置き場がないご遺族の方のメッセージに深い感銘を受けました。亡くなられた方々の無念と、そのご家族、お知り合いの方の苦しみの思いを馳せると胸がつぶれそうな思いになりましたが、私も歯を食いしばって「生きる」ということを改めて誓いました。今回の「心の旅」では、その地その場で「何を感じ、考え、思うか」ということがテーマです。地上に出ると、ボランティアであろうお父さんから「あちらに花時計がございます」と案内をいただきました。沈んだ気持ちで出てこられる方に「花」を案内してくださる、というのは少しでも明るい気持ちでこの遊園地を後にしてほしいというお父さんの心遣いなのだと思います。いつの時期に訪れても綺麗に花を咲かせているこの場所。人々の努力で「いつでも花を咲かせ続けることができる」ということを考え、花に癒され、気持ちを明るくさせてくれること、そして「時」は休むことなく「進んでいく」ことを考えていました。お父さん、ありがとうございました。「花時計」を折り返し点に戻ります。夜はまた一層綺麗なのでしょう。「1.17希望の灯り」へ。「やさしさ」と「思いやり」、そして「生きている証」としての灯りを灯したいとの提案を受けて誕生した「灯り」です。小さな「光」なのかもしれませんが、この日の私のようにいったいどれだけの人の心に灯をともしてくれたのでしょう。岩手県大槌町の高台にある「城山公園」でも、ここから分灯された「希望の灯り」が灯し続けられていて、ここ2年は毎年「3.11」の日に訪ねることが叶っています。「たった一秒先が予知できない人間の限界…」。私は、科学がどんなに進んでも「思いあがることがあってはならない」ことを教わりました。平日の午前、訪れる人も少なかったこの場所では、いろんなことを考えるきっかけをいただきました。駅前へと戻りました。重いテーマの記事にお付き合いをいただき、誠にありがとうござます。「心の旅」は始まったばかり。次の目的地へ向かいます