奈良旅行 第六話の3
前の記事からの続きです。
読まれてない方は、是非、前の記事からお読み下さい。
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(4)因幡と言うキーワード
*** 因幡と、イノシシと、怨念
*** 「一の信仰」が加わった事で招いた災い
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【(4)因幡と言うキーワード】
***因幡と、イノシシと、怨念
前の記事では、安倍元首相襲撃事件と、京都アニメーション事件との不思議な繋がりを、菅原道真のイカヅチ(雷)伝説から感じ取り結びつけてきました。
今日は、「因幡」と言う言葉と絡めて見ていきます。
京都アニメーションの場所は、桃山町因幡と言いました。
この事件の少し前に、私のブログは、因幡の白兎について書いていたのです。
この時、祇園では、大きな火災が続きました。
5月16日と、7月8日です。
この年の大分の祇園祭でも災いがあり、一人お亡くなりになっていたのです。
最初の火災の時、安倍元首相襲撃事件と同じように、私は京都旅行をしていました。
***因幡と、イノシシと、怨念
この時の旅行は、あり得ないほど、イノシシを祀る神社や場所を訪れていたのです。
このイノシシの話の元は、和気清麻呂が、豊国(大分)で暴漢に襲われイノシシに助けられた話でした。
これも、前の記事で書いた葛城と、安倍元首相襲撃へと繋がるものだったのかもしれません。
最初に訪れたイノシシは、祇園の建仁寺境内に有りました。
次に、消防士が参拝する聖地・火の女神・イザナミが住むとされる愛宕を訪れ、そこもイノシシに繋がっていました。
京アニ放火事件に繋がるかのようにです。
和気清麻呂の氏寺神護寺。
愛宕は昔、愛宕五坊と言って、大きなお寺が5社ありましたが、神護寺と、月輪寺と、白雲寺を継承した愛宕神社の三社に減っています。
この地は、秦氏に縁があり、5坊を開山した「秦」の字を名前に持つ、
泰澄大師です。
泰澄は、白山も開山していて、白山の火山と、そこに棲むイザナミを鎮めるために地蔵菩薩の役目を持っていたと思われるのです。
それは、泉の三柱を祀る越前の足羽神社の地で生まれた事で、宿命として使命を持ったのではと私は思うのです。
愛宕を訪れる直前に、初めて、安倍晴明神社を訪れ、その場所の一乗戻り橋(冥界に繋がる橋)には、昔、イノシシを祀る寺があった事を知りました。
一条戻り橋
極めつけは、5月の奈良旅行で、安倍晋三襲撃事件と、亀石が繋がったように、この時も、私の宿泊したホテルが関わっていました。
ホテルの隣には、イノシシを祀る護王神社が在ったのです。
この神社も和気清麻呂の神社だったのです。
この神社の名は、清麻呂が、天皇より護王大明神との神号を下賜された事が由来です。
「護王」、「神護」の名前から「王(神)」を守ると受け取れ、冥界の女王イザナミの穢れた火から護ると言う事のようにも受け取れます。
この和気清麻呂が名前を馳せたのは、「忍熊王(おしくまのおう/越前)」の討伐です。
忍熊王を祀る神社では、「敗者の祟り神」として知られているのです。
伊香をルーツに持つ菅原道真と似ています。
神武天皇東征伝説でも出て来た、熊野から伊賀へ向かう話の「伊賀の忍坂(おっさか)兄弟」や、「熊の魔物」と重なり、「熊襲」の「襲われた者達」とも重なるのです。
つまり、伊香(=伊賀)一族の怨念なのです。
この和気清麻呂が治めた国が「因幡国」と言うのも不思議な因縁を感じるのです。
護王神社
護王神社のイノシシ
***「一の信仰」が加わった事で招いた災い
7月8日の祇園の火事は大きなものでした。
祇園祭は、牛頭天王を祀る八坂神社の祭りです。
菅原道真の天満宮も牛で知られます。
共に牛が絡んでいて、牛と繋がりのある菅原道真は、伊香氏族と言われます。
おそらく、この牛も、七夕の牽牛星を表し、お盆の「霊界と結ぶ牛」を繋げるヒントとしてあるのでしょう。
七夕は昔、お盆の行事の一つでした。
そのお盆では、牛がご先祖を載せて火焔地獄を通り天界へ行くのです。
イザナギは、火焔地獄に棲む鬼に桃を投げました。
京アニの場所、桃山も火に包まれた鬼を鎮める桃と重なるのです。
その異界と繋がる形が、数字の「一(いち)」を足すとしてきました。
松山旅行の時には、菅原道真が「一の信仰」を持つ事を知りました。
その「一」は子供で表されるともしてきました。
祇園祭りでも、異界の入り口を開けるのは子供で、
この考えに導かれたのは、菅原の姓を持つ日置一族の地(名古屋市中区)からでした。
7月8日に起きた、火事と、銃撃事件に、「1」を加えると
「1」、「7」、「8」となり、「いなば(因幡)」となります。
イノシシに絡む和気清麻呂の治めた国「因幡」であり、京都アニメーションの事件の場所、「因幡」と重なり、起きた日、7月18日の数もこの三つの数から構成されているのが見て取れます。
七夕の「7」と、異界と繋がる「1」と、神の数「8」を表わしているのではないでしょうか?
この七夕と繋げるものは、名前の語源からも見ることができます。
伊香の語源の中に、「たぎる」がありました。
この字からも七夕が感じられます。
この言葉を名前に持つ神がいます。
宗像大社の湍津姫(たぎつひめ)です。
この名前の語源も「滾る(たぎる)」なのです。
この神は、七夕信仰の神なのです。
宗像大社中津宮を見れば良く分かります。
この宗像の神を祀る厳島神社にも、「烏賊(いか)」の言葉の意味と同じ神事・御烏喰式(おとぐいしき)があり、この時のカラスは、熊野に行き、神武天皇が八咫烏に、熊野から伊賀へ導かれた事と重なり、伊香とのパズルのピースと思われるのです。
これらから感じられる事は、「襲われた者の怨念」を恐れている形があり、それが現実に現れる事です。
それを、いにしえの人々は知っていたとしか思えない痕跡が幾つも見られるのです。
それの最たるものは、西国三十三ヶ所巡礼にありました。(多分)
それは、長くなってきたので、またの機会に、