「安」の字が示す、ヒッタイトとケルト | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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読んで見て下さい。

黒海にあるクリミアと日本との繋がりを、ここのところ考えてきました。

今日も、それを探っていきます。

これは、ロシアのウクライナ侵攻と重なって来るのです。

 

[まだまだある日本との一致]

もし、日本の陰陽道にも繋がりがあるとしたら、前の記事でウクライナのクリミアと重ねた山背の国の彦の名前も、私し流に読み解くと

「大和と(輪は大和の象徴)戦う(安の字の由来)を扱う男()」

となります。

易と神職が結び付き、

また、「彦」は、「ヤズルカヤの男」ともとれ、

出雲の「安来」が、「たたら鉄のヤスキ鋼」の産地であるから

「製鉄が花開いた地であったヤズルカヤから来た」

と私には映るのです。

これは、以前にも紐解いて来ました。

 

こうも、「安」にこだわるのは、皇位継承者である秋篠宮悠仁様の七五三の儀(深曽木の儀)が12年前に行われた時、陰陽道の頭領、安井一陽が、その儀式で使用する日置盤を贈られた事や、その日置盤が、易(安井の語源)の名前を800年継承している友人と不思議な繋がりを見せた事や、

私に犬の霊が表れた時に、それを読み解いてくれたのが「安井」と言う人物だったからです。

まだ、熱田神宮に繋がる安井氏がありますが、長くなるので省きます。

 

[西アジアに繋がる安]

下記の西アジアの地図を見て下さい。

Bの国は西トルキスタンで、Bは聖地・トルキスタン(チュルキスタン)で、ここは、昔、「ヤス」と呼ばれ、

またウズベキスタンのAは、サマルカンドに並ぶ大きな都市で、泉の湧くオアシス都市ブラハです。

中国では、この州を「安国」と読んでいたのです。

トルキスタンは、トルコ人の地と言う意味で、シルククロード(絹の道)の要衝です。

文献から繋がるものではないのでどうかと思いますが、これだけ揃うと、推測の粋を越えるのではないでしょうか?

 

[名古屋にも見られる「安」と「泉」と「三角」]

私に纏わりつく「易」は、日置神社(名古屋市中区橘)からの不思議な繋がりからで、それから知った「易」を語源に持つ「安井」(愛知町に多く住む)の名前も「安国の泉」からの由来ではないかと想像してしまいます。

 

その愛知町(名古屋市中川区)は、片側3車線の大きな道が三角形で囲むのです。

 

ここには、昔、大きな紡績工場(豊田紡織)があり、金山神社とククルの形がある事から、

ヒッタイトの「紡績」と「製鉄」が、ここでも見られるのです。

愛知町を三角形に囲む道路と、安井寺

 

愛知の意味は「泉が湧く地」と言われる事から、

この地は、「三角の中の泉」と言う事になりますね。

また、この三角地には、澄池と言う地名があり、澄んだ泉が湧いていたのかもしれません。

しかし、現在は、井戸から出る水は、臭くて、夏は道路の排水溝からも異臭が漂うほどです。

地域の人によると、名古屋駅周辺に大きなビル(名鉄メルサ)が建ち始めてから水脈が断ち切られたとも話されていました。

 

その名古屋駅にも泉のようなシンボルがあります。

この場所も、偶然でしょうが、三角形に高層ビルが八柱で囲んでいるのです。

((1)ルーセントタワー (2)ゲートタワー (3)ミッドランドスクウェアー (4)大名古屋ビルヂィング (5)KITTE名古屋 (6)スパイラルタワー (7,8)ツインタワー)

名古屋の渦巻き型のシンボル「飛翔」

 

ヒッタイトのシャッルマ神剣のようです。

天から追放された8人の神が剣に変えられ地上に突き刺さった様子のように私には映ります。

名古屋の市章が丸八と言うのも不思議で、そしてモニュメントや、高層ビルが「渦」の形状と言うのも不思議な繋がりと言えます。

 

 

名古屋市章

 

奇抜な形状のスパイラルタワー。

服飾の学校のビルと言うのも、スパイラル、渦、絹が重なるのです。

 

このように西アジアと「安」の字から色々繋げてきました。

出雲の安来の文字からも、「製鉄で知られるトルコ人の国から来た」と受け取れます。

ヒッタイトの鉄は、最近、もう少し東の場所を出所としているそうです。

白い海と呼ばれたカスピ海周辺と思われます。

その周辺には、秦氏のルーツと噂される弓月国も昔しあり、トルコ系の国の国旗に使われる三日月も、ロシア侵攻の最後の私の驚きと深く関わって来るのです。

このシリーズの最後の紐解きに出てきますので覚えておいて下さい。

 

ヒッタイトの聖地・ヤズルカヤ(現在のトルコ中部)の「ヤズ」と、上記の「ヤス(安)」が同じだったら、クリミアのタタール人(たたら鉄のルーツとされる人)と、ヒッタイト、そして、ケルトを結び付けたように、ここでも繋がるのです。

 

ケルト文化の特徴は、大神(おおみわ)神社の伝説と類似した伝説(メリュジーヌ)が表す妖精と、竜、そして、人間との異類婚姻譚があります。

また、三角の井戸が特徴的で、紋様としては、「ウズ」で知られます。

これらにもメリュジーヌ伝説の特徴が、上記の名古屋の愛知町、そして、我が家にも表れているのです。(秘密です)

アイルランドのニューグレンジ古墳に描かれた渦の文様

サルベーニャ島の「サンタクリスティーナの聖なる井戸」

 

ロシアのウクライナ侵攻と重ねた武埴安彦は、山背国を治めていました。

その地の太秦(ウズマサ)には、蚕神社(木嶋神社)があり、糺の池を有し、三柱鳥居の中から泉が湧いていました。

何故、「蚕」の神社か疑問でしたのが、ケルトが、クリミアと繋がっているとすると納得できるのです。

ウズベキスタンの「ウズ」が太秦の「うず」と重なり、オアシス都市ブラハの「泉」や「安国」と、安彦の「安」が繋がって来るのです。

 

このように、私の中では、日本の神道は、西アジアが大きく関わっていると思っています。

 

何故、タタール人が、白韃靼人、黒韃靼人と言われるのか、

何故、下鴨神社の玉依姫が、海神族と言われるのか、

何故、比叡山の守護宮(日吉大社)に、最澄は、大神神社からの大物主ではなく大国主を招き入れたのか、

何故、伊勢神宮周辺の古墳から出土した埴輪に、外洋船があったのか、

何故、日光戦場ヶ原の神と神との戦いの伝説は、赤城山と、二荒山の神の戦いで、何故、共に祭神が、大黒様(大国主)なのか・・・・

 

次回は、これらの何故と共に、ロシアのウクライナ侵攻に感じた最後のシンクロを紐解いて行きます。

続く