カゴメ唄は、今の世を唄ったもの? | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
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前から続いています。

 

ここまでのスカイツリーに関わる不思議なストーリーは、天台宗の慈覚大師が創り上げたと感じ取って頂けたでしょうか。

慈覚は、色々な「何故?」を残しました。

 

何故、北辰信仰の北向き観音を創建したのでしょう?

何故、牛の神社を、浅草寺と対の様な場所に設けたのでしょう?

何故、そこに、三井家の守護宮があったのでしょうか?

何故、それらに、将門の北斗七星が関係しているのでしょうか?

これらは、総て一つに繋がっているはずです。

 

今日は、慈覚の布教活動の足跡を追って、まずは、美濃を見てみます。

それによって、浅草から広がった「カゴメ唄」に秘めたものが、上記の疑問と重なって来るのです

 

[将門の首が堕とされた西美濃と慈覚]

慈覚は、東山道を最澄と同じように仏教を布教して東へ向かいました。

不破垂井(岐阜県西部)の美濃国分寺が在った場所に、最澄が比叡山の守護宮・日吉大社から四柱を勧請して造った日吉神社(817年)があります。

その40年後、弟子の慈覚が訪れた時、三柱追加して七柱にしました。

私は、大御所が造った形を弟子が変える事に、少し、違和感を持ちました。

もう一つ違和感を持ったのが、この西美濃での、日吉神社の「」です。

浅草界隈で、慈覚に関わる場所には、猿は感じられるものは有りません。

どちらかと言うと牛嶋神社の「牛」と、小梅稲荷の「」です。

この疑問は、最後に紐解くとして、美濃と慈覚をまず見ていきます。

何故なら、この地域にも、高い塔と、将門の伝説があるからです。

そして、慈覚が布教で通った東山道上だからです。

 

以前、美濃の垂井を訪れた時、

美濃国分寺跡に現在ある金銀山瑠璃光院の造りが変わっている事に疑問を持ちました。

笠寺の星宮神社の配置と同じ二段になっていたのです。

笠寺(名古屋市南区)の星宮神社は、北斗七星信仰がみられ、近くには将門の乱を鎮めるための七所神社があり、将門の首塚がありました。

笠寺同様、この西美濃の場所でも将門の首を祀る寺が有るのです。

空を飛ぶ将門の首が撃ち落され、堕ちた場所なのです。

故郷まで飛んで行くと災いが起きるから落とされたのです。

この場所に、この様な伝説を設けた事は、ここには、浅草、笠寺にそれを紐解くピースを埋めたと言っているようです。

将門の首が飛ぶなんて伝説、そうある話ではないからです。

この様に、慈覚が滞在した場所には、前の記事で書いてきた不思議な形があるのです。

将門の首・北斗七星信仰(?)・星宮神社が重なるのです。

瑠璃光院

(美濃国分寺の記事はコチラ)

昔、垂井には、基壇からして、とても高い塔もありました。

その高さは、東寺の五重塔(54.8m)よりも、高い七重塔(推定58m)が聳えていたのです。

今の、浅草・スカイツリー周辺のようでした。

 

[香取神宮と、火球と、三囲神社]

もし、垂井に残されたパズルのピースが、笠寺、浅草に導くものであるのなら、将門が3地点に共通するピースで、将門の首が飛んで帰りたかった千葉の佐倉市周辺が重要なポイントであるのが感じられます。

昔、修験僧は、堕ちて来る火球を擬人化して、鬼門に現れる天狗で表現しました。

タイミング良く、7月2日に将門の故郷に向かって来た大きな火球がありました。

この火球は、佐倉市周辺を目指して落ちてきましたが、直前に、何かに撃ち落されたかのようにバラバラになり落下しました。

目指して来た場所には、その火球を待ち受けるかのように、香取神宮が沢山あったのです。

 

佐倉市と、四街道市

香取神社は全国に400社ほどあり、総本宮は、利根川の河口左岸にある香取市にある香取神宮です。

この場所に本当に沢山あるのか調べてみると、埼玉県久喜市に5社集合しているのが見られますが、

この2地点が吐出していました。

7月2日にこの場所目指して落ちて来た火球と繋げるには、グレーですが、繋げて話を進めて行きます。

 

この香取神宮の灯籠のデザインはで、そこから、利根川を挟んでペアの鹿島神宮があり、その灯籠のデザインはで、これを合わせると伊勢神宮の灯の六芒星になると言われています。これは、多くの方が説かれていますが、もっと深い意味が込められているようです。

「香取のマーク」、そして、「鬼門(火球)」と言うキーワードと、灯籠の「籠」が総て揃うのが、

スカイツリー地区にある三囲神社(三井家の守護宮)です。

おまけに、将門の北斗七星の柄杓が合致するから恐ろしいです。

三囲神社の灯籠にも、香取神宮の∴が刻まれているのです。

 

昔、この∴と同じ形状の家紋を持っていた、渡辺党は、泉の信仰を持ち、この3つの点は、星を表しているのです。

三囲神社の鳥居と同じで、星がカギを握っています。

三囲神社三囲神社灯籠

何度も書いているように神田の将門の北斗七星の柄杓のカップには、「麒麟の翼」で知られるがあり、三囲神社を守護宮とする三井家の三越百貨店があります。

そこから見て鬼門が、この神社で、スカイツリーがある小梅地区になり、三囲神社の役割です。

 

三囲神社の聖なる井戸は、三つの鳥居で囲まれ三角形を造り、真ん中に有ります。

 

[かごめ唄と、一つ目]

私は、こう思います。

この周辺には、興味深いものが沢山ありましたが、その一つに浅草から広がった「籠目唄」があります。

この唄は、昔、浅草にあったと稲荷のに関わる真言宗の覚吽院(銀杏岡八幡神社近くに在った)の修験僧・行智が編纂した童謡集「堂随筆」に書かれていたものです。

「かごめ、かごめ、籠の中の鳥は・・・」で始まりますが、三囲神社の三柱鳥居そのものですね。

この神社を言い換えるなら、かこまれた鳥居の中には「鳥」が「居る」だからです。

 

籠目の字は、「籠」と、「目」とから成り「籠の目(模様)」を表します。

 

我が家に丁度あった、お盆に牛と馬が入っていた六ツ目編の籠。

 

この神社の三角に囲まれた中の井戸から、籠の中には「井戸」=「目」と受け取れますね。

この目を少し、広範囲に紐解いて行きます。

 

三囲神社では、スフィンクスの様な三越のライオンが有りますが、一頭しかいません。

一頭だから、目も一つと言う事で、三角に一つ目と言えば、一ドル札に描かれた「ピラミッドと一つ目」の形状そのものです。

フリーメイソンのシンボルマークの一つともされます。

 

何故、目は一つなのだと思いますか?

私の推理はこうです。

この眼は、左目で、エジプトの信仰では、

の姿で表される太陽神ラーの目の一眼で、月の象徴とされ、「ウジャトの目」と言い、全てを見通す目であり、再生を意味します。

天照大神もイザナギの左目から生れたとされます。

美濃の星宮神社には、左鎌を奉納するしきたりがあり、それも、見える目を意味するのです。

石清水八幡宮の目抜きのも左目の単眼で、念を押すかのように作者は、甚五郎なのです。

 

[ラー神の左目と、薬師如来]

ウジャトの目は「月」で、「再生」の特徴を持ちました。

日本でも、このアイテムを持つ神仏がいますね。

「薬師如来」です。

私と不思議な繋がりを持つ薬師如来のお寺にも、偶然にできた一つ目の岩があります。

その記事は。コチラ

薬師如来は、三尊の形で表され、

如来の右目側に、月光菩薩がきます。左目側には、日光菩薩が配置されています。

薬師如来は、東方瑠光浄土の盟主です。

垂井の国分寺を受け継いだ寺の名前をもう一度見て下さい。「瑠璃光院」と言い、薬師如来を祀っています。

ユーラシア大陸として見た時、日本のロケーションは、東方になり、エジプトは、西方と言えます。

東方瑠璃光浄土には、蓬莱山があるとされ、そこには、東王夫の仙人が住み、西方極楽浄土に住むとされる西王母は、崑崙山に住むとされますが、これは、中国の書物の記録で、場所的には、中国の西の端になり、トルコ系人々の住む地になり、中国より西方を意味しているものと思われます。

 

[西方に住む仙女と、一つ目]

そこに、西王母の様な魔女的な存在を探すと、メドゥーサがいて、その信仰は、トルコにも痕跡はあります(推測)。

そして、トルコの代表的なお土産で知られるナザールボンジュと言う「一つ目」(嫉妬の目)があります。

 隣の家の玄関に飾ってあったので写させて頂きました。

これと、メドゥーサと結びつけるものはありませんが、

この目は、メドゥーサに嫉妬し、メドゥーサを怪物に変えてしまったアテナ神の目ではないかと思うのです。

メドゥーサの物語の中にも、一つ目が出てきます。

また、松を聖樹とするポセイドンもです。

 

メドゥーサは三姉妹で、ゴルゴーンの三姉妹と言われますが、その三姉妹は、一つ目を共有する三姉妹の老婆・グライアイの姉とされる不思議な構成になっています。

今なら、こう私は考えます。

三囲神社の井戸が目なら、この三老婆は、三つの鳥居であり、鹿島・香取神宮の三角が重なるように、ゴルゴーン三姉妹が重なっているのだと思えます。

メドゥーサ信仰の痕跡は、私の推測でしかありませんが、上記の美濃の星宮神社に見られるのです。(星宮神社とメドゥーサの記事はコチラ)

 

{三角の井戸とケルト]

また、シチリア島にもメドゥーサ信仰はあり、船乗りは、船にメドゥーサの一つ目を描くのです。

 

その隣の、サルデーニヤ島には、ケルトの三角の井戸があり、ピラミッドの原型と言われる建造物もあるのです。

そして、の節を重ねた様なヌラーゲと呼ばれる高い塔があるのです。

このような事から、籠目の意味にはこんな事も含まれているのではと思うのです。

(サルデーニャの記事はコチラ)

サルデーニャ島のサンタクリスティーナの聖なる井戸

 

[目から分かる日本と、エジプトのつながり]

ここまで読んで、この目に関して、少し、違和感を持たれたのではないでしょうか?

エジプト信仰と、日本の信仰とは、左右逆ですね。

エジプトでは、左は、月で、日本では右です。

太陽に関して、

エジプト信仰では、夏至に沈む太陽を崇拝し、

日本の信仰では、冬至の昇る太陽を崇拝する事も逆です。

そして、龍もです。

西洋では、龍は邪悪なものとして扱われ、トルコのカッパドギアを舞台にした、聖ゲオルギウスの龍を退治する絵でも分かります。

日本では、守護神として扱われますね。

籠目唄の籠の字にも「竹」と」「龍」で構成され、笠寺の「笠」も、こじつけるなら「竹」と「立」で籠のような構成になっていますが、「立」は「りゅう」と読め、また、「立つ→辰(龍)」である事から、この字にも言葉遊びにしたと思われるのです。

これが本当なら、日本とエジプトは、陰と陽の関係なのかもしれません。

エジプトで太陽神は、鳥(ハヤブサ)の顔を持つラーです。

もし、籠目唄がこれを内包しているとしたら、「鳥は、いつ現れる」と唄っているのは、「ラー」と言う事になります。

 

宮本武蔵は、空海の東寺での絵と、の絵を描いています。

この籠目唄は、真言宗の修験僧から広がっていると書きましたね。

空海は、真言密教の創始者で、その東寺に絵を描く事は、その絵に意味を持たせて書いているはずです。

鷹は、ハヤブサのラー神で、竹は、ヌラーゲの高い塔とするのはどうでしょう。

これは、宮本武蔵を利用しただけかもしれません。

沢庵和尚に勧められて、美濃へ修行に行っているからです。

宮本武蔵との繋がりを証明する物は現れていませんので、言い切れるものでは無いですが、ここまで読まれてどう感じられたでしょう?

 

問題は、この鳥が現れた時、どうなるかです。

それは、「鶴と亀がすべった」の一節にあるはずです。

当初の浦嶋伝説では、浦嶋は、時間か過ぎ、未来へ来てしまった浦嶋は、玉手箱を開けたため年老いて、鶴に変身して、亀に姿を変えた乙姫を追い、東方瑠璃光浄土にある蓬莱島に行きました。

西方極楽浄土の地の仙女と紐解いたグライアイは、老婆。

東方瑠璃光浄土に行った浦島太郎は、老人に。

この事と、上記でも書いた様に、蓬莱島は、日本を表している事から、籠目唄の内容は、日本となります。

 

事が起きる時を表しているのが「夜明けの晩に」です。

普通なら夜明が開けているのに、まだ晩のように暗い日を象徴しているのは、「冬至」ですね。

冬至と、東寺は、言葉遊びを意識したものなのでしょうか?

その時には、何が起きるのでしょうか?

それが起きる場所は、冬至の風習から日本を表しているのでしょうか?
皆さんも考えて見て下さい。

 

事が起きた内容を表す文言は「鶴と亀が滑った」にあると思うのです。

蓬莱島に行った鶴亀が滑ったととれ、

エジプトの玄室に対極に描かれている(目も描かれている)

犬(真言密教)と、猿(天台密教)との組み合わせのように、(犬猿の仲)

東方と、西方のバランスが崩れるととれますし、

鶴亀の具足を使う妙見信仰の地に何か起きるともとれます。

どちらにしろ、将門の首が災いを起こす事から、

大きな災難が起きるのでしょうか?

それとも、火球は堕とされた事や、

将門の首を堕とされた西美濃に残る伝承から、災いは、星宮神社に封印される事になるのでしょうか?

それとも、そこに封印された魔物は、六社に囲まれています。

その六社とは、六芒星の形の籠目なのでしょう。

この二つの三角によって封印された魔物は、バランスを崩した封印により

解き放たれるのでしょうか。

スカイツリー周辺の牛と梅のアイテムは、菅原道真を表していて、令和です。

菅原道真の菅一族によって成就されるのであれば、今の世です。

 

これらが、籠目唄に含まれているとした私の説はどう思われますか?

 

次回は、これらの不思議なピースが、あり得ない場所で揃うのです。

前の記事で、今回に書くとした、松と古代エジプトの不思議な結びつき

も次回に繰り越しにります。