浦島太郎の伝説の隠された意味(新説) | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

最近の記事は、地中海に浮ぶサルベーニャ島からの紐解きでした。

それは、バビロニアの聖なる塔から、東京スカイツリーへとつながって

行きました。

今日は、前回の記事で感じた、浦島太郎のお伽噺との関わりを、もう

少し掘り下げてみようと思います。

私の感じた通り、驚くつながりが、沢山現れたのです。


バベルの塔であったのではと言われる、聖なる塔「エ・テメン・アン・キ」

(バクダード南方)が、日本の密教の根幹を成しているのではと、前回の

記事で感じたのです。

この塔の特徴は、一つ前の記事で書きましたが、それらは、私が今ま

で紐解いて来た話を裏付けるようなものでした。

そして、日本昔話に出てくる有名な童話も、これらの事を元に創られた

のではと思えたのです。

例えば、浦島太郎の話では、前の記事で太郎を、高い塔を表す「鶴」と

解釈して、日蓮宗の具足の鶴と亀の蜀台につながるとしました。


その時点では、浦島太郎のお伽噺の詳細を良く知りませんでした。

調べてびっくり、室町時代に書かれた「御伽草子」には、玉手箱をあけ

ると太郎は「」になり、乙姫は「」になり、蓬莱山へ飛んで行ったと

書かれているのです。

私が、鶴亀の蜀台と結びつけたのは、浅草から広がったとされる「かご

め唄」のからです。

その唄に出てくる「鶴と亀」は、平将門の柄杓(東京神田明神を軸とする柄杓形

形成する神社群)の水をかける先を指し示していました。

龍宮城が出てくる伝説は、琵琶湖の竹生島(ちくぶ)や、善光寺の伝説

ですが、それらは、東京スカイツリー界隈と繫がりました。

地中海のサルベーニャ島の遺跡からもつながり、日本のお伽噺もそれ

につながっているのではと、前回感じたのです。

今まで私のブログを読まれている方には、これだけで理解していただ

けると思いますが、初めて読まれる方には、説明不足の感があります

。とても長い説明になるので、この記事では控えます。

時間があれば、一度まとめようと思っています。


簡単に、浦島太郎のお伽話について書いていきます。

[浦島太郎]
このお伽話と同じ内容が、初めて登場したのが、800年初めに作られた

「日本書記」にでした。やはり、この書は、不思議な話の原点のようで

す。

その場面は、丹後半島でした。

現在、伝わっている内容との違いは、亀は女性に化けて、その女性を

妻にし、蓬莱山に行き、仙人に会って回ったと言うものです。

もっと詳細に書かれているものが、同年代に作成された「丹後国風土

記」に登場する話です。

ここでは、浦島太郎の住んでいた場所が詳しく記されています。

丹後国興謝郡日置の里の筒川村なのです。

唖然としました。日置の里とは何なのでしょう。

愛知町の記事でも取り上げた易とつながる日置部(ひおきべ)。

この町を知らなければ、日置の意味も知らずに通り過ごしていたでしょ

う。

そして、丹後半島は、蓬莱山を求めやって来た徐福伝説が残ってい

て、ここからもつながりそうなのです。


[徐福伝説と不老不死伝説]
徐福伝説には、似たような話があります。一つは、秦氏の渡来に関す

る伝説です。

もう一つは、の語源になった田道間守(たじまのもり)の逸話です。

後者は、垂仁天皇の命を受け、「不老不死の木」を探しに行くと言うも

のです。
垂仁天皇と言えば「相撲」の祖師とされます。

ここでも相撲が関わりを持ちます。

将門の柄杓とスカイツリーの間に、相撲の聖地、蔵前があるのも理解

できませんか。

垂仁天皇稜は、「宝来山古墳」とされ、ここでも、蓬莱山の名が登場し

ます。

そして、
田道間守(たじまのもり)の墓も、この垂仁天皇稜の中にありま

す。この時代の
天皇稜に、部下の墓も一緒に併設されている形は見

た事がありません(私が知らないだけかも)。

それも、墓稜を囲む水の中に造られているのです。

これは、琵琶湖に浮ぶ竹生島ではないかと、私は思ってしまいます。


蓬莱山は不老不死の木(橘)が生えているとされます。

そして、橘は、日蓮と結びつきます。

日蓮は、柄杓の形の北斗七星信仰(妙見信仰)。将門の柄杓とつながっ

てくるのです。(これについての紐解きはコチラ)(この記事から続けてかごめ唄

との紐解きまで書いています
)

名古屋の「日置神社」は、「橘」と言う地名にあるのも、当然だったので

す。

ただ、未だに仕組みが分らないのが、私の通っていた学校が「立花」の

名前を持ち、妙見町だった事と、前に高い塔があった偶然です。

これ以外に、私の家のお墓、現在住んでいる場所、子供達の住んでい

る場所、配偶者の特徴を調べていったら、このスカイツリー界隈にいき

ついた偶然もです。

浦島太郎は間違いなく、鶴亀の具足です。

その意味は、「高い塔(=鶴=浦島)が、竜宮(天界)へ行ける」で、物語に

隠されていると思われます。

今までの記事で、「鶴」は、「塔」であり、「竹」を表すとしてきました。

竹は筒になっています。浦島の住んでいた「筒川村」には「筒」の字が

使われています。そして、名古屋の徳川の霊廟の地名も「筒井」です。


浦島の話も不老不死。徳川家康も死からの再生を信じていたようで

す。それは、易がどうも絡んでいるようです。


[卜部(ぼくぶ)]
易は、平安時代「卜部(ぼくぶ)」と呼ばれていました。

卜部は、亀のこうらを焼いて出来る亀裂の形を意味し、占い生業とした

一族を卜部氏(うらべうじ)と言い、国の占いを任される部署を担ってい

ました。

つまり、日置の里で育った浦島の「浦」は、「卜(うら)」で、亀の上に出来

た模様なのでしょう。

そして、鏡像の裏側の世界の「裏」をも含んでいるのでしょう。

この卜部の名前は、今でも姓名として残っています。

特に、伊豆、壱岐、対馬の卜部氏が力を持っていました。

伊豆には何故、賀茂の名前を持つ賀茂郡の名があるのか疑問でした

が、これも理解できました。と言うことは、やはり、私が紐解いた河津桜

で知られる河津は、カエルを意味し、「蝦夷」を意味しているのでしょう

ね。

そして、この卜部氏を追って行ったら、まだ記事にしていませんが、将

門の首塚があり、名古屋で有名な易者がいる不思議な場所、丹八山と

つながったのです。

そして、そこにあった七所神社と、私の母が生まれ、私が子供の頃育

った場所で、何度も記事にした七所社とがつながったのです。

この神社を代々受け継がれている吉田氏とのつながりが、今一、分か

らなかったのですが、これも今分りました。

この宮司さんも知らない事なので、私の説は妄想でしかありません。


記事を書くには、とてもミステリアスで興味深い場所だったにも関わら

ず、保留にしていたのも、その流れでは無かったからだと思うのです。

これは、いずれ記事にします。



今、私が、追っているのは、サルベーニャ島から、私が少し住んだフラ

ンスのグルノーブルなのですが、伊豆へつながるのではと考えていた

ので、ピッタリのタイミングで現れたのでした。


いつもの事ですが、今日の本筋から脱線してしまいました。

話を戻します。

浦島太郎の職業は「漁師」です、元の話しは、「網に掛かった亀」から

始まります。

浅草寺と、甚目寺の縁起は、「漁師」が「観音様」を網で引き上げるか

ら始まりました。

寺の縁起に「漁師」が登場するの珍しくは無いですか?

浅草寺の漁師は「兄弟」です。海幸彦・山幸彦の兄弟の伝説にも、浦

島太郎の話に似通っているものが有ります。

証明するものは有りませんが、この一致は、総て一つの事柄から広が

った話であるように思うのです。

私が、スカイツリー界隈に辿り着いたのも、浅草寺と甚目寺が絡んでい

たからです。これらは、偶然だったのでしょうか?

法隆寺の鎌の時もそうでしたが、これらの謎めいたものは、私が紐解

いてきて感じたのですが、三つの場所を紐解いて、一つになる、三位

一体の構造をしています。総ては、この思想から構成されているようで

す。