倭文(しず)は、日本の隠れた歴史のカギ? | パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

最近、「倭文(しず)」の文字が、私に纏わり付いているので


興味を持っていました。


この意味が、今日、理解できました。


これは、「織物」の名称で、古代日本の織物を表していまし


た。


赤と青の横糸をランダムに織り込んだ、大和時代に北九州


の海人族によって作られた織物とされます。


北九州の海人族は、つい最近、「世界不思議発見」で出て


きたので、直に理解できました。


海人族とは、海の正倉院と言われる神の島(博多沖に浮ぶ「沖ノ


島」)を守ってきた「宗像(むなかた)」一族をそう呼んでいまし


た。


「文」は、文様。織物の「あや」を意味して、「しず」は、「日本


工芸資料」には「筋」から来ていると書かれています。


「倭文」は、『和名抄』には、「シトリ」と注釈がついていて、


倭文布の織る人々「しとり部」を表していました。


この名前が各地に有る事から、その集団が各地に伝播した


もののようです。




ちなみに「倭文」がある地域は、


常陸国(ひたちのくに。茨城県)。


美作国久米郡(みまさかのくに、安来市南部)

   伯太(博多)の地名が有る辺りで有る事からも北九州につながりそうです。


上野国那波郡(かみつけのくに。群馬県高崎付近)


淡路国三原郡(淡路島南西部)倭文神社が有る。


因播国高草郡(鳥取県鳥取市付近)




「倭文」の文字が入った神社は、奈良県葛城市(高野山が


有名)に有ります。


葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめの


はいかづちのみことじんじゃ)、通称「倭文(しとり)神社」と


呼ばれています。


この地と秦氏を少し前の記事で結びつけて来ました。


秦氏が関わっているのでしょうか?



ここで、私のひらめきの解釈を書いて見ます。


以前、ヒッタイトの記事で、「服部(はっとり)」を「ハットウシリ


王」と結びつけ、「シ」を取ると「はっとり」になると、家紋と合


わせて紐解いてきました。


ひょっとしたら、「倭文」を「しとり」と読むのは、「《し》を取る」


から来ているのかもしれません。


織物(服)を扱う部族「しとりべ(倭文部)」から「服部」になっ


たとする解釈は、皆さんはどう思われますか?



「倭文」は、「しずしず」とか、「おしとやか」を表し、女性の慎


ましやかさを意味する事から、女性の名前に使われるようで


す。



やはり、最近、私が導かれているのは、「博多」のようで、


今朝、ジョギングの途中、白山神社に寄り、お参りしました。


拝殿の柱に「大祓」の祝詞(のりと)が書かれていました。


その中に、「筑紫の日向の橘の・・・」と書かれてた部分が


目に入りました。ここの祀り神は以前は、「イザナギとイザナ


ミ」でした。


日本を造ったのは「イザナギ」の日向の海での「禊みそぎ」


からだった事を思い出しました。


そして、日本の神話を造ったのは、この海の海人族からと言


う説も有ります



何故か、符合します。


北九州の海人族が、本当に「倭文布」の発祥としたら、「倭


国」は、北九州説が有力になりそうですが、葛城から広がっ


たとも取れるし、安来からの流れからすると、博多が浮びま


す。



この様な字からもロマンが広がりますね。