3月9日作成未投稿記事 4
一部の読者の方には、HPでご覧になられている記事です。
地名に隠された意味
昔の人は、その土地の湧き出るパワーを知っ
ていたと思われます。
何故なら、あまりにも巧妙に配置してあり、謎
めいた言葉遊びで、その事実を隠そうと
した節が見られます。愛知町にも、阿蘇の日
田にも見られましたが、愛知県西部に有る
愛西市の日置町(ひきちょう)にも見られまし
た。
日置八幡宮は「へきはちまんぐう」と呼ばれて
います。全国に有る日置神社の多くは、
「ひおき」と呼ばれる方が少なく、多分、「へき」
→「えき」→「易」からだと思われます。
京都の石清水八幡宮の男山は天王山と対峙
しています。ここでも、対峙している北西方角
に津島神社が有り、津島牛頭天王社(ごずてんのうし
ゃ)と言われ、今も「天王さん」と言われ、夏の
天王祭りは有名です。
巻藁船(提灯船 )が365個の提灯を付けて、天王川
に漕ぎ出されます。
この提灯の数はうるう年には366個になりま
す。こうも厳密に数を揃える事はどうでしょう。
「易」の影響が有るように思えます。スサノオが
船に乗って着いたとされます。スサノオが
天の一族で有るから、船は海に浮かぶ船では
ないでしょう。そう考えると、この巻藁船がUFO
に見えてくるのは、私だけでしょうか?
南北朝時代この地に逃げて来た良王(後醍醐
天皇の孫、尹良親王の御子、南朝方)をこの
地の一族が飾り着けした船で北朝方の船を撃
破した事から、この祭りが始まったとされる説
が有りますが、この時点で、船を飾り着けした
船が出てくるので、古くからの伝わりがあった
ものと推測します。そして、ここでも、私の名前
の「良」が出てきます。
[津島神社]
社伝によると、須佐之男命が韓国に渡った
時、その荒御魂(あらみたま)は出雲國に鎮め
ました。
又、和御魂(にぎみたま)は孝霊天皇の四十五
年乙卯(前二四五)に一旦、対馬に鎮めまし
た。
そして、その御魂は、いろいろな地に移り、嵯
峨天皇の弘仁九年庚寅(八一〇)今の地に移
ったとされます。この事から、まだ、調べては
いませんが、「津島」と「対馬」を掛け合わせて
いるものと思われます。
対馬はとても謎に満ちた場所だと良く聞きま
す。そうだとしたら、この「津島」は神話にとっ
て、とても重要な地で有るはずです。
話を少し戻します。上の地図から日置町の周
りには、今までの話に出てきた名前が沢山
引っ付いています。
白山、愛宕、稲葉、そして、ここでは書けない
重要なものも有りました。
これらの名前の配置はバラバラで、良く判りま
せん。
地図を見ていたら、もう一つ発見が有りまた。
[パワースポットに有る、地名の特徴]
日置八幡宮の近くで「日比野」と言う地名を見
つけた時、幣懸町の隣にも「日比野」が
何故有るのだろうと思いました。そして、私の
町の近くにも「日比津」が有り、日々津学区内
です。
その町には、私の氏神の白山神社が有りま
す。
先回見つけた○○町の「九重」は、「重陽」と同
じ意味と言いました。「陽」が重なる。つまり「日
日」となる。
そして、愛西市の日置八幡宮から津島にかけ
て、「日比」と言う苗字の人がとても多い。
そして、もう一つ言えない「日比」が私にはあ
る。不思議な事に、同僚の藤江さん(おじいさ
んが観音様を見て転職した)のルームシェアし
ている友人の名前も「日比」と聞いた時、ビック
リしました。
つまり、白山神社の祭神は「菊理ヒメ」(ククリヒ
メ)。由来は、重陽から来ている事から、パワー
スポットは天と繋がる(くくる)と言う意味を、、そ
の地に「九重」とか「日比」とか言う名前で表し
たと言えます。
無意識のうちにその地に、人に、引かれるて来
る人もいます。私達の人生は、神の手の中で
創造されていると言う事です。その良い例が、
もう一つ見つかりました。