第3話
7歳の子が語る生前の世界
ここまで七五三参りの数について、節句や干支を絡めて、私の持論を説いてきました。
七五三参りや、節句では「7」の重要さを私は知りました。
この記事を書いている事も、私の不思議な流れの中で あるかのように、不思議な子供の話しを知りました。
[干支は植物の状態]
干支と言うのは、植物の1年のサイクルの様子を動物で表したものとされます。
子(ね)は、種子の状態を言い、
次の牛は、土の中の根が勢いを増す状態を意味します。
牛は、「土の中」と言う繋がりが見て取れます。
これを現す祭りがあります。
漢数字「七」でも繫がった祇園祭で、その開催は、土用の丑の期間と重なり、この祭りの聖なる子は地面に足を着けません。
土用の期間は、土いじりをしてはいけないとされます。
穢れが 地の底から漏れ出しているからです。
祇園祭の主役の「牛頭天王」は、十二支の牛が表す植物の状態と重なるのです。
また「5」の位置の植物の状態は、「勢いが静まった」状態を表し、角の無い端午の節句(五月)の午(馬)の状態とも言えます。(多分)
牛頭天王を仏教では薬師如来と同じとします。
本来の牛頭天王は、「薬」とは真逆なものです。
この矛盾を解くのが、東の祇園祭と言われる津島(愛知県西部)にある馬と牛の顔を持つ牛頭天王像です。
牛頭天王が静まれば、午になり、薬師如来のような救済者になるのではと考えるのです。
端午の節句には、菖蒲湯に浸かりますが、これも薬効効果と、災い除けとしての役割があります。
3日3日の「桃」も、黄泉比良坂で、イザナギが鬼たちに桃を投げた事を重ねるなら、桃は、邪気を払う力を 持ち、薬師如来と重なるのです。
しかし、牛(牽牛星)が登場する七夕は、薬草は有りません。
この十二支を表す植物のサイクルは、輪廻転生と言えます。
[7歳の子が語る生前の世界]
この記事は、三月頃にほとんど書き上がっていました。
五月に入って、お客様のお子さんが小学校に上がって、お子さんの話題になりました。
この方とは、三重県のいなべと不思議な繋がりが見られ、このお子さんとも、いなべの藤原町鼎(かなえ)にある梅園とも不思議な繋がりが見られたのです。
いなべは、麻を織る特技を持つ一族の地であった事は、梅紋の菅原道真が絡み、一の信仰と、七夕信仰も繫がると考えると梅園の番地が「717」が不思議を醸し出しているのです。
この番地もそうですが、それ以外に、ここでは書けないその方のプライべート部分が、私と不思議な繋がりを見せたのです。
そんな伏線が続き、お子さんの不思議な話に結び付いていったのです。
それは、このお子さんが、生まれる前の記憶が7歳の今となっても残っている話でした。
その話しは、前の世界で母親を選ぶ場面でした。
沢山の女性の顔がルーレットのように、画像のようなものが流れて選んだそうです。
その場所には、男女のお世話役が二人いて、「行って良いよと言ったら赤い扉を開けて下さい」と言われたそうです。
しかし、その前に扉を開けてしまったのですが、許可され、扉を開けると赤い滑り台があり、それを使いお母さんの元へ滑って行ったと言うのです。
7歳の子が語るには、リアルな話しですね。
お母さんの胎内入った時の記憶は無いそうです。
お母さんは、この子の性格がせっかち なのは、産まれる前からなのだと思ったそうです。
良く、この様な子供をテレビ番組は取り上げていますが、滑り台が出てきます。
ファンタジーな世界のようです。
三月に孫といなべの梅園に行った時、 その場所にあった公園の長い滑り台で孫が滑る画像がありました。(マジック消しゴムで加工済み)
それも、この場所には私達家族以外はいなかったのも、引かれてここを訪れたようにも思うのです。
生前の記憶を 持つ殆どは、三歳頃までに忘れてしまうようですが、この子は7歳まで覚えています。
天から降りる時に、プロセス通りでは無かったからなのでしょうか?
この子は言います。
死ぬことは怖くないと。
それは、また、向こうの世界へ戻り、生まれ変わるからだそうです。
我が家では、家族が同じ生活をし、食事をしていても、子供達は、性格もバラバラで、好き嫌いも違います。
殆どの家族に見られるのでは無いでしょうか。
この7歳の子の言う通りなら、肉体は両親からのもので、魂は、別の所からやって来るから違って当然かも知れませんね。
