パオンのブログ

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最初から続いている不思議な話です。
読まれていない方は、ブログのテーマ・「まとめ」から
読んで見て下さい。

(聖ミカエルのラインと、日置信仰)

 

第一話から続いています。コチラ

 このシリーズの記事は、テレビ番組の「不思議発見」を見て始まりました。

私が感じていた名古屋に施された不思議なラインと重なり驚いたのです。

その驚きは一つではありませんでした。


第四話

6)聖ミカエルと、羽のライン

驚いたもう一つの理由は、モンサンミッシェルの屋根の上に、大きな羽のは生えたミカエル像があったからです。

私と、この日置神社との不思議な繋がりの一つに、我が家の墓のある江南市(愛知県北部)との不思議な繋がりがあり、江南市は、丹羽郡の府が昔しあり、東西の羽のラインに挟まれていて、羽の地名にも囲まれているのです。

現在は無い、葉栗郡、稲葉郡が丹羽郡を中心に繋がっていましたが、古くは、調べると、

共に「葉」は、「羽」の字だったのです。

現在、その名残が、各務原の御井神社の在る場所の「稲羽小学校」の名前です。

稲羽は、「米の羽」であり、「八十八の羽」とも解釈できます。


丹羽郡の「丹羽」は、「ニワトリ(酉)」を表し、東には山、西の神戸町周辺には(日吉神社と三猿)がいる事から、その中央にある江南市(古くは丹羽郡の府)は、干支の猿と犬の間に酉が並ぶのです。


これは、名古屋の日置神社にも、猿犬の並びがあり、桃太郎のような話がありますが、酉はいないのです。

しかし、その並びの山王稲荷は、江南から移転している事から、酉の存在を秘めているようなのです。

それは、江南から来ている不思議な繋がりを持つ私のお客様(女性)なのでしょうか?

それとも、江南に墓のある私と二人が合わさり陰陽が整い酉が現れるのでしょうか?


これらの事を考えると、酉の丹羽の地は、日置神社と何らかの繋がりを持つと考えられ、羽のラインと、日置からの不思議なラインも繋がるものと思うのです。

 

その羽のライン上には、キーワードが隠されていて、太陽を表すニワトリからもですが、はっきりと太陽信仰が現れていました。

東の羽のライン上の源氏岳は、太陽崇拝信仰があり、二つの羽の間に、大日岳の名前が見られるのです。

だから、私は、このラインを「太陽の羽のライン」としてきました。

 

モンサンミッシェルのミカエルの画像を見て下さい。

頭に載せた物が「太陽」だとしたら、背中の「羽」、そして「ライン」と見事に重なりますね。

羽のラインの記事はコチラ

 この羽のラインについては、長くなるので省きます。

 

7)聖ミカエルのご利益

ミカエルのご利益は、

戦いの守護聖人で、兵士や、消防士に信奉されているのです。

 

京都のイノシシでつながる愛宕神社も消防の聖地で、消防士が良く訪れるとされます。

本能寺の変の直前に、明智光秀が訪れたのも、この愛宕神社です。

戦いの守護聖人のご加護を願ったのでしょう。

この愛宕には、火の属性を持つイザナミと、水の属性のイノシシに乗る烏天狗が棲むとされ、明智光秀はどちらの戦いの神の力を求めたのでしょうか?

因みに徳川家康は、イノシシに乗る摩利支天を守護神としました。

しかし、光秀は、イザナミであったはずです。

信長は、本能寺で火によって倒された事がそう思わせます。


聖ミカエルも、イノシシに乗る摩利支天と、ご利益が同じなのです。

日置神社は、徳川家康の摩利支天と

繋がっています。

つまり、徳川家康も、戦いの中、兜の中に入れたのは、聖ミカエルとも言えるのです。

そう思うのは、

このご利益の一致だけでは無いからです。

日置神社の隣にあるイノシシに乗る摩利支天像を見て、私は言葉を失いました。

聖ミカエルとソックリなのです。

剣を頭上で斜めに掲げる姿と、羽の様な衣です。

摩利支天像は、沢山ありますが、この寺の摩利支天像だけが、この様な形状をしているのです。

 

ミカエルが「水」の属性を持つのなら、日本では藤原氏が、その信仰を秘めていると感じます。

春日大社が、「水」の属性を持つからで、象徴の「藤」の木が、水を表す龍に見えるからでもそう思うのです。

ただ、藤原氏と、日置の神との繋がりは、各地で見られますが、

日置の神=藤原とは言えないのです。

この繋がりには、まだ深い謎が潜むのです。


我が家の墓のある江南市も、藤の花で知られることも、日置神社(名古屋市中区)の近くにある山王稲荷が江南から移って来た事も一致し、我が家も家紋が藤であるから、私はミカエルとシンクロするのかもしれません。

そして、我が家は消防と深くつながっているのです。

 

馬鹿げた考えに写るかも知れませんが、これが私たちの住んでいる世界を創造する法則なのかもしれませんね。

 それは、天皇が、Y遺伝子を継承することも、それなのかと思ってしまいます。

皇后の家系のほとんどが藤原氏から連綿と続くこともそう感じさせるのです。


この藤原氏と、日置神社との繋がりは、この先の記事の主題となって行きます。

色々なものが見えて来るのです。


続く