【訃報】Amuse代表・ 田名邊秀樹氏【2008.09.21】 | 滑走少年の横滑り☆奮闘日記

【訃報】Amuse代表・ 田名邊秀樹氏【2008.09.21】


まわりの車好きの後輩にあまりにも認知されていなかったので、僭越・遅れ馳せながらも記します。


以下、GT-Chより抜粋。

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高性能なチューニングカーを長きにわたり生み出し続け、日本のチューニング業界の牽引役でもあった(株)パワーハウス・アミューズ代表の田名邊秀樹(たなべひでき)さんが、脳神経膠腫のため2008年9月21日2時35分にお亡くなりになりました。46歳でした。

田名邊さんは1991年に(株)パワーハウス・アミューズを創業、以来コンピュータや排気系、足回りに優れたチューニングパーツを開発し、トップチューナーとしての名声と実績を勝ち得てきました。
同時にホンダS2000や日産GT-Rをベースとしたハイレベルなコンプリートカーも開発、S2000 GT1やS2000 R1、カーボンRといったモデルは『グランツーリスモ4』にも収録されました。

2008年の東京オートサロン2008では、最新のコンプリートカー「amuse nismo 380 Super Leggera(アミューズ・ニスモ380スーパーレッジェーラ)」が「グランツーリスモ・アワード TOKYO AUTO SALON」を受賞しています。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


『グランツーリスモ』シリーズプロデューサー山内一典のコメント

「どこまでも妥協しないモノ作りの精神」

言葉で言うのは簡単ですが、実際の日々の仕事のなかで、それを常にやり遂げることはとても難しいものです。
しかし、チューニング業界の中にあって、奇跡のように、そんなモノ作りを徹底して実践してきたのが、パワーハウス・アミューズであり、代表の田名邊さんでした。
パワーだけを追い求めるのではなく、また、極端な軽量化をしているわけでもないのに、アミューズが作るクルマは、いつだって乗りやすく、そして最速でした。

『グランツーリスモ 4』でアミューズのクルマを収録することになったときのこと。
ご自身の仕事を終えた深夜になると、田名邊さんは毎日のように私たちのスタジオに来て、収録されるご自身のチューニングカーのセッティングを煮詰めていました。
その完成度に対する執念とこだわりは、対応している私やエンジニアが音を上げるほど。

「新しいチタンの素材と、その加工法が出来たんだ」
複雑に成形されたチタンのマフラーを嬉しそうに見せてくれた日もありました。
『グランツーリスモ5プロローグ』にアミューズのS2000が収録されることになった今年の3月、すでに病状は進行しており、歩くことも、話すこともままならない状態だったのに、ご自身でクルマを運転して私たちのスタジオに来て下さって意見を伺ったのが、私にとって田名邊さんとの最後の思い出となりました。

奇をてらわず真摯に愚直に作品の完成度を追い求めること。
どんなときでも言い訳せずに目前の勝負にはこだわること。

勝負している業界は違いますが、田名邊さんからは、たくさんのことを学びました。
なにより一人の男として、とても尊敬していました。
いつも格好いい親分でした。

あんなに頑張っていた人が・・・と思うと、本当に残念で涙が止まりません。
田名邊さんの遺伝子を受け継いだパワーハウス・アミューズのみなさん、これからも私たちが感動する、すばらしいクルマとチューニングパーツを作り続けてください。


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一昨年脳神経膠腫にて亡くなられたアミューズ田名邊氏

逝去約1年前から発覚していたそうですが、
家族は勿論、メカニックさんや取材陣にも言わなかったそう。

亡くなる数ヶ月前に当時出たばかりの35GT-Rを自らドライブし、「良いタイムが出ないんだよね」とぼやいていたそうです。
この言葉の理由は亡くなられた時に真相が判明したそうで、「自分が生きていた証を残したかったから」なんだそうな。

今注意してみると、
Hot-Version峠の魔王伝説でも、冬場なのに薄着で汗だくになっているのが分かります。
かなり辛かったのでしょう。


でも「自分の目標」の為に突き進む姿は、1人の男として、チューナーとして、これから語り継がれると思います

想いの強さって全ての原動力になるんだよね








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