あと書き① パリに行くことになるまで | 私的パリ案内

私的パリ案内

大好きなパリ!美術館も音楽もいいけれど
美味しいものもチョコッと食べてみたい
そんなおばさんの旅レポートです

 事の始まりは、2014年の5月。パリから母に1本の電話を入れた時の

ことだった。私達親子共々に病気を乗り越え、やっと20年ぶりに長期の

旅に出ることが出来た。それを母に伝えようと、パリから電話をしたの

だった。

 ところが母の反応は意外なものだった。簡単に言ってみれば「パリにい

る、それが何か?私は相変わらず毎日毎日同じことの繰り返しだよ。」と

。それを聞いて「これって、一体何なんだろう。」と私達はやや不快、そ

して不思議に思った。

 母は弟が病死してからの毎日を淡々と過ごしている。心に波風が立たな

いように。思い出は辛くなるようだった。子供たちの中でも、たった一人

の男の子。そして弟は母の気持ちを知ってか、色々と細やかな世話をして

いた。脳出血で倒れた時も、偶然ではあるが側にいたのが弟。母の気持ち

はますます弟を頼りにするようになっていたのだろう。その弟が死んで、

母はひっそりと生きるようになった。

 そんな母を見て、私はこれで良いのか?と考えるようになっていた。あ

と何年生きるかは分からない。その人生を毎日食べて、寝て、新聞を読ん

で、TVを見て。時々溜まった衣類の整理をして。そうやって生きてゆくの

か?と。

帰国後の整理画像①

ホテルの料金

ホテル料金

3人部屋は299€~160€(料金の差は季節による)とあるが、

Hotels.comの予約で6154,106円だった。1泊=約25,600円。

€に換算して(当時1€=138円)かなり安い方の宿泊料金だった

ことが分かる。(一人の料金ではなく、一部屋の料金)


その他のオプション料金

オプション表

 数年前から、私は実家を訪れる度に母を温泉に誘うようにした。母は

「たまにはいいよね。」と言いつつ、少なからず嬉しいようだった。初め

は「温泉に行くって言っておいた筈だけど、用意は出来てる?」と聞くと

「今やってる。」という調子。それが段々、前日の内にすっかり用意が出

来ているようになった。

 母は80歳まで生保の仕事を続けていたキャリアウーマンである。最初は

東京に出た子供たちの仕送りのためだったが、それが終わると海外旅行に

出るようになった、元々旅は好きな人だ。その母を温泉に連れてゆくのは

気晴らしも兼ねていたが、彼女の運動能力と判断力を計る意味もあった。

いつかは近くてもいいから海外へ連れて行ってやりたい、そう思いつつ。

 パリから掛けた電話の時の母。あれは一体どういう事なんだろうと考え

て、ある事に気が付いた。母は多分、海外に行けない自分が悔しいのでは

ないかと。脳出血で倒れ、そして年齢は87歳。とてもじゃないが行く事な

んか出来はしない。悔しい。そんな気持ちが心の奥底にあったのではない

かと。

 夏は毎年、娘と私の親子で実家に行く予定になっている。電話でその日

程を連絡をするついでに「パリへ行ってみる?」と何気なく聞いてみた。

母は電話の向こうで苦笑いして「こんな年寄になって無理だよ。」と言う。

「そうかな?私と娘とでお母さん専用スケジュールを作ってみるけど。」

「私でも行けるかね?」「うーん、そうだね。例えば、見学は1日に1

所。食事は外食はお昼だけで、朝と夜は自炊出来るキッチン付きのホテル。

こんな感じだったらいいんじゃないかな。」「連れてってくれるのかい?

」「そうそう、但し来年ね。今年はもう私達は行ってきたから。」「来年

じゃ行けるかどうか分からないよ。今でも行けるかどうか怪しいんだか

ら。」

 行くんだったら「今年」と譲らない母。電話先だけのことだが、本当に

行く気になってきたらしい。やっぱり、行けるものなら自分も行きたい。

そういう事だった。私は早速スケジュールの試案を作り始めた。


帰国後の整理画像②

家まで持ち帰った『カレット』のクロワッサン。

美味。もっと買えば良かった。

カレット クロワッサン

同じく、マカロン。皮がしっとりとしていて、

今までにない感触。こちらも『ラデュレ-』より旨い!

と思った。

カレット マカロン