飛行機に乗り込んで手荷物を上のボックスに収めた。私の膝には貴重品が入
っているバッグ一つ。母は手提げ袋も面倒だからと上に入れなかった。母の機内
での持ち物は肩からの小さなポシェットと手提げ。早速その手提げの中からスリ
ッパを出す。100均で買ったスリッパが案外に丈夫で役に立つことは前回の旅で
証明済。
キャンセルした客がいるということで、出発がほんの少し遅れるという
アナウンスが入った。母は全く気にしていない様子だった。緊張している
のかどうかも表情からは読み取れない。東京に来てから何度か口にしてい
たけれど、実際に飛行機に乗った今でも「本当に自分はパリに行けるのだ
ろうか?」そう考えているのかも知れない。
予約の際に、私は機内が空いている場合を見越して後部座席を予約した。
案の定、今日はガラガラ。後ろの席からは、それが良く分かる。エコノミ
ー席しか見えないが、半分も埋まっているかどうか?飛び立って、シート
ベルトサインが消えてすぐに、母を前の座席に移動。肘掛を全部上にあげ
て、3席を使ってベッド代りにする。このまま横になってパリまで行ける
とは、有難い!と心から思った。ついでに私達も一人ずつ分かれて座るこ
とにした。機内で私達と同じようにした人は意外に少なく、フランス人の
男性二人組ぐらい。みんな、元気だなぁと感心する。
搭乗して約1時間。機内食が始まる。娘が隣へ行ってサポートしたらと
言うが、母はゆっくり食べるからいいと断った。脳出血で倒れてから、母
の右手は麻痺している。倒れたのは弟が偶然実家に泊まっていた時。発見
が早かった。だからリハビリを早く始めれば、右手はとっくに回復してい
るはずだった。ネットで調べて、その事を知った私はリハビリの方法をコ
ピーして母に送った。でもそれは無駄だった。脳の機能が落ちていると、
リハビリをやる必要すら覚えていない。そして理解も出来ない。側にいる
人が「さぁ、リハビリやろうね。」と声を掛けなければ、本人は全く気が
回らないのだ。その事に気が付くまで、ややしばらくかかった。初めての
脳出血。家族の中に一人も同じ病気の人がいなかった。
また治療目的の病院から機能回復への病院への転院にも失敗したことが
悔やまれる。同じ町に住んでいる友人のお母さんは機能回復に積極的な病
院を選んだため、麻痺はほとんど治ったと言う。
病気で倒れて7年。母は自ら右手の訓練を初めている。誰かから言われ
たのか、それとも自分で考えたのか。私も実家に帰る度に「右手を使って
みたら。」と言いつつ、右手の素人マッサージをしている。だが、滞在は
数日。一人暮らしの老人の場合、本人がやるぞと思って継続しなければ改
善はしない。母にその気が出てきたということは、脳出血からの回復がほ
んの少しずつだけれど進んでいる。そういうことだろうと私は思っている。
飛行時間は約12時間。時間はたっぷりある。余計な手を出さないで、機
内食は母自身で食べてもらうことにした。左手を使って何かを右手に持た
せることが出来るまで回復した。だが自由に動かすことは出来ないので、
箸は使えない。が、やがて出来る日が来るような気がする。
母が選んだ機内食は「牛肉しぐれ煮弁当」。いつも思うけど、
品数が多過ぎ。少なくして、もう少し肉の品質と味を良くして
欲しいものだ
2回目の食事が出ると、パリも近い。今回の旅行を決める前に「必ず、
医者に相談するように。」と母に言っておいた。医者からは「エコノミー
症候群に気を付けるように。」とだけ言われたそうな。その点については、
計画当初から3時間に一度、機内を歩かせようと考えていた。だが、ラッ
キーなことに座りっぱなしの状態は免れた。
その、母。寝てばかりいたと思っていたら、そうではなかったらしい。
トイレに行ったついでだったのだろうが、窓の外に氷河を見たと言う。も
う30年ぐらい前になるが、初めて母と私がヨーロッパに旅した時も母は氷
河を見ている。あの時はアンカレッジ経由だった。今は同じルートを飛ん
でいるとは思えない。昔は一度必ず給油があった。季節も今は10月、前は
12月。娘に聞くと、言われて窓を見たら雲海だったと言う。まぁ、いいで
はないか。氷河だったという事で。
着陸が近づき、母はすっかり起き上がった。私達に飴をくれたり、みか
んを食べろと言ったり忙しい。少し喉が痛い私は、内心持って行かなくて
もいいのにと思ったみかんを有難く頂戴する。ビタミンCって大事でしょ、
風邪の時は。
雲海の更にその上は青い空