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しもちゃんのブログ

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ことしは苗の植え付けが少し遅れて連休前後になったが、まあ育つこと育つこと。


ズッキーニ、キュウリ、ゴーヤ辺りが先頭集団で、これにトマトや枝豆、ピーマン、伏見唐辛子、ナスなどが続いている。


ズッキーニなんぞは直径1m以上にもなって、日本のうち一本は自重で半分もぎれてしまった。それでもキューリ見たいな実はよくなって、もぎ取り開始。ベーコンなんぞと炒めてスパゲッティ、炒め物にして食べている。


キューりもなり始め、いつでももぎれる状態。頭の芽を毟りわ脇芽も毟り、生育調整。

ゴーヤもすでに実が付き始め、えらく早い。


全般にことしは生育が早く、どうしたこっちゃと、不思議。土の手入れが良かったかな。


失敗は島オクラ。高い育肥をジャンジャンやってるのに成長どころか枯れかけている。なんでやねん。

それとポットでの種子からの苗育成が上手くゆかない。水のかけすぎか、浮いてしまって播いたところと違うところから芽がでたのもあった。もっか再チャレンジ中です。
しもちゃんのブログ これズッキーニ。苗モノ屋では直径30~40cmだったのに我が家では1m以上はあるぞ。カボチャ科だけにハナは黄色でカボチャみたい。

しもちゃんのブログ キュウリは4本。いまから続々ととれるぞ、それはそれで少し気が重い。

しもちゃんのブログ 左からズッキーニ、キュウリ、二十日大根。二十日大根は終わりましたが最後の1本はおばけに育っていた。

宇和島市の鬼ヶ城山系にある三本杭山の山頂から数年前、変わった形のブレイドが多数採集されて、宇和島市に届けられた。


河原礫に打割を加え、細長の刃器を作った物だが、いずれの刃器の片面にも自然面が活かされていることだ。普通にはみないものですね。そして山頂にはその原料となる河原礫がまるまる落ちているという。


あたり一帯は花崗岩地帯で岩盤が顔を出しており、河原礫が異質な存在であることはすぐ判るそうだ。


何時の時代のモノかは類例がなく決めがたいが、四万十市のオキショウジ遺跡では縄文弥生の混在遺跡から出土しているそうで、おおよそのことしか判らない。


現地に向かうのに若干体力的不安もあったが、まずは宇和島市からスーパ林道が高知の黒尊に走っているので、これにのってイノシシのコル近くにまで接近。その途中で鹿にも雉子にもであう、生野生満杯の出足。


ここから八面山に向かう山道に潜り込むも初めはちょって厳しくてここ行くのと言った感じであったが、一人分幅しかないが、きれいな山道が通っていて、快適な山行き。あいにくガスが掛っていて眺望はよくないが、何とか1.165mの八面山(やずらやま)に到着。


山頂から見て左手に鬼ヶ城山系最高峰の高月山(1.28m)、正面にこれから向かう第2峰といっても3mしか違わない(1.225m)の三本杭が壁のように突っ立っている。その間は深い吊尾根となっていて、一端下ってまた登らねばならないのかと、深いため息。


急傾斜を三本杭に向かって下ると、平坦な尾根が続くのですよね。この尾根が素晴らしい。あちこちに鹿の食害から樹木や笹を守るためのフェンスが張られ、鹿の食害に悩まされる山の苦悩がよくわかるが、この辺りはブナ林帯でブナ林の隙間から差し込む木漏れ日、薄く柔らかな新緑の葉を透す光、笹しかない低草の下草がゆえにその見通しのよさ。照葉樹林帯のジャングルのような汚さに比べると実に気持ちがよい。


これをルンルンと愉しんで熊のコルにまで至るとここからが三本杭に向けての急傾斜登山。これがまあ、道のないところもあり、難儀この上もないのですね。同行の一人は40歳ごろのアラフォおじさん、他の一人はアラサーで、小生を挟んで前後を歩いて呉れるんだが、こちらは息はゼイゼイ、足あがらずの難行苦行行なのにほとんど平気な様子。その上、虫がブンブンとまとわりついていやー苦労しましたが、やっと山頂へ。山頂は裸地となっていて、今笹を植えて、植生回復に取り組んでいる最中。これも全部鹿によって笹が喰われてしまってのこと。


山頂は黒色土(黒ボクか)に覆われ、その下層には花崗岩の岩塊が顔を出し、風化花崗岩が埋めている。山頂には長さ30cm、幅20cm、厚さ10cmの河原礫がまんまで転がっていたが、こんな山頂に麓から持ち上げたんでしょうかね。


また石刃とな関係ないと思うが古代の須恵器も採集されているんですよ。


西南四国は山の国。まだまだ、判らない不思議が沢山詰まっているね。

それを常識史観(教科書史観、中央史観、そこらの本や販売本史観)で切り捨てないでね。


帰りはちょっとルートを変えてであったが、割に順行。


宇和島に戻って、ほどよい疲れとさわやかな心性につつまれて先ずは生ビールをグイ、フワー
しもちゃんのブログ 八面山より。正面が三本杭。三本杭というのは、江戸時代土佐藩、宇和島藩、吉田藩の境界域でそれを示す杭がこの近くに打たれたことに由来する。この三蕃ショッチュウ境界争いをしていて、その裁きをお江戸で受けるため、証拠資料とした山形模型があちこちに残り、重文になっているものもある。


しもちゃんのブログ これが、八面山と三本杭をつなぐ尾根筋のブナ林。東北のブナ林も本場の良さ(白神山地)があるが、ある面、こっちの良さもあるよ。同じ体験は野村のカルストでも味わった。

しもちゃんのブログ これが1.225.m山頂に運び上げられた河原礫。ご苦労さん。


暫く休んでいましたが、今回はぜひ書きたくて。


島根県日御碕からの帰りに同県雲南市の海潮温泉に泊るべくうろうろしてたら、相棒がたまたま表記の山王寺棚田を地図上で見つけ出した。時間もたっぷりあることととて、早速寄り道してみた。


素敵といえべば素敵、棚田百選に選ばれているだけにレベルに達したモノであるが、棚田百選もいろいろあって?もある。ここが良いのは傾斜を南北に貫く道路を除くと、ほとんどコンクリートが導入されていないのが美しい。


次ぎによそものが予告もなく車を乗り付けているのに、集まっていた村人が「今日は」、い「いらっしゃいと」との声かけ挨拶。びっくりしましたね。車利用で一回りして、展望所にて全貌を眺めてたら、村のおじさんが「今日は田んぼの学校で130人の人が各地から集まり、田植えをしたのよ。島根大学生も15名くらい完全ボランティアで参加したし、広島からもきてくらたよ」とのことで、名刺を下さいました。


村の山王寺本郷棚田実行委員会の高田健次さんであった。わずか17戸が寄り集まって、多くの人の助力を得て、一枚でも耕作放棄地を棚田に戻そうと頑張っている最中とのこと。


以上の人を迎えるホスピタリティ、頑張り、熱意、これには本当に感動しました。


出雲市の知り合いによると、人数が少ないながら神楽にも積極的に頑張っているそうです。


なにか出来ないかと思っていたら、この活動にはオーナー制とトラスト会員制があるそうです。

オーナーは年3回ほど現地活動に参加するそうだが、遠いし車もないので無理。そこでいささかでも守る役にたてばと「山王寺の棚田」を守るトラスト会員になることにし、郵便振替で振り込みを済ましました。


年間1口10.000円、で、5Kgのおいしいお米と野菜を下さるそうですが、そんなことより少しでも棚田が保存されることを願うばかりです。


郵便振替 口座番号 01310-3-51018    加入者名 山王寺本郷棚田実行委員会  デス。皆さんもどうぞ。
しもちゃんのブログ 下の方の斜面は耕作放棄地になっていた。これもなんとかしたいと語っておられた。

しもちゃんのブログ 里山の生き物も紹介

しもちゃんのブログ 棚田遠望

しもちゃんのブログ 光っているあたりが田んぼの学校で田植えしたところ。