宇和島市の鬼ヶ城山系にある三本杭山の山頂から数年前、変わった形のブレイドが多数採集されて、宇和島市に届けられた。
河原礫に打割を加え、細長の刃器を作った物だが、いずれの刃器の片面にも自然面が活かされていることだ。普通にはみないものですね。そして山頂にはその原料となる河原礫がまるまる落ちているという。
あたり一帯は花崗岩地帯で岩盤が顔を出しており、河原礫が異質な存在であることはすぐ判るそうだ。
何時の時代のモノかは類例がなく決めがたいが、四万十市のオキショウジ遺跡では縄文弥生の混在遺跡から出土しているそうで、おおよそのことしか判らない。
現地に向かうのに若干体力的不安もあったが、まずは宇和島市からスーパ林道が高知の黒尊に走っているので、これにのってイノシシのコル近くにまで接近。その途中で鹿にも雉子にもであう、生野生満杯の出足。
ここから八面山に向かう山道に潜り込むも初めはちょって厳しくてここ行くのと言った感じであったが、一人分幅しかないが、きれいな山道が通っていて、快適な山行き。あいにくガスが掛っていて眺望はよくないが、何とか1.165mの八面山(やずらやま)に到着。
山頂から見て左手に鬼ヶ城山系最高峰の高月山(1.28m)、正面にこれから向かう第2峰といっても3mしか違わない(1.225m)の三本杭が壁のように突っ立っている。その間は深い吊尾根となっていて、一端下ってまた登らねばならないのかと、深いため息。
急傾斜を三本杭に向かって下ると、平坦な尾根が続くのですよね。この尾根が素晴らしい。あちこちに鹿の食害から樹木や笹を守るためのフェンスが張られ、鹿の食害に悩まされる山の苦悩がよくわかるが、この辺りはブナ林帯でブナ林の隙間から差し込む木漏れ日、薄く柔らかな新緑の葉を透す光、笹しかない低草の下草がゆえにその見通しのよさ。照葉樹林帯のジャングルのような汚さに比べると実に気持ちがよい。
これをルンルンと愉しんで熊のコルにまで至るとここからが三本杭に向けての急傾斜登山。これがまあ、道のないところもあり、難儀この上もないのですね。同行の一人は40歳ごろのアラフォおじさん、他の一人はアラサーで、小生を挟んで前後を歩いて呉れるんだが、こちらは息はゼイゼイ、足あがらずの難行苦行行なのにほとんど平気な様子。その上、虫がブンブンとまとわりついていやー苦労しましたが、やっと山頂へ。山頂は裸地となっていて、今笹を植えて、植生回復に取り組んでいる最中。これも全部鹿によって笹が喰われてしまってのこと。
山頂は黒色土(黒ボクか)に覆われ、その下層には花崗岩の岩塊が顔を出し、風化花崗岩が埋めている。山頂には長さ30cm、幅20cm、厚さ10cmの河原礫がまんまで転がっていたが、こんな山頂に麓から持ち上げたんでしょうかね。
また石刃とな関係ないと思うが古代の須恵器も採集されているんですよ。
西南四国は山の国。まだまだ、判らない不思議が沢山詰まっているね。
それを常識史観(教科書史観、中央史観、そこらの本や販売本史観)で切り捨てないでね。
帰りはちょっとルートを変えてであったが、割に順行。
宇和島に戻って、ほどよい疲れとさわやかな心性につつまれて先ずは生ビールをグイ、フワー
八面山より。正面が三本杭。三本杭というのは、江戸時代土佐藩、宇和島藩、吉田藩の境界域でそれを示す杭がこの近くに打たれたことに由来する。この三蕃ショッチュウ境界争いをしていて、その裁きをお江戸で受けるため、証拠資料とした山形模型があちこちに残り、重文になっているものもある。
これが、八面山と三本杭をつなぐ尾根筋のブナ林。東北のブナ林も本場の良さ(白神山地)があるが、ある面、こっちの良さもあるよ。同じ体験は野村のカルストでも味わった。
これが1.225.m山頂に運び上げられた河原礫。ご苦労さん。
。