11/3日、16世紀を主に展開した土佐、伊予国境にある中世山城、河後森城の本郭を舞台にして薪能が梅若紀彰氏らによって演じられた。
演物は「竹生島」、「田村」、「羽衣」、「芦刈」、「船弁慶」の定番物で、面、音曲、小物(船弁慶だけは薙刀)なしで素人には物足りない感じがあったが、演ずる姿勢、緊張感は場所柄視聴者が限られていて間近であるだけに、ビンビン来た。
終わりの挨拶で梅若氏が、ここに上るのにはふうふう言いましたと山城に上る難儀さを述懐していたが、お年寄りの多い視聴者も多いに同感するところがあった風。町内にいながらこんなところに来たのは初めての声が上る途中のあちこちに。
しかし、ここに上り、城外を見ると四万十川支流広見川がユッタリト蛇行し、それを挟む農村風景が一望でき、内側を見れば、河後森城の構造と機能が一目瞭然と捉えることができる絶好の視点場なのだ。贅沢な舞台ですよ。
中世、この本郭のど真ん中には、殿舎がたてられており、城主の主間、客間2、広縁などが整然と割り振られており、その様は今本格上に整然と平面表示されている。
かってこの殿舎を舞台に、中世武家社会の支配構造の柱の一つである儀礼行為による主従関係の確認が繰り返されていたことは間違いない。
そこでは何度も会もだされる膳部とそれに伴う飲酒、そしてその合間に時に「能」が演じられていたらしい。
ところがこの儀礼飲酒というのがどういふ風情かが判らない、まさか今日の宴会とは同じとも思えないが。
しかし、この能の緊張感をみると儀礼が付帯する緊張感ある飲食ではなかったかと思うが、午後くらいから翌朝、昼まえまでやるのは大変な労働ですね。
松野町教育委員会では、中世の食の復元をやっている。いつのことになるかわからないが、いつかこの本郭主殿舎を舞台として、中世儀礼の再現ができることを期待したいですね。そのとき、能も呼べるといいけど。
外に松野の河や野を望む本郭に能舞台が設定されました
やがて薪がともされ町長さんの挨拶。でも能の撮影は禁止なので演舞はお伝えできません
終わって、真っ暗の城をランタンぶら下げ下りる視聴者。しかし中世、城内で行動時の明かりはどうしたんだろうね。
本郭の薪能はよかったが、安全のための道沿いのネットはり、道沿いのろうそく点灯など裏方のみなさんご苦労さんでした。