10/20-10/21に福岡市の西南学院大学を会場にして、日本考古学協会大会が開かれた。
20日の公開講演には外国から中国の王巍氏、韓国からは金武重氏が予定されていたが、王氏にはビザの発券が認められず、来日がかなわなかったとのこと。残念。
しかし、ここまで影響するかね。逆効果にならないとよいが。
21日は以下の四つの分科会。
①弥生時代の後半期の鉄器生産と流通
②ミヤケ制・国造制の成立
③白村江から怡土城まで
④解明されてきたキリシタンの実像
①にちょっと顔をだす。
鄭仁盛(韓国嶺南大)「楽浪の鉄器」、宮本一夫(九州大「北部九州の鉄器生産と流通」、野島永(広島大)「近畿・瀬戸内の鉄器生産と流通」、池渕俊一(島根県埋文)「山陰の鉄器生産と流通」、鈴木瑞穂(九州テクノリサーチ)「弥生時代鉄器の理化学的分析」の発表とシンポがあった。
ここで言う鉄器生産とは精錬を含めた鍛冶炉を主とするものであった。宮本氏のカラカミ遺跡の地上炉の想定にもとずく高質素材流通は面白かったが、これからの沢山の理化学的検証が要りますね。
鍛冶炉の高温鍛冶、低温鍛冶炉の存在は認証どころか高温鍛冶は徳島にまで到達しているが、遺跡間の格差は様々。ただし、その遺跡、特に高温鍛冶炉からの製品はほとんど判らないので、その遺跡、あるいは地域において造られた製品が判らない。
つまり鉄器論を同時にやらないと鍛冶炉の能力だけでは時代性も地域性も判らない。
弥生終末に畿内が中国からの鉄器流通路を握ることによって邪馬台国が成立したなんて憶説がどうどうと語られているこのごろ、折角諸地域の発表があるのに、鍛冶炉にしろ製品にしろかみ合わせの論議がないのは、なんかマトをはずしていたような気がしますね。どうですかね、Tさん。