緑色片岩(青石)を求めて、吉野川、紀ノ川紀行③ | しもちゃんのブログ

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宿舎は南海電鉄和歌山駅近くのホテル、朝食が付いて4,700円位。間に合わせのサービス朝食ではなく、きちってとしていて安い。また泊っても良いかな。


8:30に出発。和歌山の考古学関係者に中流域がいいと教えて貰っていたので、紀ノ川沿いに和歌山市を遡り、中流の下流川の岩出市の岩出大橋舟戸の河川敷に。

あるある、一抱え大の塊石から乳児の手のひら大の扁平礫まで。石庖丁素材を賄えるなとの実感。だが石をよく見ると徳島や伊予とは印象が違う。粗い粒子が沢山入ザラザラした感じで、色も濃いようだ。


これを遡り紀ノ川市打田花野や那賀町北浦麻生津大橋付近でも調査。ここらでは成人掌大の扁平礫があるが、多量とは言えない。少し柔らかいように感じるがどうか。加工製作が愉しみ。


さらに遡り橋本市の橋本橋で調査。手頃の大きさのがあるが、どうも少ない。かと思うとその支流には青石が岩脈が隆々としている。一応ここら当たりまでであろうと教えられていたが、ほぼ同等の成果を得たようである。


もう少し時間があるので、さらに上流に上り、奈良側にまで行こうと遡る。そろそろ昼だがとキョロキョロするもほとんど有りませんね、市だと言うのに。日曜休業も多し。


キョロキョロと見渡すと、なんと隅田八幡神社の案内があるではないか。列島最初の漢字文章を残す物として有名な人物画像鏡(5世紀)を蔵する神社で教科書にも残っている。ここにちょっとよるが、なかなかの趣がある神社。中世、ここの一党が農民までも集って飲食儀礼をやった記録があるが、何かリアリティを感じたね。


すぐに奈良県に入る。奈良県にいると紀ノ川は吉野川に名を変える。四国吉野川を通ってきたものにはヤヤコシイ。五條市の河川敷にも寄るが少ない。ここにはツブツブ青石はなく、僅かの青石は堅そう。

もう少し上り、大淀町に至ると、河川床に美事な青石の露頭がある。緑色や灰色の片岩が連続し、石英の貫入もあるが、太く集中的。四国みたく紅廉石片岩はない。ここで調査行は終了。


さて、肝心の昼飯だが、昨日との比較で、和歌山ラーメンが狙いであったが、この川沿いにはとってつけたようなのはあったが、本格的はない。和歌山ラーメンというのは、海鮮スープと豚骨を併せたものだそうだから、川の中流、上流ではそれは無理だと判った。それどころか、飯やそのものが見あたらない。


しもちゃんのブログ 岩出大橋近くの青石の大小

しもちゃんのブログ 隅田八幡神社の人物画像鏡の模造品

しもちゃんのブログ 大淀町の緑色片岩の露頭

五条駅の前に行けばなにかあるかと、駅前に。やっと寿しと麺を出す店があったので入店。ショウウインドウのモデルをもとに、柿ノ葉寿し5個と吸い物を所望しようと思ったら、柿の葉寿し3個と麺セットそれも一組だけという寂しさ。それを譲ってもらって、他は稲荷に麺とかどこにでもあるものばかりで我慢。メニュウに夏季限定の鮎寿司とあったので聞いてみたらあっさりありません。欲求不満ばかりたまる店だったな。五条駅に柿の葉寿しが売ってたのでおのおのが買いもとめ、なにやら鬱憤晴らし。


和歌山に戻り、南海和歌山駅にて夕食となったが、もうこれ以上は書かない。小生は電車に乗って大阪へ。南港からの夜船で愛媛へ。


秋の美味、もくずガに(けがにとかつがにとも)を沢山送って呉れたので、半分に分け、まずは松野町風に酒と砂糖と醤油で甘辛く炊く。よく洗い、煮込み1時間、その煮汁でいも、なすびを炊く。

残り半分はバケツに放り込んで少し水を入れ、エサにカボチャを与えて、2ー3日後蟹飯にする予定。


小庭の紫蘇が沢山穂を付けている。これの天麩羅結構いけますよ。

燗酒が旨くなりましたね。焼きサンマに大根おろしタップリ、ジュっていう内にスダチをたっぷりかけての一杯は応えられないですね。