焼き畑の里、宮崎県椎葉の不土野へ行ってきた | しもちゃんのブログ

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もう列島唯一と言えるほどに少なくなった、焼き畑の里、宮崎の椎葉の椎葉クニ子さん、勝さんのところに行ってきた。


そこは椎葉村の中心からさらに一時間、狭くて見通しのきかないクネクネ道を走ったところ、標高1.000mはあろうかと思う山峡。


椎葉さんちは民宿「椎葉」を営んでいて、クニ子おばあさん(大正13年生まれの88歳)採集のヒメジオン始め名も知らぬ野草が天麩羅で出た。


メニューは写真の通りであるが、やまめ(エノハ)の刺身・鯨の刺身、ヤマメの塩焼き、菜入豆腐、わくど汁(わくどは蛙のことだが、蕎麦のダンゴ汁の蕎麦ダンゴが鍋のなかで湯にあたって泳ぐさまが煮ていることから)その他であるが、わくど汁を4杯もくったのもいた。


翌日、昨年開いた焼け畑に案内してもらったが、昨年の植え残りの蕎麦、蕪菁が種となったものが植わっていた。集約ではなく、粗放であるが、これがこうした地では理に適った方法なのであろう。


それを縄文農耕の原始の姿を求めて、植物生態学者、考古学者などいろんな分野の人が訪れ、縄文以来と喧伝しているが、結局なんにも証明できないまま。想定は想定なんだ。


ことに時代観をもたない研究分野の人間が関わると、年代証明もどこへやら、一挙に古くシタガルものだ。
しもちゃんのブログ 夕食。左上・野草の天麩羅。右上・やまめ。

しもちゃんのブログ 二年目の焼き畑。一年目はそば、二年目は稗、アワが植えられる。この地方でも谷を挟んだ向かい側は岩盤地盤で焼き畑はできないと。

他所の地での生活経験をもつ、勝だんが「偶にこういうところに来る人にとっては良いところなんですよね」の言には痛いものを感じた。焼け畑という稀少事象だけに目を奪われるのではなく、その生活に思いを致すべきではないか。景観文化財でも同じだよ。生活を通した人間に尊敬感をもつべきだ。


今日はこれまでだが、宮崎は他に面白いところがあるね。特に神社の社叢はいいね。また紹介します。

これから長野の山中へ。