通常の近況報告が多いが、目立ったのは福島原発事故に対する批判
「原発事故は世界中に影響を与える取り返しのつかない人災でした」
「原子力依存から抜け出すためには、まだまだ我慢できますよね」
「理不尽な時代が再到来登場しないように老骨に鞭打って余生をしっかり維持して行きたい」
「人間が万全に制御できかねる原子力に頼らず、地球環境を破壊せずに、悔いなく生きていければと・・」
「原発事故の主犯は「安全神話」なんだから。これをでっち上げてきた政治家、電力会社、原子力学者、マスコミ、裁判官など、みんな責任とらなきゃ」
「3.11は戦後最大とも言うべき大きな課題・・、歴史研究に関わる私たちがどのように向き合って行くべきか問われている」
などなどがありました。
考古学・文化財かて社会とは無縁ではありえない。考古学はまさに現代史だと宣ったかたがいたが、最近の考古学はただまとめ上手だったり、整理上手だったり、ただの趣味的お宅研究だったりで、根底に社会性がない。
社会性を身につけないまま、ただ受験上手に育ったのが大きくなって考古学?をしてるからこうなるのだが、こんなのが大學に多い。
先般ある学会誌の回想文を読んでたら、従前の研究者より自分たちは幾ばくかの研究技術は身につけたかもしれないが、精神において後退していると言った意味の総括?文言があったが、まさにその通り。今の研究者は歴史上に現れる事象をまったく自らの問題として捉えきってないもの。それができる、何らの経験も想像力もないんだから。
年賀状で笑ったのは、ある市からのものでその市は「人がつどいまちが輝く快適環境実感都市」の実現に向け、懸命に取り組んでまいるので支援、協力をよろしくとのことであるが、その素材として最高の部類に属するのが史跡であろう。
ところが、その市は史跡に対して真逆の扱いをやってるとの噂が広がっているぞ。正月からブラックジョークかい。それともここで言う快適環境とはまたまた銭まみれ人工環境のことかい。
そのほか、あること含みで出馬を従容する年賀がちらほらあったな。応援団をつくるからと。
本日の夕食はぷっくり太った油のりのりの寒鯖の煮付け、鮭の粕汁、ろばたで売っていた50円の菠薐草のお浸し。この50円は美味かった。