ガチンコ勝負(過去記事) | 北東西南

北東西南

shimaのアイドル・芸能ブログです。

マカロニさんのおススメ、KinKiKidsの「KinKi Kids Dome Tour 2004-2005-Font De Anniversary-」を買ってしまった。実は昨日、今日と少し体調を崩していて、やっと回復したところであったので、そのしんどかった時間に対して、ご褒美的な感じで自分に楽しみを何か与えようと思っていたところだったので、ちょうどよかった。

少し自慢をすると、私のうちにはプロジェクターがある。これで最大120インチくらいの大画面でコンサートDVDを見ると迫力が半端ない。夜中に嵐のDVDなんかかけてしまうと最後、テンションが上がって眠れなくなってしまう。

KinKiKidsはようつべの動画で見るくらいだが、ふたりで歌う姿はめっちゃカッコイイ。歌が上手いなんてもんじゃない。ふたりにしか出せない至高の音色がそこにあった。

楽しみすぎて帰宅。帰ってそこそこにKinKiKidsのDVDをセットする。嵐以外のジャニーズのコンサートDVDを見るのは初めてだ。どんな感じだろうか。

さすがKinKiKids。ほとんどの歌に聞き覚えがある。硝子の少年ではテンションが否応なく上がった。

しかし。。。。。

なんだろう、この違和感は。。。。

途中でいったん見るのを止めて、嵐のDVDをセットする。

ちなみに「いざッNow!」だ。

私は嵐のDVDで、この「いざッNow!」が一番好きだ。

なぜなら、今の「嵐になる前」の変化の途中の嵐が見られるからだ。特に大野くんが光っていて、あんなにがしがし踊る大野くんを今見るのは難しいのではないだろうか。今の余裕を感じさせる大野くんのクールな踊りも好きだけど、この「いざっNow!」で見られる大野くんの若さが私はお気に入りだ。

しばらく見て、先ほどの違和感の正体がわかった。

私は嵐のDVDを死ぬほど(笑)見ている。大好きだ。コンサートにも参加している。

嵐のコンサートは祭りで、嵐と観客が一緒に歌って踊ってコール&レスポンスして、魂をぶつけ合うものだ。嵐もこっちも振り切れてテンションがおかしくなるところまで行ってしまう。さすがにひとりでDVDを見ているときはそんなことはないが、動悸息切れくらいはたまになる笑

嵐はこうして見ると、観客に対するサービス(ファンサ)が凄い。そして笑顔の数が多い。そして嵐の売りである、メンバー同士の愛の交歓・関係値萌えを感じるようなアクションも多い。

嵐は、観客のことは考えているだろうが、きっと自分たちもコンサートが楽しくて仕方ないはずだ。テンションが高すぎる。本当に楽しそうなのだ。それを見て私たちのボルテージも上がっていく。

歌が口パクだろうが、フリが飛ぼうが、そんなことは関係ないのだ。今この瞬間が楽しくて、みんなが幸せならばいいのだ、みたいな勢いがある。

嵐の歌や踊りは「嵐」を表現するためのツールなのだ。ある一定の品質を保つことも大事だが(そしてそれは大野くんの役目)、嵐にとって一番大事なことはその「品質」ではない。

そしてKinKiKidsのDVDに戻る。

嵐のDVDを間に挟んでKinKiKidsの楽しみ方がわかった。

嵐のコンサートは「嵐×観客」のガチンコ勝負だけど、KinKiKidsのコンサートは「剛×光一」のガチンコ勝負なのだ。「剛×光一」のガチンコ勝負を楽しむ目線で見るべきなのだ。そうやって見ると、嵐のコンサートでは味わえないぞくぞくするような魅力を感じることができる。嵐のコンサートでは「萌え」だが、KinKiKidsのコンサートでは「痺れる」という感じだ。

ふたりはガチンコ勝負中なので、歌を歌っている間は真剣だ。歌の隅々にまで神経がいきわたっていて、丁寧に歌っている。丁寧だが守りに入らず情感を篭めた歌い方で強弱もあり、迫力たっぷりだ。力強く丁寧なふたりの歌唱が重なってできるハーモニーはなぜか哀愁を帯びた音色となって、せつなく観客の胸に届く。

堂本剛は、才能のある「歌手」だ。もともとの声質も色気と艶のある魅力的なものだが、その声に「感情」と「景色」をのせることができる「歌唱力」が抜群だ。ジャニーズでこういった歌唱ができるのはこの人だけであろう。KinKiKidsの歌が雄弁に感じるのは、この人の歌唱によるところが大きい。KinKiKidsの歌では、裏(ハモという意味ではない)でメロディを支え、音尾の微妙なコントロールで歌に表情を出す。こういう人と一緒に歌うと、相手方はつられて上手く歌えてしまうものだ。トラジハイジでも同じ現象が起きている。

(この現象は、大野×嵐のメンバーにも起きている。大野くん×嵐の場合は、大野くんが裏で音を支え補正し、音尾は他メンが存在感を出すことが多い)

一方、堂本光一は、意外に歌が上手くてびっくりした。イメージでは、剛が歌が上手くて、光一はお世辞にも上手いと言えない、と思っていたから。光一は声に芯がある。芯があって強く発声し、ぶれない。このぶれなさが、剛の繊細に震える歌唱と重なると絶妙な重みを感じさせて良い。そして、この人は、声の強弱のコントラストが強く鮮やかだ。ぶわぁ~っとくる。たまに外すがご愛嬌。そんなことを恐れていては、このコントラストは出せない。

ふたりを見ていると、(私の妄想ですけど)いろんなドラマを感じる。光一は、こんなに歌の上手い剛とずっとデュオを張ってきたんだなあ、大変だったろうなあ、とか。

(光一の凄いところは、歌を比べるとどう考えても剛のほうが圧倒的に上手だが、声の存在感では負けていない。堂本剛の向こうを張ってデュオを成立させることができる、これは凄いことだと思う)

剛は光一に対して全く容赦がないなあ、実力差があっても全く手を抜かずにガチンコで行くところがカッコイイし、相手を信頼してるんだろうなあ、とか。

こういうドラマを感じさせられることを「魅力」って言うんだと私は思う。嵐もそういう「魅力」を持ったグループだけど、KinKiKidsのドラマはもっと深部で大人の香りがします。


過去記事 2008/10