樋口版隠し砦の三悪人ネタバレ | 北東西南

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shimaのアイドル・芸能ブログです。

2008年05月28日

ネタバレですし。。
正直に書くので、あらかじめご承知おきを。


星0・5



先日、黒澤版を見ておりますが、決して厳しい目では見ておりません。
松潤の様々なメディア露出の中でも、映画を見た人たちのレビューにも「別物」とありましたから、そんなつもりで見ました。
でもそれでも。。
別物ってそういう意味???

まず映画全般のことを。
この映画は松潤と長澤まさみのアイドル映画です。。そういう意味で、全くの「別物」になってはおりました。
恋愛の要素を取り入れてしまったことで、話の主軸がぶれ、雪姫が「中途半端な人」になってしまった。イラッとしてしまう。
また長澤まさみは完全なるミスキャスト。ふつうの女のコが重責にくよくよ悩む映画でになってました。


音楽の趣味が悪すぎ。
主題歌だけの問題じゃなくて、BGMが、はい、ここで泣くとこですよ~、ここはスリリングなシーンですよ~って教えてくれる。
そうやって観客の感情が盛り上がる先を行かれると、私なんかはしらけてしまう。観客を馬鹿にしとるわねぇ。

それから映像。
これは今の映画(特に邦画)全体に言えることなんだけど。
画がキレイすぎます。
作品によっては汚しも必要なのでは。。
樋口版ではあえてそうしなかったのかな?なんと言うか。。「時代劇」を「ファンタジー」感覚で描きたかったのかな?と思ったけど、映画の世界感がうすっぺらになっただけです。
「現代版」ってそういうことじゃないと思う。。

私、この人の映画はもう見ないと思う。たぶん監督なりにこだわった部分とかあるんだろうけど、(特画とか。私からすると浮いてたように見えたけど)私が映画に期待するところとは大きく離れた部分だもん。
ああレディースデイでよかった。

映画の中盤で、あ、「この映画ダメだな」と思った私は、途中で役者カメラに切り替えました。
なんとかいい要素をもって帰らなくちゃと思って。。
松潤は頑張っていたと思うのよ。
野性的な眼や、しなやかさ、松潤の身体的特徴は武蔵にばっちりあっていた。
だけど、カッコ付けすぎ!松潤の芝居も、衣装も(首に巻物して、チョーカーみたいなのつけてるんよ(-.-;))台詞もありえない。えっと、「現代版」だからえっと。。と取り繕いながら観たのだけど。。やっぱり道明寺に見えた。

宮川大輔も、侍に斬られそうになって「すいません、すいません」(すいません???)とバラエティのノリだったし、えっと。。これは。。監督が、そういう遊びも入れといたらいいじゃん的な?ってことなのか。。まあそれなら松潤のPVとして見るか。と腹をくくった時に、阿部寛の六郎太がでてきて。

阿部寛は、ちゃんと雰囲気ありました。。
松潤、宮川、長澤とは完全に違うステージでお芝居してました。。
これが役者っていうんだよなあ。
でも。。阿部寛の六郎太があんな本格的だと他の3人がさらに薄っぺらく見えるんです。。世界感は統一してください。。

長澤まさみさんは。。
最初、キリっとした表情で、今までみたことなかった感じでいいじゃ~んと思ったのは最初の5秒、山の中を駆け抜けて逃げるシーンで見事な女のコ走り。
舌足らずな喋り方と媚びを含んだ表情(顔付きがそうなのか。。)が全てを壊してしまいました。この映画は前にも言ったけど、雪姫の志が話の核になっていて、雪姫はハードボイルドでないとダメなのに。
守ってあげたい女のコになってどうするんだー!!!でもこれは脚本が悪い。あとキャスティングも悪い。長澤さん、ちょっと損しましたね。。

ということで、役者カメラでも残念な部分が目についてしまいました。


それにしても。
松潤は、この映画のどこが「面白い」と思ったんだろう。。
本気で思ったのかなあ。。
主演だし宣伝部長だし、「面白い」って言わなきゃならんのだろうが、私のように松潤のプロデューサーとしての資質や実力を買っていて、その松潤が言うのなら多少なりとも面白い部分があるのだろう、と映画館に足を運んだ人間も少なからずいるはず。
そしてそういうファンは松潤を、ジャニーズをどう思ったんだろう。
この映画、外国にも持ってくんだよな。。汗。
松潤は今までの個人仕事はとても順調にきてる人だけど、これは失敗だよ。。
多分興行的にも。。
(レディースデイなのにガラガラだった)

こういうのって、まず企画の段階ですべってるんですよ。
「長澤(親会社の意向)×松潤(もしくはジャニーズの誰か・集客担当)で恋愛もの」+「黒澤映画リメイク版」がコンセプトになったところで破綻しているのよ。
このコンセプトにそって製作が進むんだもん。
おそらく、製作に係った人たちも、割り切って仕事をしているんだろう。
罪は企画にある、と思うのだけど、その企画を受ける受けないの
判断(もしくは判断ができる場所に自分を置くこと)は突き詰めると個人にある。
会社に属したり、社会の環の中にいると、いろんなしがらみがあり、
そのしがらみは妥協であったりチャンスであったり、現状維持の為に必要なものであったり、大人の判断を強いられることもある。
松潤でいうと、今回松潤が与えられた役割は、「ジャニーズ事務所の人気者としての集客動員」であろう。
松潤の志やテンションとは別にしてね。
長澤まさみだって東宝の新しいスターとして用意された作品に出演し続けているけど、それだって「志のある作品」はいくつあるのだろうか?
この人、ちょっと気の毒。。
でも両者とも、こういったものの見返りに「仕事」や「人気」というものも得ているわけで(悲しいかな仕事量と人気の量は比例する傾向にある)、しかも個人の判断が効かない場所にいるんだよね。

松潤は前に、なにかの取材で「大きな仕事は大きくて力のある側にいないとまわってこない」というようなことを言ってまして。
なるほど松潤らしいな~と思ったんだけど、確かに「ジャニーズ」の「松潤」ということで階段を上ってきた感はありますね。
松潤の努力や実力、才能以前の問題でね。
それを自覚出来ている上での発言だな~と思ったの。ということは、松潤も「割り切って」この仕事をしたのかな。。
「割り切って」でも「全力で、出来る上のことは頑張った」結果なのかなあ。
そうしたものだとしたら、この結果(大コケ)はせつないだろうなあ。
松潤、どういう風に感じているかなあ、って心配。
これで、一部には変なレッテル貼られちゃったりするんだろうし、「だからジャニーズは」って言われるんだろうし。
ジャニーズが繁栄するために、このテの企画は必要なんだろう。
だから木村拓哉はスゴイんだな~(好きじゃないけど)