GWに入りましたね。緊急事態宣言で自粛生活中とは言うものの、5月の連休は妻の実家の田植えの手伝いがあったり、勤務先もふつうにカレンダー通りなのでそんなにヒマというわけではないのですが、たまたま部屋の掃除をしている時に昔の写真や自分が載っている雑誌などが出て来まして。
自粛でネタもないし、良い機会?なので、ちょっと思い出巡り的に昔の自分を振り返ってみたいと思います。
まずは1990年代。ボクはハタチでJBトーナメントにデビューし、この頃はバリバリのトーナメンター全盛時代でした。当時は今で言うトップ50はまだなく、現在のマスターズ(まだこの頃はその名前ではなかったですが)が最高峰だった時代。
田辺さん、今江さん、沢村さん、河辺さん、故・林圭一さんといったレジェンド級のトーナメントプロの方々と初めて同じ舞台で戦うことになったのですが、当時の会場は河口湖、琵琶湖、北浦または霞ケ浦をトレイルしており、リザーバー育ちの自分には経験のないフィールドばかり。最初の2年は全く歯が立たずコテンパンにやられました。
でも、3年目で年間50位以内に入り、念願のジャパンスーパーバスクラシックにも出場出来て、少しずつ結果が残せるようになり、地元の三重チャプターでは年間優勝もして何度もお立ち台に立つようになりました。
この頃は、まだ携帯電話もなく、当然魚を釣ってもわざわざ写真を撮るような習慣もなく、カメラを持って行くようなこともほぼなかったので、ほとんど写真は残っていません。
でも、雑誌はたくさん残っていました。結果が出るようになってからは、東海エリアの雑誌や新聞から声をかけていただけるようになり、この頃は毎月のように取材や原稿対応をさせてもらっていました。
これが記念すべき雑誌デビュー記事。
今では廃刊となってしまったフィッシュオン誌に地元・青蓮寺ダム攻略のカラーグラビアでした。冬だったのですが、このデビュー戦でメチャクチャ良いゲームをお見せすることが出来て、以降、フィッシュオンさんからは数え切れないくらいお仕事の依頼を受けることになりました。
ルアーニュース。
このルアーニュース記事の右横に少し宣伝が出ている近畿のリザーバー本にもかなりのページ数を割いた大作記事で青蓮寺ダムを紹介させてもらっていますので、持っている方は探してみていただければと思います(笑)
他には「週刊釣りライフ」という新聞にも月イチでコーナーをいただいていました。
トーナメント成績だけでなく、この頃のメディア活動のおかげで現在サポートをいただいている各メーカーさんからのスポンサードを受けられるようになったと思うので、この頃にお世話になった雑誌・新聞社さんには本当に感謝しています。
その中でもフィッシュオン誌にはノウハウ紹介みたいな原稿を何度も書かせてもらいました。
この記事はリザーバーのスポーニングについての依頼を受けて書いたのですが、雑誌になってみると「完全理解」とか勝手に書かれていて(苦笑)、そこまでの自信はなかったのでちょっとアセったおぼえがあります。でもこれが発売された直後の三重チャプターで優勝して、記事の正しさを証明出来たこともよくおぼえています。
トーナメント同船取材のグラビアをやらせてもらったこともありました。
そして、自分の中では記念すべき、Basser誌に書いた原稿がこれ。
今までメディア活動は東海・関西だけだったのが、全国誌に、しかも自分が高校生の時に創刊号が出てその時から読んでいるバサーに載せてもらって、嬉しかったですねー。
ふとした時に、今のJBトップ50がこの頃に出来ていればたぶん行けていて、自分の人生も変わっていたかも知れないと今でも半分本気で半分冗談で思う時がありますが(笑)、それくらいどっぷりとトーナメントとメディア活動に自分の人生を注ぎ込んでいた時代。キツい部分もあったけれど、楽しかったですね。
ということで、こんな感じでこの連休は釣りに関する自分の半生?みたいなものを振り返ってみたいと思います。
興味ある方はぜひご覧いただければと思います!