医者の中でのセクショナリズム | ある脳外科医のぼやき

ある脳外科医のぼやき

脳や脳外科にまつわる話や、内側から見た日本の医療の現状をぼやきます。独断と偏見に満ちているかもしれませんが、病院に通っている人、これから医療の世界に入る人、ここに書いてある知識が多少なりと参考になればと思います。
*旧題「ある脳外科医のダークなぼやき」

前回は病院の中でのセクショナリズムについて書きました。




病院の中では、さまざまな職種間だけの問題にとどまらず、


医者の間でもセクショナリズムが存在します。




今回はその医者の中での、各診療科間のセクショナリズムについて書きます。




一般的に、


皆さんの感覚として、




違う科の医者同士って普段どのくらい関わりがあると思いますか?




親しく、密に診療科を跨いだ付き合いがあるでしょうか?




それとも、




ほとんど疎遠だと思いますか?




僕は医者でしかないので、


一般的な企業での部署間のつながりを知りませんが、




医者の世界は特に縦割りな組織となっています。




外科や内科、皮膚科、眼科、耳鼻科などなど、


さまざまな科があるのは皆さんご存じだとは思います。




多数の科があるわけですが、




科が変わると、


個人的な付き合いがない限りは、顔を合わせることはほとんどありません。




それぞれが独立して、仕事をしているので、


始業時間も違えば、帰る時間も違います。




さらには週末の休日のあるなし、


当直の回数、呼び出しの回数、長期休暇のあるなし、




年収、異動の頻度などなど。




全てが科の方針によってまるっきり違うのです。




つまり、


同じ病院内であっても他科となると、




まったく別の職場となります。




それなのに、


たいていの病院は一律同じ扱いで医者を扱うから、不遇や無理が生じるのですが、




この言わば共産主義的な体制の続いている病院がほとんどです。




以前にも何度も書いたことがありますが、


こういった現状が医者の偏在を生んでいるのかもしれません。




基本的には仕事量や休みの有無が給与などにはあまり影響しない体制なので、


結果として、人数が多い科ほど仕事が楽になります。




仕事が楽になれば、パートにいって収入も増えるし、


人気も出て、さらに人も増える。という好循環が生まれうるのです。




そうすると、人数が増えた科は当然、病院内でも発言力が高くなりますから、


自分たちの科の利権を守ろうとします。




一方、人数の少ない科は過酷な環境での労働を強いられ、


それを変えることもできなくなるのです。




これが、今日本の多くの病院で起きていることなんです。




外科医不足や産科医不足、


といったような特定の科の医療崩壊もそもそもはセクショナリズムが原因と思います。




また、




それぞれの科はお互いの方針やポリシーを持って仕事しているので、


こと大病院、大組織になればなるほど、




やはり各科間の連携は低くなりがちです。




顔の見えない相手が増えるので当然といえば当然ですし、


それぞれの科が教授を頂点としたピラミッド型の構成になっているので、




何かと意見をすり合わせるのが難しいことがあるんです。




これがもっとも問題なのは、


診療に影響するということです。




どういうときに影響するか?




というと、


複数の科をまたがるような疾患の患者さんが入院されたときに問題が発生します。




明らかに○○科の疾患がメイン!


というようなときはこういった問題はあまり起きません。




問題となるのは、




1.複数の科におのずとまたがるような病気であった場合。


2.入院後に新たな病気が見つかり、複数の科がメインとなる必要があった場合。


3.入院後に新たな病気が見つかり、他科への転科が本来必要なはずだが、受け入れ先の科の都合で転科ができない。




というような時です。




今の日本の入院のシステムはいろいろと不便なところが多く、


いずれにせよどこか一つの科を主科としなければいけないようになっていて、




サポートで入っている他の科は実際には指示が出しにくくなっているようなところもあります。




そんな体制の中で、


特に1のケースの場合、各科の連携が低いとそれが治療や検査の遅れにつながるのです。




2の場合はまだ、マシかもしれませんが、


それでも患者さんの体は一つなので、それぞれの治療の影響は全身に波及することも考えると、




やはり密な連携がなければうまくはいきません。




多科にまたがるような患者さんの場合、


その患者さんに対する各科プロフェッショナルによる専属チームが作られるのが理想ですが、




通常の病院では、各科がそれぞれに業務を行っているので、


実質上の専属というのは程遠いものになります。




お互い自分たちの仕事をまったく別々のスケジュールで忙しくやっている中で、


コミュニケーションをとらなければいけなくなるため、




どうしても連携がうまくとれない事があるのです。




連携がうまくとれない程度ならばいいですが、




お互いの方針が食い違うと、最悪です。




大きな組織となると、各科の意思の決定は週1回程度行われるカンファレンスで決まることが多いのですが、


逆に言うと週に1回から数回しかそのチャンスがないのです。




二つの科が全員集まって合同でカンファレンスをやればすぐに方針が決まるのでしょうけれど、


そういったことはまずないので、




お互いの科で別々にカンファレンスを行い、それによる結果の伝言ゲームのようになってしまうことすらあります。




そうすると、


想像がつくとは思いますが、どんどんどんどんと決定が遅れ、治療や検査も遅れるのです。




何度も何度も延長される裁判のようです。




意見が平行線のまま、


結局お互いのポリシーのすり合わせができないままになってしまうこともあります。




特に悪性腫瘍のように、


進行していく病気の場合ではこういった時間のロスが致命的になることもありますし、




こういった大きな組織ではたまに、システムの弊害を受ける患者さんがいることは事実です。




上に書いた3のような、


通常のモラルで考えたらありえないことも起こることがあります。




本来ならば専門科に転科で加療を行うべき状態の患者さんが、




何かと理由をつけて受け入れ先であるはずの科に転科を拒まれ、


結果不十分な体制のままで治療がおこなわれるような場合です。




これらは相談を受けた医師の資質に大きく影響しますが、


専門外の病気を持っていて、複雑な状態の患者さんを主科として引き受けたくないという、




全科共通で医師のもつ潜在的な意識が引き起こす問題です。




本来では事務の仕事であるような仕事もほとんど医者に回ってくるような病院で、


ただでさえ毎日忙しい環境であれば、なおのことです。




これも、元までたどって考えると、


「頑張っても頑張らなくても目に見える報酬がかわらない」




という共産主義的な体制から生まれるものなのかもしれません。




医師の倫理であったり、そういった理想論から考えると、


おおいにさびしいことですが、現実にはこういう傾向があり、結局医者も人間ということでしょう。




具体的な事例があれば、


これらの実際が理解しやすいとは思うのですが、




今回はちょっと長くなったので、また次回に機会があれば、


よくある例を書こうと思います。



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