なんでかわからないけど、なんとなく今かなと予感がするので書いてみます。
嫌な人はスルーしてくださいね。
闘病記です。
壮絶とは思わないけど、
私の話を聞く人聞く人壮絶だと言うので、そなのかと…
でも、こんな状態になっても、きっと、いつか、楽しく、夢をもって、今を生きてく事ができるよ!ってこと伝えたいのです。
同じような事で悩んでる人の力になれたらなと。
私が180度考え方が変わった出来事のお話です。
私は、21歳から28歳まで、重度の鬱病でした。もう、手がつけられない程の。
何故病気にかかったのか?
最近よく聞かれるので、よく考えるんだけど、
たぶん、スポーツの世界にずっといて、プレッシャーがかかり、アップダウンの激しい世界…
生き残りの世界にいて、生き残るために必死にもがいて、頑張ってました。
もちろん、自分の意思で…
が、いつの間にか
出来ない自分を責めて(←攻める必要ないんだけど)
自己否定が始まり、
自己肯定感がどんどん低くなり、
価値がない…。
と、思い始めたのが、きっかけかなと思います。
弱さを出したら負け!
本当の気持ち言えなくて、
ずっと生きづらかった
誰にも解ってもらえない気がしてた
負のスパイラル!!
落ちていくやつですよね、これ
だけど、
だけど、
今は思うのです。
重症の鬱病になったのは、自分を再発見するための出来事だったのだって思えます。今は
症状が出始めたのは、大学3年生。
大阪を離れて愛知県の大学に通ってました。
この頃の症状は、薬物(市販薬)の大量摂取、カッターでのリストカットが主でした。
あまりにも酷かったので、友人に病院へ連れていかれ、精神科に外来で通うことに。
外来では手に負えないということで、半閉鎖病棟で青年期病棟に入院となりました。
入院しながらみんな学校へ通う感じでした。中学校~25歳ぐらいまでいたかな。
病院が家みたいな。
みんなで宿題したり、悩み聞きあったり、恋愛したり(笑)
そこにいた仲間の病気は、強迫観念、摂食障害、躁鬱、境界例、統合失調症、アル中…など。
精神病のフルコース状態でした。
何人もの闘病仲間が、自殺していく中で、私は戦っていました
辛かった…
仲間が居なくなることが…
そんな中、私の状態は入退院繰り返しながら、益々悪化し、半閉鎖病棟だったのが、完全閉鎖病棟になり…大学卒業後、両親に強制的に大阪に連れて帰られ、大阪で治療をすることになりました。
今思えば、これが治るきっかけかなー
大阪に帰ってから、一旦は落ち着いたようにも見え、仕事しないのもダメだと、1年半働きました。
ところが、最後の方は、また再発。
治ってないのに、治ったと思いたくて、世の中から取り残される気がして…
不安なまま動きました。
今考えると、1番ダメなやつですよね。
自分の子宮の声を聞かずに、自分軸を忘れて、他者へ軸を合わせて生きてた…
この頃の症状は、薬物大量摂取、リストカット、飛び降り、脱走、幻覚、幻聴、暴力、無気力、警察保護…などなどでした。
自分の意思ではない何かに動かされてる感覚でした。
たぶんですけど、薬の影響だったんだと思います。
脳をコントロールされてる感じ…
家の中はというと、ガラス部分はすべて撤去。
暴れるし、割るので
寝るときは父親の手首と私の手首を紐でつなげて寝てる状態でした。
私が動くと父親も起きるようにと。
娘を守るための父親の大きな愛情だったんです。
体を張って私を止めてくれました。
本当に家族も自分もクタクタ。
遂に命に危険があるということで、強制入院。
これ、法律で決められてるのです。
本人の承諾なしで、命に関わる時は入院させることが出来るのです。
……ここからさらなる地獄
(を見せてくれたのかな?)
続きは↓…
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