注:ネガティブなブログです看護師だった頃のこと看護学生の頃のことねちねちと書いていこうと思います
私が合格したのは3校 私立の大学1校 公立の短大1校 私立の短大1校もともとここに行きたい!という気持ちがあったのは第一希望のみ。それ以外の学校は全て横並びでした。しかし、第一希望(公立の短大)には落ちたのでそれ以外の学校から選ぶしかありません。どうしよう合格した学校はどこも実家からは遠く、実家からの通学は無理がある距離です。どんな学校か調べて選んだわけでもないので、どこでもよかった。まあ、短大よりも大学のほうが実習や勉強に時間的に余裕があるカリキュラムかなと想像していたので、大学のほうがいいかなとは思いました。でも、すごく大学に行きたい!というわけでもありませんでした。なので、母に選んでもらうことにしました。「ねえ、受かった学校のどこに行くのがいいと思う?」「そうね、お母さんは大学がいいと思うんだけど...、ちょっといろいろ聞いてみるね」と言って、友達に電話していました母は看護師でしたから、友達も看護師ばっかり。しかも母は若い頃、結構有名で大きな病院で働いており、その頃からの友達はどこぞの有名病院の看護師長だの看護部長だの偉い人ばかり。人脈すごいなーって思いながら、学校選びは母に丸投げしました。そして最終的に「お母さんは大学がいいと思う」と言われました。「これからは看護師も大学を出ていたほうがいいと思う」って。いまいちピンとこない言葉でしたが、学費を出してくれる母がそう言うならその通りにしましょと思い了承しました。母の一声で進学先を大学に決定しました。大学と短大、両方とも看護師の国家試験を受ける資格を得るために行く学校。どんな違いがあるのか今でもわかっていません。ただ、3年かけて勉強するより、4年かけて勉強するほうが余裕があるなとは思いました。性格が亀な私には大学のほうがあっているかもと思いました。----------------ブログを書くにあたり、今はどうなってるんだろうと看護学校のことも少しだけ検索しました。そしてわかったのは現在、公立の短大は4年制に変わったということ。私が受験した公立の短大はもう存在していませんでした。母が「これからは看護師も大学を出ていたほうがいい」と言っていたけど、ほんとにそうなってきているんだなと感じました
合格発表の喜びもつかのま、入学後の学生生活や、就職してからの苦難を想像して意気消沈している私。それに比較して母のはしゃぎっぷりはすごかった。そんなに喜ぶ?ってくらい喜んでいました。仕事が休みの日、自分の嬉しさをみんなに知らせたいみたいで友達に片っ端から電話していました私の部屋はリビングのすぐ隣。電話は私の部屋のドアのすぐそこに置いてありました。その電話で友達と話すもんだから私の部屋に会話が丸聞こえなんですよそんなに私が看護師になることが嬉しいんだって思いながら聞いていました。振り返れば、私のことで母がこんなに喜ぶことって他になかったかも。親孝行できてよかったなと思います。私にとっては地獄の入り口でしたが
夜間、電池抜いたナースコールに…ネグレクト(介護放棄)と判断 特別養護老人ホームの女性職員4人処分夜間、電池抜いたナースコールに…ネグレクト(介護放棄)と判断 特別養護老人ホームの女性職員4人処分www.msn.comナースコールをどうしようもないことで連打されると、もうこれは看護の領域じゃないなって思います。電池を抜いちゃう気持ち、すごくわかる。すごーくわかるでも、まあ、ダメよね。じゃあ、どうすればよかったのか...これは解決策は、んー、ないですね。どうしようもないです。ひたすらにその勤務を耐えるしかないですナースコールが鳴らないことを市に連絡したってあるけど、なんで市に連絡?普通は家族に言うと思うんですけど。それで、家族から施設の人に訴えがありそうだけど。勝手な憶測ですが、この人って身寄りのない生活保護の人なのかなって想像しました。市の自分の担当者に訴えたから、市が対応するしかなくて...かな?うわー。ものすごく厄介だな。私も昔、夜勤のときにナースコール連打されたことがありますはじめはその人の訴えを解決しようとあれこれしましたが、ダメだった。私だからダメなのかと思って別の人に対応してもらったりしたけどお手上げ。その後も連打されてほんと殺意がわきましたもうどうでもよくなっちゃって、ナースコールに連動しているPHSを通話状態にして無視したり、時間を見ながら私のペースで様子を見に行くようにしました。病室に行っても特にできることはありません。ベッドの足元に立ってただその患者をしばらく眺めて、危険な行動しようとしてないかだけ確認して退室してました。そしたら、次の日の日勤にその患者が「昨日、夜中に知らない外国人の女が来て怖かった!!!」と訴えていたようです。っはっその患者、4人部屋だったんだけど、他の3人は寝たきりでうるさいとか言ってくる人ではなかったからできる対応だったな。そうじゃなかったら、ほんとに夜じゅう付き添いだよ。耐えられん
第一希望の看護学校には落ちてしまい、気分は落ち込みました補欠=受かるって思っていたのに不合格だったということもショックが大きかった。あともう少し、あと一歩で合格できたのにってしかし、そこまで第一希望に固執していたわけでもなかったので(第一希望にしたのも実家からの交通の便が他よりも良いという理由だけだし)、合格をつかめた学校があることで心の底からホッとしました。これで将来、看護師として手に職を持つ頃ができる学校に行き、国家試験を受ける権利をゲットして、看護師になる。それまでは目の前の道に深い霧がかかっていて一歩踏み出す足がどこに着地するかもわからない状態だったのが、道の少し先まで見通せるようになったほっとしたのと同時に、ものすごい不安にも襲われました私の性格は絶対に看護師にむいていないって思っていたから。こんな根暗でコミュ障な人間が看護師になんてむいているはずありません。そして、同級生は年下ばかりであろう学生生活私はいわば3浪しての入学です。40を過ぎた今では3つ違いなんて誤差みたいなものです。しかし、20歳ごろの3つ違いは天と地の差を感じるものすごい違いです。なじめない予感しかしない。それがわかっていながら選んでしまった道。いばらの道すぎる合格した喜びは一瞬で消え去り、すぐに入学後の学生生活、そして働き始める将来に対してとてつもない不安を感じました
私は6つの看護学校に出願しました。 公立の短期大学:3つ 私立の大学:2つ 私立の短大:1つ第一希望は一番実家に近い公立の短期大学。第二~五希望はどんぐりの背比べ。第六希望は実家から一番遠い学校。結果は...合格:大学1校、公立の短大1校、私立の短大1校補欠合格:公立の短大1校(←第一希望)不合格:大学1校受験しなかった学校:公立の短大1校(←第六希望)正直、遅刻しそうになった短大以外は全部、試験の手ごたえはよかったんですよね。けっこう問題も解けたし、これは受かると思ったんです。だがしかし、この結果です。くっそー悔しい何が一番悔しいって、第一希望が結局不合格だったことです。補欠は受かるものって誰かから聞いてたんですけどダメだったんです驚いたのは遅刻しそうになった短大には受かったこと。それも受験番号をみるとあの教室で受かったの私だけなんですけど私の前後の合格番号がそれぞれ30くらい離れている数なのでそう思いました。(受験番号がランダムだったり、番号がとびとびでなければ)出願したのに受験しなかった学校があるのは、その学校を受ける前に他の学校に合格したとわかったからです。第六希望ですからもし受験して合格しても、そこの学校は選ぶことはありません。なので受ける必要ないなって思ったからです。受験勉強をしているときは自信をなくして、もうどこにも受からないかもなんて不安なときもありましたでも、なんとか耐えて頑張って勉強してよかった合格発表のドキドキはもう二度と味わいたくないです。
受験当日にトラブルはつきものですが、私がその当事者になるなんて思いませんでした。私しか乗っていない試験会場への送迎バスの中で涙がボロボロ出てきてしまった完全に冷静さを失いました。とある看護学校の受験日当日。試験会場は実家から約2時間のところでした。普段は乗らない電車を使いますが、そこは別に何とも思わない。模試だって行ったことのない学校で受けたりしますから、それと同じです。事前に路線と乗り換えと時間と調べて、メモして、それをポケットにいれてチラチラ見ながら行けば試験会場に着きます。しかし、普段から使っていれば当たり前でも、知らない場所だから落とし穴にはまることってある途中までは予定通りで順調でした。最後に乗る電車は各駅停車それで4つ目の駅で降りれば、送迎バスで会場まで送ってくれる。余裕、余裕って思いながら各駅停車がとまるホームへの連絡通路を歩いていました。そしたら、私の後ろから何人かダダダって走ってくる人がいる???そんなに走らなくても時間的にはまだ余裕があるから乗れるのにって思いました。しかし、その後ろに続く人もホームめがけて小走りだったり急ぎ足だったり。なんでだろうと思いつつも、私も急がなきゃって気分になってしまいました。そして、その人達の流れに流されるがままに電車に乗ってしまいました。これが間違いでした私は彼らが乗る次の電車でよかったんです。すぐには気が付かなかった。各駅だから数分で一つ目の駅に着くはずなのに、全然電車の速度が落ちない。そう思っているうちに一つ目の駅を通り過ぎました。ここでおバカな私はやっと電車を間違えたことに気が付きました。さらに最悪なことに間違って乗ったのは通勤快速でした。呆然としましたどうすることもできず、自分が降りるはずだった駅を見送りました。あ???もうすべてのことがさっぱりわからない。約30分間、何も考えることができずにいました。やっと次の駅について降りたはいいけど、パニック状態で次にとるべき行動が全くわからない。一緒に電車を降りた人達は足ばやにホームから去っていくなか、どうしたらいいのかわからない私はホームのベンチに座りこみましたたまたまその日は母が仕事で休みだったのでとりあえず電話してみることに。「もしもし、お母さん?」「あれ?どうしたの?」「あのね、電車を乗り間違えちゃった」「えー!何してんのよ!」「どうしよう、どうすればいい?もう間に合わないかもしれない」母の声をきいたら、ちょっと安心したのかうるうるしてしまった。「もー。間違えたのはどうしようもないんだから、遅刻してもいいから、とにかく行きなさい。行って試験を受けてきなさい」「そうなの?」「そうよ!とにかく行きなさい」「あぁ、わかった」母が行けと言うので、とにかく試験会場に向かうことにしました。携帯で電車の乗り継ぎを調べます。まずは快速に乗って、途中で各駅に乗り換えればよいらしいとわかりました。うーん、ひょっとしたらギリギリ間に合うかも。電車に乗って心の中で「はやく、はやく」って思いながら、ずっと路線図を見ていました。駅を降りたらわかりやすいところに送迎バスがあるはずです。思った通り、改札からバス停までわかりやすく案内がありました。もう試験開始ギリギリの時間なので、同じ電車から降りた人で私以外にそのバスに乗る人はいませんでした。私がバスに乗ってすぐにそのバスは出発本来ならきっとこのバスにいっぱい受験生が乗っていたはず。でも、現状は私が一人だけ。そう思ったらブワっと涙が出てきてしまいましたここで泣くわけにはいかないって思ったけど、電車を乗り間違えるなんて、なんてバカなんだって思ったらもう涙を止められなかった。スカスカのバスのなかで私の鼻をすする音がやけに響いて聞こえるような気がしました。ほどなく会場に到着。バスのドアが開いたらすごく外の空気が冷たくて、泣いてあつくなっていた顔面が一気に冷やされました。そして、バス停には案内係の人がいたんですが、すごく早口で受験番号を聞かれました。多分、私が泣いていたことに気が付いたと思うけど、それには一切ふれず、「その番号はこっちです!!!」って私の前を走りつつ時々振り返りながら「はい!こっち!」ってめっちゃ急かされて会場に向かいましたバス停から校門、建物の入り口や廊下に受験生らしき人は一人もおらず、案内の腕章をつけた人がいるだけでした。案内係の人がとにかく急かすので泣いていたことも忘れてしまいました。「はい、こっちこっち」と私を先導して私が試験を受ける会場の入り口まで案内してくれました。教室に入ったら、当たり前だけどもうみんな席について、筆記用具とか時計とか準備万端の状態でシーンとしていました急いで上着を脱いで筆記用具を出してってしてたら試験用紙が配られ始めました。ほんとにギリギリで間に合った。駅のホームのベンチで諦めないでよかったって思いました。でも、試験はきっとダメだなって思いました。他の学校の受験は試験終了直後に手ごたえがどうだったか覚えているんですが、ここの試験の手ごたえを全く覚えていません。全然記憶にないこの後にも受験する学校はまだ残っていたので、もう焦って電車には乗らない。絶対に電車を乗り間違えたりしないぞって思いながら帰りました。それにしても、通勤快速と各駅停車が同じホームから出るってひどすぎる。しかも、発車時間が数分しか違わないなんてそこの駅はけっこう大きな駅で線路もいくつもあるんだからさ、初見殺しはやめてくれって思いました。ここ以外の試験はとくにトラブルもなく受けることができました。トラブルなんてないのが一番
はじめにこのニュースを目にしたときは「あーあ、また精神科病院で暴力事件がおきちゃったんだ」くらいにしか思いませんでした。でも、Eテレでこの精神科病院のルポを見たら、そんなふうに思った自分が恥ずかしいって思いました。「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」 - ETV特集2月15日、東京都八王子市にある滝山病院を警察が捜索。患者への暴行の疑いで看護師が逮捕され、監督する東京都も調査に乗り出した。NHKは、内部告発による病院内の映像や音声記録、そして1498人の患者のリストを入手。さらにその家族、病院関係者などへの取材から、病院の実情と背景を調査した。浮かび上がってきたのは、社会の中で頼られる精神科病院の知られざる一面だった。…www.nhk.jpニュースで出た暴力事件は氷山の一角でしかなく、この病院では日常的に虐待が行われており、それに苦しむ患者さんがどれだけいたのだろうかと思うとほんとに心が苦しくなります。こんなことをする看護師がいるなんて。信じられない、とは言えない。看護師が患者に暴力をふるう事件は前にも起きてるし。「病院、看護師、暴力事件」という単語から私が想像するのは「精神科病院」。反射的にすぐに頭に浮かびました。行政に対しても、うわー...って思いました。いじめで生徒が自殺しても、自分には関係ないという顔で対応する教育委員会みたいな雰囲気を感じます。「個別の事案についてはお話しできません」ってお決まりの言葉を言っていて、なんかもう笑ってしまった。「もし話したことが元になって自分たちに火の粉がかぶったら大変なんで言わないでおくよ」ってことでしょ?加藤厚生労働大臣のこの問題に対する受け答えなんて、「俺は知らねーし、関係ねーよ」って心の声が聞こえた気がしたんですけど。私、エスパーになったのかって一瞬思ったよ。番組は終始、見ていてつらかったんですが、最後にものすごい爆弾投下してきた。埼玉にあった朝倉病院の元院長が、滝山病院の現院長であると。・・・・・・え?朝倉病院でおきたことって殺人事件みたいなものなのに、それを主導してた人物が再び病院で働いていることに、とてつもない衝撃を受けました。あんなことしておいてよく再び医者として働けるなって思います。でも、それ以上にあの院長が再び医者として働くことができる資格を与えられているということにショックを受けました。日本、やばくない?この先、あの病院がどうなるかはわからないですが、とにかく現在入院している患者さんたちが虐待を受けない環境に身をおけることを願ってやみません。私の父も昔、アルコール依存症の治療のために精神科病院に入院していたことがあります。もし、父がこんな病院に入院していたらと思うと恐怖でしかないです。この事件を知って、他の精神科で起きた事件も詳細が知りたくなりネットで検索していろいろ読みました。そしたらあまりのひどさに、目がくらみました。Eテレの番組で滝山病院の看護師が枕や手で患者の頭を殴っていましたが、他の病院ではそれどころじゃないことが行われていたことを知ってしまった。宇都宮病院リンチ殺人事件の概要!石川院長の現在とその後! | 女性がキラキラ輝くために役立つ情報メディア宇都宮病院リンチ殺人事件を知っていますか?30年以上も前に精神科病院で起こった宇都宮事件で、2件のリンチ殺人事件をきっかけに、患者への日常的な暴行などで宇都宮事件は国際的な人権問題に発展する事件となりました。そんな宇都宮病院の石川院長の現在とその後とは?kirari-media.net宇都宮病院ってなんで廃院にならなかったんでしょうか。加害者たちも犯した犯罪を考えるとずいぶん軽い刑だと思います。何よりも恐ろしいのは当時の院長(犯罪者)が今も(90代)診察をしているということ。この事件は昔のことだしよいほうに変わったのかと思いきや、今もこんな事件を起こしているらしい。「男4人組に羽交い絞めにされ精神科病棟へ強制入院」の裏に“長男夫婦との金銭トラブル”《高齢男性が“誤認入院”で提訴》 | 文春オンライン「2018年の12月でした。朝方にいきなり4人組の男が職場へ入ってきて、羽交い締めにされて車に押し込まれたんです。そのまま病院へ連れて行かれ、1カ月以上もの期間、強制的に入院させられて年も越しました。…bunshun.jpあと安田系列病院の事件もひどい。空いた口がふさがらない。いろいろ知った私の感想は、一言で言うと、日本はやばい国だってこと。語彙力なさすぎだけど、その言葉しか頭に浮かびません。患者の命を奪った医者、つまり殺人犯が、たいした罪にも問われずに、その後も平然と医者として働ける国なんですもん。やばいよ。
前回の記事で、「私は1人で勉強するのが向いていると思う」と書きましたが、もちろんつらい部分もありました。勉強の進み具合とか不安になったときに相談相手がいないことです模試も何回か受けたと思いますが、結果がよかったという記憶はありません。自分が希望の学校に受かる可能性があるのか全くわかりませんでした。このままで私はほんとに受かるんだろうかとすごく不安でした母は応援してくれていましたが、一緒に住んでいないし、まめに連絡をとりあっているわけでもなかった。受験のことを相談できる友人もいなかったし孤独でした。でも、諦めるわけにはいきません。とにかく手に職を持たなければいけない、これが最後のチャンスかもしれないから。不安を感じつつも「絶対にどこかには受かってやる」って気合はずっと入っていました
高校を卒業して1年目(予備校時代)は実家にいたんですが、2年目の途中から3年目は実家を出て暮らしていました。平日の日中はやることがありました。(何をしていたかは恥ずかしいので秘密です)もともと気力も体力もなく疲れやすいので、平日の夕方に帰ってきてからの勉強はほぼできなかったと思います。日中、まとまった時間があくときもあったので、その時間に集中して勉強したり、休日や祝日には頑張って勉強するようにしました。もともと勉強は苦手です受験勉強をどうすすめていけばいいのかわからないので、進研ゼミをはじめました。進研ゼミの勉強の冊子を届けてくれるのってクロネコとか佐川とか業者じゃなくて、進研ゼミが雇ってる人でいつも同じ人っぽいんですよね。当時はそれがすごいイヤでしたね顔を合わせたくないので居留守をするんですけど、そうすると扉の前に置いていってくれるんです。で、その日の夕方とかに電話がくるの。「お留守だったので、置いておきましたが受け取っていただけましたか?」みたいな。うげー勉強は主に図書館でしていました当時住んでいたところの近所の図書館が適度にすいていて、すごく勉強しやすかった。図書館って場所によって全然違う。実家の近くの図書館はすごく古くて、自習室も狭いし、自習室に置いてある机も狭くてなんか集中できない。なので、あの図書館で勉強できたことはすごくよかったです。図書館で勉強しながら思ったのは、私は自分のペースで一人で勉強するほうが向いているなということ。高校卒業後の1年間、予備校に通って勉強していた経験もあるんですが、あの頃よりも勉強に身がはいっているって感じていました。予備校って行くだけでも、服装や外観を気にしたり、混雑した電車で疲弊したりしてしまう勉強以外のことで気力や体力をかなり使っていました。でも、1人で図書館に行って勉強するなら、服装も気にせず、図書館までの距離も近くて、勉強以外に気を遣うことが少ない。だから図書館での勉強は私にとってはある意味すごく楽でした今回の受験勉強に身が入ったのは「看護学校に絶対に行く!」という勉強する目的が明確だったということも大きいかもしれません。
もし私が勉強ができれば、国立の大学の看護学部に行きたかった。学歴も申し分ないし、私立より学費が安くすむだろうしでも、1年間勉強しても自分の学力を考えるとそれは無理だろうって思いました。今回の受験は絶対に失敗できない。だから現実的に自分が行けるのはどこだろうって考えることにしましたまず考えたのは学校の場所。実家から遠すぎるところはイヤでした。両親と仲がいいわけではなかったけど、実家に帰るのに新幹線の距離とか飛行機の距離はどうしても不安でした。できれば実家の近く、遠くても在来線で2~3時間で実家に帰ることができる距離がいい。その範囲にあって、偏差値的に私がなんとか受かりそうな学校。その中から受験科目に面接、または小論文がない学校を選びました。最終的に受験することにした学校は6つ 公立の短期大学:3つ 私立の大学:2つ 私立の短大:1つ第一希望は一番実家に近い公立の短期大学。第二~五希望はどんぐりの背比べ。第六希望は実家から一番遠い学校。第一希望の学校は実家から一番近いとはいえ、実際の距離は結構ありました。授業で通うならなんとか行けるかもだけど、実習となると厳しいかなって距離でした。それ以外に行くなら一人暮らし確定。第六希望の公立の短大は一番遠く、受験する学校に選ぶかどうか迷いました。でも、受験に自信がなくて5つだと不安だったので受験する候補に入れることにしました。普通はそれぞれがどんな校風なのか調べたり、行ってみたりするのかもしれません。でも私はそのようなことはしませんでした。どこの学校に行っても大して変わらないだろうって思ったから。短大か大学か、どちらがいいのだろう?ということも考えました。看護学校は看護師国家試験の受験資格をえるために行くところです。勉強する量はこのくらいと決まっているのではないかと思いました。3年かけて勉強するより、4年かけて勉強するほうが余裕をもったカリキュラムになるはず。私のせかせかするのについていけない、のほほんと性格から考えれば4年生のほうがいいかなって思いました。実際、専門学校卒の同期はぎりぎりまで実習があり、学校の課題が大変すぎて国試の勉強まで手が回らなかったって言ってましたし。だから国家試験がすごく不安だったって。その話を聞いて、私は大学を選んで正解だったなって思いました。しっかり勉強する時間ありましたから。受験する学校を決めたことで、ふわふわしていた目標が明確になりました。勉強頑張るぞって気合が入りました
看護学校の学費をお願いしたときに、面接や小論文がイヤだから専門学校は受験しないことも伝えました。母は「あんたねー、そんなん嫌がってどうすんのよ」って呆れていました。でも、母は母で専門学校よりも大学に行く方がいいって思っていたみたい。これからの時代は看護師も学歴があるべきだって考えていたようでした。だから短大か大学に行きたいという私の希望を受け入れたんだと思います。母は中学校卒業後、まず准看護師の資格をとり、働きながら正看護師の資格をとったそうです。母は大きな病院で働いていました。働くなかで、学歴に関して何か感じるものがあったみたい。そのことに関して話を聞いたことはありませんが、私には母が学歴にコンプレックスを感じているように見えました。それで私には短大か大学に行って欲しいって思ったようです。母が看護師の資格を取るまでの経緯を私はきちんと把握していません。いつもなんとなく聞いていたから。知りたいと思ったときに聞けばいいって思ってたから。でもきちんと聞く前に母は亡くなってしまいました。だから今もよくわからないままです結果的に私は大学に進学し、看護師になりました。自分が働いていた実感としては、自分や他人の学歴が気になるということはなかったです。同期がどの学校を卒業したのかは話したりしたけど、先輩のは全然知らないし。
「日々辞めたいとばかり…」東京医療センターで看護師の16%が退職、さらに半数が退職希望 労働基準法違反の疑いも | 文春オンライン独立行政法人・国立病院機構東京医療センターで、看護師の大量退職が起き、医療現場が危機に陥っていることが「週刊文春」の取材でわかった。看護師への処遇を巡っては、労働基準法違反違反の疑いがかかる複数の事例…bunshun.jpツイッターでこのニュースを見ました。646人中106人が今年度末で退職が決まってて、残っている看護師の半数(270人)も退職を希望しているって。ぷ...はぁやばすぎでしょ。記事を読んで、にやにやしちゃった病院にとって看護師は大切な人材なのに大事にしないからこうなるんだよ。「大事に」っていうのはさ、至れり尽くせりしろってわけではなく、最低限のことをすればいいだけなんだよね。残業代は出して、有給も希望でとれて、退職も師長や看護部長に罵倒されることなく普通に辞められるようにすればいいんだよ。今回のことで看護部の上の人はどのように責任をとるんだろ。病院のお偉いさんたちから白い目で見られて、居場所がなくなってるかな。ふふふ。だってこんなに辞めるの、間違いなく看護部長のせいだし病院側の「退職希望は年に1度しか出せないということはない」とか「超過勤務の申請をさせないことはない」っていう回答には怒りがこみ上げる働いていた看護師が言っているんだから退職希望は年に1度しか出せないし、超過勤務の申請もできないに間違いないよ。ほんとはそうなのに、それは絶対に認めないという。回答を書いた人間は恥を知れそれにしても4月からこの病院に就職する新人看護師さんがかわいそうでならないんですけど。ただでさえ新人は大変なのに。16%も看護師が減ってしまったた、新人にかまっている時間もないだろうし、さぞピリピリするだろうな。「がんばって」としか言えない
高校を卒業してから2年目の終わりごろに看護師になろうと思いました。看護師になるためには看護学校に行かなければならない。そのためには学費が必要になる。親に話してお願いしなければ高校を卒業して2年もたっているんだから、進学費用は自分で用意すべきだったのかもしれない。でも、私の置かれている状況を考えたら、きっと学費は出してくれるだろうって思いました。うちは両親共働きで、裕福ではなかったけど貧乏でもなかった。そして、母は看護師として働いていました。私に看護師を無理やりすすめてくることはなかったけれど、「看護師になればいいのにー」っていう雰囲気は駄々洩れだったんです。だから私が看護師になりたいって言ったら、きっと学費も出してくれるって思いました。母に話してみたら、「いいじゃない」ってすごくポジティブに看護師になることに賛成してくれました。そして「学費は出すから頑張りなさい」って言ってくれました。そう言ってくれると思ってはいたけど、ほっとしました父の反応は全然記憶にないんですよね。高校卒業後、定職にもつかずにふらふらしているよりは、看護学校に行けば看護師の資格をとって働き始めるだろうからいいかって、そう思ったんじゃないかな。ちなみに学費がいくらかかるのか、全く調べずに両親に相談しています。でも、両親からは具体的な金額についての言及はありませんでした。お願いするなら調べてからだろって今は思うけど、当時は勢いのまま相談しちゃったんですよね。母は、私が看護師になりたいって言ってきたことがうれしくて、学費のことは後回しって感じでした。ネットで学費のこと検索してでてきた記事看護師になるための費用はどのくらい?必要な費用と利用できる制度を紹介! | バイトルPROマガジン看護師になるにはどのくらいの費用が必要なのか、平均的な学費や奨学金などの制度について解説します。www.baitorupro.com
退学続出の看護学校、パワハラ認め謝罪 人格否定・威圧的など7項目:朝日新聞デジタル 千葉県木更津市の准看護師養成専門学校「木更津看護学院」で、昨年度の1年生40人(留年含む)のうち15人が自主退学した問題で、同校は28日会見し、教員のパワハラを認めた。重城利国校長が辞任、教員2人が…www.asahi.comこの北海道立江差高等看護学院でおきたことのニュースを見たとき、専門学校を選ばなくてよかったと心から思いましたそのあと、千葉の学校(木更津看護学院)でも似たようなニュースがでました。看護学校で新入生ら40人中15人が自主退学…女性2教員のパワハラ認定【読売新聞】 生徒の自主退学が相次いだ千葉県木更津市の専門学校「木更津看護学院」は28日夜、同市内で記者会見を開き、教員によるパワーハラスメントを認めた。同校を運営する君津木更津医師会が設置した第三者委員会がパワハラを認定する調査報www.yomiuri.co.jpほんとに専門学校選ばなくてよかったー。恐ろしすぎるあとから知ったのですが看護学院と専門学校は違うんですね。「看護学院」という学校があることを知らなかったので、専門学校でおきたことって思ってました。それでも専門学校を選ばなくてよかったと思ったことには変わりありません。私は看護学校を選ぶときにいの一番に専門学校は却下しました。自分の直感は間違ってなかったって思います。私が通ったのは大学だったんですが、記憶のある限りではパワハラはありませんでした。そんな言い方しなくても...って思うことはあったけど、パワハラではなかったかな。看護師になりたいと思って入学したのに、パワハラで退学することになってしまった学生さんたちを思うと、心が苦しいです頑張って勉強したり実習に行ってたりしてただろうに。退学した学生さんからすれば人生台無しされたも同然。その後の記事では救済措置も講じるってあったけど、頑張るぞって思って入学したときの気持ちに戻るのはかなり難しい。お偉いさんがごめんなさいしただけでは許せないだろうな。どこの専門学校もこんな感じなのかなツイッターで「看護 専門学校 パワハラ」って調べたらいろいろ出てきました。知ってしまったらつらい気持ちになりそうだったから、すぐにページを閉じちゃった。おーこわ
看護師になるためには看護学校に行かないといけません 専門学校 短大 大学どこにしようかと考えたとき、私は頭の中で専門学校という選択肢を即却下していました。専門学校は「看護師になるぞ!」って気合の入った人達が行く学校というイメージが強かったからです私が看護師になる決意をするまでの経緯を読んでもらえれば、それとは正反対であることがわかると思います。あと、面接や小論文もイヤでした。単純に面接を受けたくなかった今であれば学校の面接なんて別にって思うけど、20前後のあの頃はそうじゃなかったから。積極的に看護師になりたいわけではなかった。でも、面接になったら「看護師になるためにがんばります」という雰囲気を出して、ポジティブに面接官と会話をしなければならない。考えただけで苦痛だと思いました。小論文は書き方を勉強して練習すればなんとかなるかもって思いました。けれど、その勉強をすることが面倒でやりたくないって思いました。なので、行くなら面接と小論文が受験科目にない短大か大学って思いました。高校卒業して3年も経ってから看護学校に行くなら普通なら専門学校なんでしょうね。当時はネットなんて全然なかったから、私に似た立場の人がどうしているかなんて知る由もなかった。相談できる人もいなかったし、どうするか考えるのも、決めるのも1人だった。ほんとに孤独でした
高校を卒業して2年目の終わり、もうすぐ3年目になってしまうという頃。もうこれ以上ないくらいに精神的に追い詰められていました。やりたいことはない。でも何か仕事にはつかなければ。ここでどうにか人生の方向性を決めなければ、社会からはみ出してしまうどうしよう看護師は無理だから、それ以外の職業で...看護師以外の職業で何かないか?おかしな話ですが、そればっかり考えていたせいで、看護師以外の選択肢を考えられなくなってしまったんです。追い詰められすぎて、まともに考えられなくなっていたんだろうな
高校生の頃に進路を決めきれなかったんですが、何もしないというわけにもいかず適当に受験はしました。もちろん全て不合格そして浪人生になり1年間、予備校に通いましたどんな大学・短大に行くかはとりあえず決めましたが、どうしても勉強に身が入らない。浪人は1年で終了、その後2年の空白期間ののちに看護学校に入学しましたこの空白の2年間は私にとっては人生の汚点。客観的に見ればたいしたことではないかもしれませんが、どうしても恥ずかしいので何をしていたかは言えません。消してしまいたい私の黒歴史です。
普通は小中高と進学していくうちに、将来自分がどうなりたいか、どんな職業に就きたいか方向性が見えるものなのだろうか私は高校生になってからも、自分がこの先どうなりたいというものがなかった。周りの同級生は「○○という職業に就きたいから専門学校に行く」とか、「大学生活を楽しみたいから大学に行く」とか、みんな自分の考えをもっていました。でも、どんなに考えても私にはなかったこの先の人生に濃い霧がかかっていて全く先が見通せない。自分が仕事をしている姿も、結婚する姿も何も想像できなかった。でも、看護師だけにはなりたくないって思っていました。コミュニケーションが苦手な私には無理な仕事だって。それだけははっきりしていました。
私が職業に看護師を選んだのは、母が看護師だったからです。もし母が看護師でなかったら、きっと私は看護師を選ばなかった。近親者が看護師だったから看護師になるのはよくあるパターンですが、私もその一人です。私が幼い頃は母が勤める病院の宿舎に住んでおり、周りの友達の親もみんな病院で働いていました。そのような環境だったこともあり、看護師という職業をとても身近に感じながら育ちました。看護師がどんなものなのか具体的にはよくわかってはいませんでした。でも、他の職業はもっとわからなかった。小学生の頃の文集に「将来なりたい職業」に看護師を選び、絵を描いたことを鮮明に覚えていますでも、心からなりたかったわけではなく、他に思いつかなかったから書いたということも記憶しています。
看護学生時代も看護師時代もつらかったいいこともありましたよ。でもつらいことのほうが圧倒的に多かった。未だに看護師だった頃の悪夢を見て、すごく疲れた朝を迎えることがあります。もう看護師をやめて数年たつというのに。それほど私の精神を侵食し蝕んだ看護師という職業がにくい