新田原陸軍飛行場跡に残る掩体壕 | 遺産、遺跡を求めて…

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見りゃわかるさ(笑)

『新田原陸軍飛行場』

飛行場建設が決定となったのは昭和13年。
当時は、民家や農地の他、昭和産業(株)所有の桑畑や社宅がありました・・・
用地買収後、工事が着工したのは昭和14年2月でした。
翌15年、飛行場は完成し使用開始されます。
昭和16年9月には落下傘部隊の陸軍挺進練習部(106部隊)が移住。降下訓練は唐瀬原一帯。
17年2月の落下傘部隊によるパレンバン参戦参加等を経て、飛行場は陸軍の南方侵攻の訓練基地や航空輸送基地として重要な拠点となります。
そして・・・敗戦色の濃くなってきた20年4月頃より、陸軍特攻隊の経由地や出撃基地となっていきます。
結果、新田原飛行場より出撃した各特攻隊員71名全員が戦死する結果となっています。
その後、激しい空爆をうけた新田原飛行場はその機能を停止・・・
そして終戦となります。


敗戦後、進駐軍により滑走路等は破壊。使用不能となります。
昭和22年には開拓農地として民間に払い下げられますが、昭和32年12月1日 、旧新田原陸軍飛行場跡地に滑走路を再建、航空自衛隊基地として開庁・・・
現新田原基地へと至ります。




そんな新田原陸軍飛行場跡には掩体壕が4基残ります。



1基目・・・

前面が大きく開いた陸軍の掩体壕ですね。











内部・・・






一部、型枠が残ります。






後方・・・





アリ地獄w




内部、後方より前方開口部を見る。




掩体壕上部・・・




当時は上部全面に土を壁せてました。








2基目・・・

上部・・・



後方より。



前方・・・周辺は少し荒れてます。





内部・・・



基本サイズは1基目と同じ。









2基目を後にして、3基目へ。。。






3基目・・・

コチラは上部に被せられた土が残ってますね。


















内部・・・




では、向こうに見えてる最後の4基目へ。。。




4基目・・・




造りは全て同じですね。




色々と・・・入っておりますw










全体的に状態は良いのですが、この掩体壕のみ内部コンクリートが一部剥がれて鉄筋が露出してる場所があります。









以上かな。。。


掩体壕・・・車庫に欲しいね(#^^#)









     ~おしまい~



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