先にアップした細島基地の工事難により、転進した場所です。

ここ、梶木の向ケ浜の地は、太平洋戦争が風雲急を告げる昭和二十年六月、一死もって祖国の危急を救うべく、海軍の特攻兵器震洋艇二十五隻を擁し、部隊長藤岡宏太中尉以下百八十八名の隊員が、細島基地から転進、地元の熱誠あふれる協力と理解のもとに新たに基地を設営し、神社境内周辺に艇を秘匿し、日夜訓練に精進し出撃待機をした、第百二十一震洋特別攻撃隊の戦跡である。
震洋5型艇とは、長さ6.5メートルのベニア作りのモーターボートの頭部に二百五十瓩の炸薬を搭載、敵艦船船に自ら高速で体当たり肉弾攻撃を敢行するものであった。搭乗員は、部隊長・艇隊長ならびに年歯僅か十五~十八歳の三重海軍航空隊乙種飛行予科練練習生出身、計五十四名が配された。ほかに基地隊・整備隊・本部付の各隊員がよくこれを支援した。
この地に駐屯すること二ヶ月有余、時利あらずして悲願空しく、終戦を爾来半世紀に近い星霜を経たいま、地元の方々の深甚なるご協力を得て、ここ霧島神社境内の往時の艇掩体壕の跡地に、戦跡を記念する標柱を建立して、悠久の平和を心から祈念するものである。
平成五年十一月吉日
元・部隊員有志
まぁ・・・
遺構自体は状態悪く、辛うじて震洋格納隧道が2ヵ所確認できるだけとなってます。
とりあえず・・・海岸まで出て、それらしい場所を探します。

海岸には震洋を格納隧道より出撃さす為に削られたと思われる跡が多数残ります。



さて・・・
格納隧道はどこだ?

あまり情報の無い場所だったのでそれっぽい場所へ。。。
藪アタック‼w

はいビンゴ‼ いや・・・正直には少し彷徨いましたけどねw

海辺からだと100m程、山手に離れた場所にあります。
こーーーんな感じの藪ん中です。


ゴミが酷いですね。


一見状態良さそうですが、結構埋まってしまってます。

台風等、海が荒れた時に運び込まれたゴミや土砂で奥まで埋まってますね。


奥行きは6m程だったかな。壕口が崩れて奥行きが浅くなったのかな・・・完成当時はもう少し奥行きがあったのだと思われる。


ほな・・・
2ヵ所目・・・
小さな尾根を挟んだ場所にソレっぽい場所があったんで近づいてみる。

あーーー。。。埋まっちゃってるね。

辛うじて壕口が確認できますが・・・

こりゃー入れませんなwww

うーーーん。。。掘りたいw

カメラ突っ込んで無理やり撮影してみる。

小さな崩落はありそうですが、空間はちゃんと残ってる感じですね。

とか・・・そんな感じの梶木基地でした。


~おしまい~
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