『挺進第三連隊の遺構』
陸軍挺進部隊をとても簡単に。。。
昭和15年12月、陸軍浜松飛行学校に練習部が創設され、落下傘部隊の要員養成と調査研究が始められる。浜松は演習場が狭かったため、練習部は昭和16年5月に当時の満州(白城子)に移され白城子陸軍飛行学校練習部となるが、同年10月には新田原に移り、航空総監に直属する陸軍挺進練習部となる。新田原は飛行場で唐瀬原(児湯郡川南町)は降下場として使用される。
唐瀬原は明治41年に陸軍の軍馬補充部が開設されて広大な牧場が造られてました。
時は過ぎ昭和16年、太平洋戦争直前より空挺落下傘部隊が、この牧場の一部を降下場として使用するようになり、また飛行場(唐瀬原陸軍航空基地)も建設されます。
挺進練習部隊は、当時の川南村内に広く駐屯していましたが、その遺構の殆どが消失しています。
唯一・・・挺進第三連隊の兵舎があったとされる、現国立病院機構宮崎病院の西手に残る給水塔だけとなってます。
とか・・・
説明はとても簡単ですみません。
では、挺進第三連隊兵舎跡に残る給水塔です。
兵舎等・・・色々な施設が建ち並んでいたであろう場所は、だだっ広い広場となってます。
そんな中に静かに佇む姿は少し勇ましくも見えます・・・
とても存在感ある給水塔です。
高さは28mあります。
給水塔の下に井戸を掘り、上部給水タンクへとポンプアップしていました。
陸自のヘリか?
知らんけどw
付近には何かの基礎が残ってます。
あとは・・・
当時のモノと思うのですが・・・
消火栓が2つ・・・
陸軍を示す記載等は無し。
もう1つは少し離れた場所に。。。
こちらは「消火栓」の文字が残ります。
少し離れた「川南護国神社」境内に『空挺落下傘部隊発祥之地』の碑があります。
移動中見かけた変な地名?
は・・・置いといてw
川南護国神社境内に残る碑・・・
『空挺落下傘部隊発祥之地』
~碑文~
花負いて 空射ち征かん 雲染めん 屍悔なく 兵等散るなり
以上・・・ですね。
~おしまい~
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