善通寺市に残る旧陸軍第11師団関連施設 | 遺産、遺跡を求めて…

遺産、遺跡を求めて…

見りゃわかるさ(笑)

『旧陸軍第11師団関連施設』




日清戦争後に新設された6個師団の1つで徴兵区は四国四県。
日露戦争に乃木希典大将率いる第3軍に編入され旅順攻略戦に当たる。
続いて川村景明大将の鴨緑江軍に組入れられ奉天会戦に参加。
明治42年から2年間満州に駐屯。
明治44年5月7日、師団司令部は香川県善通寺町に移転。翌日8日から事務を開始し同司令部留守部を廃止。
日露戦争後大正9年8月シベリア出兵。第14師団と交代して浦塩に駐屯し大正10年6月に復員。
昭和7年1月、第一次上海事変に動員。日中戦争では再び上海に投入される。
昭和13年9月、満州に派遣され以後満州に駐屯。
昭和14年10月、隷下の歩兵第22連隊が新設の第24師団に編入され、3単位制師団となる。
太平洋戦争開戦後、第5軍の指揮下密山に駐屯。満州国内にて対ソ戦の訓練や抗日パルチザン掃討等の治安維持活動に従事する。
昭和19年2月、歩兵第12連隊と第43連隊、山砲兵第11連隊の各第3大隊が、第1師団の一部と共に第6派遣隊として抽出され、グアム島に送られた。この第6派遣隊は同年6月に独立混成第10連隊(通称号:備17584部隊)に改編され、グアムの戦いで玉砕した。
昭和20年4月、師団主力は本土防衛の為四国に移駐し、同地で終戦を迎える。



~ウィキより~





ちなみに陸軍第11師団司令部跡はコチラ→陸軍第11師団司令部跡


先に・・・写真沢山で長くなりますので疲れるかもですw
ちなみにオレは疲れました(笑)



では・・・

陸軍第11師団騎兵第11連隊兵舎・・・

四国学院大学構内に残ってます。



長さ58.5m、幅約15mの木造二階建てです。





























騎兵連隊跡の碑が近くに残ってます。







偕行社・・・

旧陸軍の現役将校のための団体で、主な用途は親睦。
建築年は明治36年、木造平屋建てとなってます。









ここは内部も見学できます。



















陸軍第11師団兵器部倉庫・・・

明治後半から大正にかけて建てられた煉瓦造りで、各棟毎にデザインが微妙に異なる造りになってます。

陸上自衛隊善通寺駐屯地敷地内にあるので、撮影は道路よりフェンス越しw



















細かい所まで星がデザインされてます。



用途不明・・・小さな建物もあります。







陸軍第11師団輜重第11大隊建物・・・

本部及び倉庫として昭和16年に建てられたものです。

木造2階建ての建物は、大きな改装もなく現在は自衛隊の施設として使われてます。







立哨塔も残ってます。移設されたのか、当時からこの場所にあるのかは不明w















輜重隊倉庫・・・

明治44年建築、平屋煉瓦造りで屋根に並ぶドーマー型の通気孔に特徴があります。















戦争遺跡・・・とは少し違うかもですけどw

磯野邸・・・

昭和5年建築、旧陸軍第11師団の陸軍主計中尉の仁井榮四郎氏が建てた住宅・・・














旧陸軍第11師団工兵第11大隊正門・・・

が、乃木神社境内に移築され保存。
工兵第11大隊の遺構は、公園や市営住宅、自衛隊官舎等になり残ってません。

乃木神社・・・





工兵第11大隊正門・・・












工兵隊の碑・・・









隣りの護國神社には、軍馬の碑等・・・沢山の碑があります。

香川県護國神社・・・

明治31年旧陸軍第11師団が当地に新編されたときに招魂社を祀られたのが起源であると言われています。













偕行社の正門も移設されてます。








また、資料館もあり沢山の展示物もあります。










資料館の外には・・・

「九七式沸水車」の展示もあります。

野戦部隊に湯を補給する為のモノで(原水槽100ℓ沸水槽100ℓ)約20分で100ℓを沸騰する事ができたそうです。













とか・・・

めっちゃ長くなりましたが、善通寺市に残る旧陸軍第11師団関連施設は小さな遺構を含むとまだ沢山残ってますが・・・

機会があればまた・・・と言う事で(^^;









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     ~おしまい~