通信所跡… | 遺産、遺跡を求めて…

遺産、遺跡を求めて…

見りゃわかるさ(笑)

多功崎砲台入り口を通り過ぎて軍道を下り、歩き進んで行くと谷間に石積みの水路が見えてきます。
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水路には小さな橋も…
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付近には井戸や便所も…
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そして…倒れた二本の門柱…
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碍子もアチコチに落ちてました。
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そこから、海の方に少し歩くと…
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近づいてみましょう。。。
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倒れてた標柱…
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見にくいとは思いますが『逓信省用地』とあります。
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~ウィキより~
『逓信省(ていしんしょう)は、大日本帝国憲法下の日本に存在した郵便や通信を管轄する
中央官庁でした。
内閣創設時から第二次世界大戦中の行政機構改革で統合されるまで、交通・通信・電気を幅広く管轄していた。第二次世界大戦後にも復活して1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで存在したが、この時期には通信事務のみを管轄した。現在の総務省、日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT)は、1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)までの逓信省の後身に相当する。
1885年(明治18年)12月22日、内閣創設に際して逓信省が発足。農商務省から駅逓局と管船局を、工部省から電信局と燈台局を承継。 逓信省の名の由来は駅逓の逓と電信の信をあわせたものである。』


タイトルに『通信所跡』とは入れましたが、正直詳しい資料などは残ってませんw
多分…戦時中における通信に関わる設備を整えた施設だったのだと考えられます。
当時、この場所は『通信所』と呼ばれてたそうです。


海辺の施設であるため、浸食による傷みや漂着ゴミで状態は悪かったですね。
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地中からは何本もの土管が出てました…
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そして、2本の地中ケーブルも…
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このケーブルは谷沿いを山中に延びてました…
途中からはまた地中へと消えてますから何処に継ってたかは知る事はできません…
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門柱…
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建物自体の損傷も酷く、どんな造りだったのかもわからない状態ですね。
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こちらはほとんど埋まってしまってる『逓信省用地』の標柱…
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もしかすると、何処かに向かって海底ケーブルなんかも延びてるのかもしれませんね…
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以上…謎の多い逓信省施設でしたw

次回は「樫岳砲台」アップ予定です~(・∀・)/~~