続 亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡(本射場 前編) | 遺産、遺跡を求めて…

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見りゃわかるさ(笑)

第1期
1895(明治28)年に仮設兵器製造所を、1897(明治30)年に呉海軍造兵廠が設置。
1901(明治34)年、亀ケ首試射場で速射砲の試験実施。
1904(明治37)年、亀ケ首試射場で東南方へ大砲発射。
1904-5(明治37、38)年頃、呉海軍工廠亀ヶ首水雷試射場の新設工事が行われた。

日露戦争後、巨砲を大艦へ装備する設計思想が普及したのを受け、メートル法を採用し、大正3年、41糎、20糎砲が製造された。試験発射が行われていた。
亀ケ首試射場は砲熕部検査場に付属。

1915(大正4)年、亀ケ首発射場の境界線を確定。 
1917(大正6)年3月、第16回発射実験で安式3吋砲閉鎖機事故、4名死傷。
1917(大正6)年7月、東宮(注:昭和天皇)工廠や亀ケ首射場を見学、巨砲試射。

第2期
(第1次世界大戦後の海軍拡張競争を反映。太平洋戦争に備え施設が拡充された。)
1918(大正7)年、亀ケ首試射場の増備工事、敷地掘削、井戸増設、下水工事。
1922(大正11)年3、亀ヶ首、工廠を往復の雑役船が不足するほど建設工事が進捗。
1922(大正11)年、海軍軍縮条約が締結され、10年間主力艦の建造は休止。
呉工廠でも業務整理、工員整理が行われたが、研究開発は推進。
1923(大正12)年 砲熕部、魚雷部、電気の各実験部を設置。土佐の実験射撃。
砲熕部検査場と火薬試験所とを砲熕実験部として独立し、亀ケ首試射場も所属。
 1926(昭和2)年、12糎連装砲実射試験、甲鈑実験見学申請。 
1926(昭和2)年3月、時計式信管の爆発事故。
報告書に毒ガス弾の円筒内実験の記述がある。

1930(昭和5)年、補助艦の保有量の締結と主力艦建造休止を更に5年間延長。
亀ケ首発射場改造を目指して立木を伐採し、用地造成を準備し始める。
1931(昭和6)年、亀ケ首発射場改造。砲熕兵器の進歩に大改造を必要として工事に着手、実験装置のみでなく災害防止も含む。

200tガントリークレーン設置、土手内にコンクリート製の観測室、半地下式砲弾庫からトロッコで砲弾を砲まで運搬。試射場の完成。
領収発射試験、46cm砲や三式弾発射、装薬爆破実験、装甲用耐弾実験などを行う。
1931(昭和6)年~1933〈昭和8)年、海軍航空本部長、陸軍砲兵本部、陸軍技術本部、 亀ヶ首実験発射見学許可書、軍需工場関係者の出入許可書…機密保持が厳重化。
1932〈昭和7)年、四国松山沖の由利島観測所用地買い入れ。46糎砲試射の大射線用
1933〈昭和8)年、日露戦争時の「日進」を標的艦に使用し、各種の砲撃実験を行った。
呉海軍工厰 亀ヶ首発射試験所の大改築計画が始まる。
この改築計画により、亀ヶ首発射試験所は日・米英開戦に備えた軍備増強のための
戦艦大和などの建造にかかわる全ての試験施設・装備が完備されていった。
諸実験が激しくなり、亀ケ首、大人とも1ケ月20日は区域内の入漁禁止。
1935(昭和10)年、亀ヶ首発射試験所堤改築外16件工事要領変更。
1937〈昭和12)年、発射試験所突堤改築工事。
1937(昭和12)年から太平洋戦争開戦に先立ち、年1~2回 毒ガス弾試射。
1938〈昭和13)年、「大和」主砲・長さ22cm口径46cm砲の性能試験。

第3期
(敗戦による呉海軍工廠の廃止。戦後の混乱で資材は略奪。施設は破壊・放置された。)
1945〈昭和20)年、敗戦。呉海軍工廠の廃止。戦後の混乱で資材の略奪。施設を放置。


北射場に比べてソコソコの資料は残ってますし
過去には見学会などもあったみたいで、一度は草木を刈る程度の整備はされた経緯があるみたいです。
簡易的な…その場だけの案内看板とかも残ってましたね。

そんな本射場なんですが。。。
訪問は意外に簡単で、近くまで車で行く事ができるし、藪漕ぎの心配もありません。
ただ一つの難所を除けば…ですがw

ちなみにこれは当時の配置図です。

 


では行ってみましょう。
某所に車を停めて海の方に…
一軒の民家横の細道を抜け、海沿いを歩く事100mくらい…かな。

亀ヶ首 

唯一の難所?
当時の本射場につながる隧道が見えてきます。

亀ヶ首 

何が難所かと言うと…
水ですwww
真ん中は結構深いんですよ(^^ゞ

亀ヶ首 

長靴着用で端を歩きましょうw(笑)

亀ヶ首 

隧道を抜け海沿いを歩くと見えてくるのが、北射場にもあった船着場桟橋跡です。

亀ヶ首 

ここ本射場は「大和」主砲の口径46cm砲の性能試験が行われてた事もあり、
クレーンも大きな物が据え付けられてたんでしょうね。
北射場に比べてクレーンのレール跡もかなり大きいのがわかります。

亀ヶ首 
亀ヶ首 
亀ヶ首 
亀ヶ首 

桟橋の岡側、射座のあった場所になります。

亀ヶ首 

ちなみに、当時の様子です。「大和」主砲・長さ22cm口径46cm砲…
階段上の人と比べてもその大きさに驚きですw

亀ヶ首 

ここ本射場にはトロッコ用のトンネルが三本残ってましたね。
土堤を抜けるようになってます。
一本目。。。

亀ヶ首 

相当分厚いコンクリート造りになってます。
物資不足の中…一様鉄筋は入ってるみたいですね。

亀ヶ首 

水仙…かな?
キレイに咲いてたもので(´∀`*)

亀ヶ首 

二本目です。

亀ヶ首 

一本目もそうでしたが、シイタケの栽培をしてるみたいですね。
環境が適してるんでしょう。

亀ヶ首 
亀ヶ首 

三本目…

亀ヶ首 

奥はガレキを積み上げて埋めてました。

亀ヶ首 
亀ヶ首 

戦後だれかが倉庫代わりに使ってた感じですね。

亀ヶ首 
亀ヶ首 

と…
なんだかホッとする煉瓦造りの遺構(^^♪
土堤内測定室です。

亀ヶ首 

三連の造りになってた…と思いますw

亀ヶ首 
亀ヶ首 

内部より…

亀ヶ首 
亀ヶ首 

コレも測定室かな…
相当な厚みのコンクリートですよね…

亀ヶ首 
亀ヶ首 

配置図で見ると弾丸調整室辺りだと思うんですが…
この辺は破壊された跡が酷かったですね。

亀ヶ首 
亀ヶ首 

なんだかわかりませんが…
規模の大きな何かの施設跡です(-_-;)

亀ヶ首 

傾き…崩壊したコンクリートの塊…

亀ヶ首 
亀ヶ首 

土堤に上がる階段も何ヶ所かに残ってました。

亀ヶ首 

状態の良い物から…
横たわる物まで…

亀ヶ首 

階段の高さまでは土堤があったんでしょうね。。。

亀ヶ首 

これは…
便所跡でしょう。

亀ヶ首

火薬庫があったと思われる場所は…
おそらく崩壊じゃなく、破壊されたんでしょうね…

亀ヶ首 

コンクリートの残骸だけが寂しく散らばってます。

亀ヶ首 

壁の一部でしょう。。。

亀ヶ首 


てかてか…


もう今年も終わろうとしてますね。

皆様にとって素敵な年になりますように♪


本射場後編は来年って事で(´∀`*)
じゃ~ね~

亀ヶ首