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患者はしばしば、

「自分が悪い」

「申し訳ない」

「皆に迷惑をかけている」

という。


こうした罪悪感の苦悩の中に打ち沈んでいる。

ただ、このことに効用がまったくないわけではない。

それは

「自分など全く役に立たない」

からさらに

「存在する意味がない」

という決定的な微小感への突き抜けるのを、

かろうじて防止している。」


さらに

「自分のせいで」、

「自分のために」

といった部分に、

ひそやかな万能感の存在を嗅ぎ取ることは、

それほど困難なことではない。


場合によっては、いくらか鼻につくことさえある。

すなわち自己愛の発露である。

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自己愛に苦しむというのはアリなんじゃないかと思う。

その点で、伴走者になれたらいいなと思うんだなあ。

難しいけどね。



彼が執着しているのは


いつもこころおだやかでいたい


ということ。



私はかつて


母に甘えられなかったという過去


に執着していた。


彼にはうんざりされた。

執着は他人の時間泥棒だから、こうしてブログを利用して俯瞰してみてきた(つもり♪)。


だから、執着をやめられないということを理解できる(これもつもり~♪)。


わたしから発せられた言葉が彼に瞬時に伝わることはない、

彼が行動を変容させることはない、

と、諦めておくことにする。


わたしは今母親をやっているので

笑っていたいのだ。




彼からの仕事中のメール。

「仕事辞めたい。探すようかな。」


私には、辞めるという選択肢はなかった。

こんな自分にもかかわらず人並みに暮らせることをありがたいと思うようになっていたから。


昨日、それを受け取ってから

落ち着いて仕事をすることができなくなった。

必要ないのにあせってみたり。


以前、自分病、って私を突き放した彼に頼ろうとはしなかった。

今、私は頼られるだけマシと思うべきか。


修行、なんてタイトルをつけてみたが…

いやあ、ほんとにこれは修行だわ。


ひとつ経験則。


自分が疲れていると

あんなメールにも直球で返すことしかできない。


彼の自分主義(私の実父母のことをおとうさんおかあさんと呼ばず○男さん○子さんと呼ぶような)は

このまま残るのか、

さすがに変貌するのか…。

よく見守りながら。


私も私で、

ふて寝して

ハンドルの遊びを復活させて…。


私もこの修行で得るものは大きいと思って…。


大丈夫、

ま、いっか。


そうだよ、ま、いっか、だよ。


職場からのかえりみち、

かえりみちとは言ったけれど

かえるというより

また役割を演じる場所に行くといった感覚を持ってしまう。


肩の力を抜きたいなあ、


もう少し

世界を受け入れたいなあ。


私もまだまだだなあ…。


どっか行きたいなあ…

ひとりでいたいなあ…。

…。

どうやら、わたしは

パートナーに甘えたい、

感情をそのまま出したい、

支えて欲しいといった感情を捨てるべき時期にあるらしい。


ここにも捨て捨て。


お昼休みに来た彼からのメールの

「ままはえらいね」

といった文に

私はえらい自分を演じるべきなんだろうなあ、と

ぼんやり思った。



「だいじょうぶだから。」


「よくがんばれって言っちゃいけないっていうけど、あなたにはがんばれっていうから。」


「奥さんは先回りしていろいろ考えちゃうんだよねえ。」


「すこし姿勢をよくして(肩に手を当ててまっすぐにするよう促す)、それはやった方がいいなあ。」

最近の娘の書きおきから感じられる

彼女の成長、特にこころのそれに喜んでいるだけではいけない。


10歳未満の彼女のこころが

親を心配することで占められているということを強く胸に刻むこと。


娘の年頃は、もっと別なことがアタマにあって然るべき。


母親が明るくなくては、

というのはこういうことなのだ。