昨日、死刑が執行されました。

死刑についてはいろいろと議論が交わされてますが、
ぼくの考えは「死刑廃止には反対」です。

結局は人殺しなんだから、
死刑は喜ぶべきものではないかもしれないけど、
やっぱり罪を犯した人は
それ相応の報いを受けるべきだと思うわけです。

侍の時代までは「復讐」による人殺しは
認められていたそうです。

でも、時代が近代化するに従い、
復讐を禁止する代わりに国が罪人を裁くようになりました。

そうも言い切れないということはわかってますが、
裁判の制度というのは、
被害者の「仇討ち」も含まれているわけですよね。


死刑廃止を叫ぶ人たちはけっこういると思います

彼らが口々に口にするのは
「死刑だって人殺しだ」
「死刑を執行しても犯罪は減らない」
ということです。

実際、昨日も死刑廃止を訴えている団体の人が
「今日、死刑が執行されましたが
 果たして日本の社会は平和になったのでしょうか?」
と言ってました。

完全に見るところが違ってると思います。

死刑は社会を平和になんかしない。

ただ、身内を殺された遺族としては
その加害者がのうのうと生きていることが許せない。
犯人が死んだって殺された身内が帰ってくるわけじゃない。
でもその犯人が生きていることは許せない。

じつに当たり前の感情です。


死刑に限らないんですけど、
なぜこうも「加害者の人権」ばかり
クローズアップされるんでしょうか?

ハッキリ言って、身勝手な自己中心的な理由で
一方的に命を奪う=他人の人権を奪っている犯人に、
人権を守る必要なんかどこにもない
……とぼくは思います。

最悪、殺人じゃないなら被害者は
まだ今後の人生も人権もあるかもしれない。
でも、死んだらそれですべて終わりです。

そんなことをするヤツをなんで守る必要があるんだ!

……と声高々に叫びたいですね。

「やられ損」もいいとこで、
完全に「やった方がメリットが多い」感じがしちゃいます。


死刑廃止論者達の身内が殺された場合、
その犯人に対しても同じことが言えるんでしょうか?

正直、犯罪を犯したら同じ目に遭わされたり、
死刑にはならないものの
その度合いに応じて四肢を切断される(!)
とかの「報い」があるとすれば、
ぼくはものすごい抑止力になると思ってるんですけどね。

いまの時代、倫理的な観念から
絶対にそんな物が導入されるとは思えないですけど。


犯罪者に手厚い社会はもうたくさんです。